母の日の起源はアメリカ
母の日は、20世紀の初頭にアメリカで始まりました。

 

1907年、ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービスが、自分の教会学校の教師であった亡き母親を偲び、教会で記念会を開いてカーネーションを贈ったのが始まりといわれています。




その記念会で、アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識します。

翌1908年の5月10日、彼女が勤めていた学校に470人の生徒と母親達が集まり、世界で最初の「母の日」を祝いました。

 

アンナはもっと多くの人に、生前にお母さんに感謝する機会を持ってほしいと考え、「母の日」を制定して国中でお祝いすることを友人たちに提案します。



 

やがて多くの人の賛同を得、1914年、追悼式を行った5月の第2日曜日を「母の日」と定めて、アメリカの祝日になりました。


 

カーネーションを贈るようになった理由
アンナ・ジャービスが、母親が好きだった赤いカーネーションを、参加者全員に手渡したそうです。



 

このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなったといわれています。


 

母親が健在の場合は赤いカーネーションを、母親が鬼籍に入っている場合は白いカーネーションを贈るのが一般的です。


 

母の日が日本に普及したきっかけ
前述の通り、母の日はアメリカを起源として1900年代初頭に誕生した後、世界各国に広まっていきました。


 

日本では大正時代(1912年7月30日 – 1926年12月25日)にキリスト教会を中心に徐々に広がりはじめ、1937年(昭和12年)にお菓子メーカーで有名な森永製菓株式会社が「森永母の日大会」という催しを実施した事をきっかけに日本全国母の日の認知が大きく広がっていく事になります。


 

その後、第二次世界大戦後(1945年)にアメリカからの占領期間中に、GHQ(連合国軍総司令部)が「Mother’s Day」を日本でも普及させようとしていき、決定的に国民に認知されていったと言われています。


 

そして、1949年に日本でも「母の日」が制定され、現在まで続いています。

ちなみに正式に制定されたこの日まで、日本では母の日は皇后の誕生日の3月6日を母の日として制定していましたが、この日をきっかけにアメリカにならう形で5月の第2日曜日に行われるようになりました。


 

カーネーション
ナデシコ科ナデシコ属の多年草。



 

原産地と名前の由来
原産は南ヨーロッパおよび西アジアの地中海沿岸といわれている。
カーネーションという名前の由来には諸説あり、肉の色の花という説や、シェイクスピアの時代に冠飾りに使われこれが転訛したもの。



 

あるいは戴冠式を意味する語のコロネーションが訛ってカーネーションとなったとの説もある(ギリシャ語で王冠の意味)
 


 

歴史
地中海沿岸から西アジアの原産のため古くから、可憐な花容を愛された。イスラム世界ではバラやチューリップと並んで、愛好された植物である。



 

イスラム教では偶像崇拝が禁止されているためモスクなどの装飾には人物及び動物表現が忌避され、アラベスクという幾何学模様や草花の文様が使用された。


 

このアラベスクの意匠にカーネーションの花はしばしば使用されている。
 

 
 

17世紀にはイギリスやオランダで300種以上の品種がみられ、フローリスト達によって栽培され、オーリキュラやチューリップ等と並びフローリスツ・フラワーの一つとして大きく進展を見た。


 

18世紀を通じて品種が増え、やがて「ショウ・カーネーション」が生まれ、これが19世紀の主流となった。


 

この花の特徴は花弁の縁の鋸歯がなくなり、花弁の配置を幾何学的な整形に近づけたもので、現代のカーネーションとは異なっている。

この時代にはまだバラの改良もそれほど進んでおらず、カーネーション、オーリキュラ、チューリップは時代の先端を行く園芸植物であった。
 


 

19世紀中頃になるとフランスでの育種が進み、1840年にダルメイスが「パーペテュアル系」を作出、更に1857年にはやはりフランスで「マルメゾン系」が誕生した。これらが現代の営利用カーネーションに繋がっている。