平地住居(へいちじゅうきょ)
地表を床面とする住居
竪穴住居や高床建築に対する概念。壁を石などでつくった場合は別として,発見が困難である。



 


代表的な家禽として世界中で飼育されている。
ニワトリを飼育することを養鶏と呼ぶ。

祖先種はヤケイとされており、ヤケイが南アジアから東南アジアに限られていることを考えると、この地域で鶏の家畜化が始まったと考えられる。


 

火棚
炉(囲炉裏)の上に天井からつるした棚。天棚。



 

木の器(木器)
人類にとって木はもっとも身近に存在した自然の材料の1つであったことから、木の棒をそのまま使うことが人類誕生期から行われており、後にこれを加工して適切な形として道具として用いるようになったと考えられている。

 

ただし、木などの有機物は破損や腐敗などによって長期間保存が難しく、極度の乾燥あるいは炭化状態であるなど限定された条件でのみ出土されるため、その歴史的な古さに対して考古学的な発見は少なくかつ完全な形で発見されるものは少ない。


また仮に出土した場合でも破片などの形で見つかる場合が多く、一緒に土器などの年代的な特徴を持つ物が出土されたり、発見された土層(地層)の年代が明らかな場合でなければ、出土物の使用年代を特定するのが困難である。

 

日本においては長く旧石器時代に遡る木器の遺物は出土しなかったが、1980年に明石原人の検証のためにその化石が発掘されたとされている兵庫県明石市の西八木海岸の発掘調査を行ったところ、今から6万年前前後と推定される土層から人為的な加工が施された木片が発掘され、これが日本最古の木器であると考えられている。

 

静岡県登呂遺跡に代表されるような水田の杭・矢板・高床倉庫などに用いる建築材・田舟・鍬・鋤などの農具(海岸部の遺跡では漁具なども)など各種の木器が作られるようになった。

また、加工に金属器が用いられるようになり、製品に応じた材料選択(樹種選定体系)や一旦製材を行って板や割材から複数の製品を作る技術が確立した。


炉(火を燃やす場所)
炉は工業炉(焼鈍炉、焼入炉、溶解炉など)とそれ以外の炉(パン焼き炉、焼却炉など)に大別できる。登呂遺跡(登呂博物館の屋外)の説明では「囲炉裏」と説明している。


構造による分類
開放炉と煙突炉
排出ガスや火の粉を放出するための煙突や排気筒の有無により、鋳物工場や焼入工場などで利用されている煙突等のない開放炉と、煙突等を設置した煙突炉がある。

 



貫頭衣(かんとうい)
中央に穿(うが)たれた穴から頭を出して着るごく単純な構成の衣装である。

着脱は容易であるが被覆性に劣るため、多くの場合外套として用いられる。



 

皮革、樹皮衣、フェルトなどに向くが、頭を通す穴からのほつれがある織物、編み物などには基本的には不向き。

3世紀末の日本の民衆は貫頭衣を着用していたとされている。



 

これは、ポンチョのように一枚の布を二つ折りにし中央に頭を通す穴を穿ったものと解釈されていたが、最近の説では布を二枚縫い合わせて頭と腕を出す穴のみ縫い残した身二幅の衣装だったのではないかとされている。

当時の織機で織ることができる布の幅は織り手の腰の幅(おおよそ30cm前後)までで、体の側面は完全に覆うことが難しい。

また、布に穴をあけると、そこから解れができて長期の使用に耐えないというのが主な理由である。



 

輪状式機織
アジアには、直状式と輪状式という、大きく2つの方式の腰機(こしばた)があります。

北海道・樺太アイヌは、直状式の腰機で、織り上がった布を布巻具に巻きながら、織り手が前へ進みます。


 

一方、台湾や海南島、東南アジアでは、輪状式の腰機が現存します。

布送具と経送具の間に経糸を輪状にかけ、織り上がった布は、全体を回して送るので、

織り手の座る位置は変わりません。