復元祭殿
祭殿は平成11年(1999)からの再発掘調査の際に発見されました。倉庫と同じ高床の建物ですが、大きさが7.2m×4mもあり、登呂遺跡では一番大きな建物です。



 

周囲からは占いで使われる「卜骨」が見つかっていることから、この場所では祭祀が行われたものと考えられます。

 

↑ 復元祭殿 ↓

 


 

高床倉庫の掘っ立て柱組み立て


 

高床倉庫
高床倉庫は、収穫した稲などを保管しておくために建てられました。


 

湿気を防ぐために、地面から1.3mの高さに床を上げ、床と柱の間にはネズミ等の侵入を防止するための板「ネズミ返し」が挟み込まれています。


 

石包丁
中国大陸から日本列島に分布する、刃物状の磨製石器。主に農耕の伝播に従って、その初期に普及したと見られている。



 

形状
長さ12–20cm・幅3–5cm程度の薄い板状で、ちょうど手のひらの中に収まるようなサイズとなっており、形は長方形または半月型の扁平な形状である。



 

片面を鈍い刃(ナイフ)のようにし、側面に1つないし2つくらいの穴を開け、紐を通し脱落防止のために指に引っ掛けたり手の甲に巻きつけ固定して使えるようにしたものが、しばしば出土する。

 

なお一部には打製石器による石包丁も出土しており、必ずしも当時の文化伝播が一様ではなかったこともしのばれる。

 

包丁と名はついてはいるが、一般に魚や肉・野菜の調理に用いられた訳ではない。

 

名の由来は明治時代の研究者らが北方ネイティブ・アメリカンの利用していた石の調理用ナイフに形状的に似ることからこう呼んだものが広まった。

しかし、石包丁の刃部分から稲固有の残留物は見つかったものの、それ以外の当時食用にされていたと見られる動物や植物の残留物がみられなかったためである。




収穫後の稲の保存と脱穀
石包丁などで稲穂を切り取たりし、臼、杵、箕(み)等を使って脱穀した。


 

箕(み)
穀物の選別や運搬、乾燥のために用いる片口型や丸皿型をした民具。



 

特に米などの穀物の選別の際に殻や塵を取り除くために用いられる。



 

箕は竹や樹皮などを編んだもので、脱穀後に籾から実と籾殻とを煽って選り分けることを「簸(ひ)る」といい、箕を揺り動かしたりあおって風を起こして選別する風選(ふうせん)という方法を用いる。


 

穀物の選別のほか、穀物の運搬のための穀箕、茶の選別のための茶箕、土運びや砂利運びのための雑箕など用途に合わせた箕がある。


 

箕の形状には地域性があることが知られている。代表的なものとして奄美諸島以南にみられる円形箕(丸箕)や、日本列島のほぼ全域で用いられてきた片方の口が開いた片口箕が挙げられる。


 

民俗学者の下野敏見はトカラ列島を境界線として片口箕使用圏として「韓半島文化圏」や「大和文化圏」を設定し、丸箕使用圏として「琉球文化圏」や「台湾文化圏」を設定したが、その後の研究から修正が必要であるという指摘もある。