静岡紀行 三日目 登呂遺跡と火起こし
平地式住居の屋根

 


 

縄文時代の家は直径8.4mと大型の円形住居で、壁を持たず地面に屋根が葺き下ろされる入母屋造りの屋根である。


 

垂木(たるき)や木舞木舞(こまい・垂木の上に横に渡した細長い材)にはクヌギやコナラなどの広葉樹の枝が用いられ、太い材の結束には藤ツルを、細い材には麻紐を用いているという。


 

火起し実演日

発火法は、火を起こす方法のこと。発火剤や機械、電気を使う近現代の方法だけでなく、木による摩擦熱などを利用する原始的な火起こしを含めて、様々なものがある。


 

↑ 火起し実演日平日の10時30分と14時の2回 ↓

 

火は人類の誕生以前から火山の噴火、落雷、自然発火などを原因とする自然火として存在した。

人類の祖先が最初に火を手に入れたのは、自然に起きた森の火災の焼け跡の燃え残りからだったと思われる。


 

↑ 火起し実演が行われる高床倉庫 ↓

 

人類が自力で道具を工夫して火を起こした古代発火法には、大きく分けて摩擦式、火花式(火打石)、光学式(収れん発火))、圧縮ポンプ式(圧気発火器)が現在知られている。

 

現代では、化学式(マッチ)、電気式(点火プラグ)など、新たな手法が発明されている。

 

↑ 火起し実演日平日の10時30分と14時の2回 時間外で゛見学出来ず ↓


一度火を獲得できれば、灰をかぶせたり穴の開いた容器などに入れて酸素量を調整できれば、再び発火させずとも燃えさしを火種とする工夫が行える。



 

火の利用から発火法へ
人類が火を手に入れた最も古い方法は、それら自然に得られた火を松明や火種のような形で運び、焚き火にして保存することだった。



 

火種が燃え尽きないよう長時間もたせるために、燠火にして灰に埋めて保持する「火止め」という方法も工夫された。


 

人類が自らの手で火を起こす発火法の発明は、火の利用からはるかに遅れて、木や竹の道具を加工する技術の中から生まれ、工夫されてきたと考えられている。


 

登呂遺跡での発火法
摩擦法
大きく分けて往復摩擦によるものと、回転摩擦によるものがある。

 

いずれも摩擦によって木の繊維が削れて細かい粉末状になり、それが溜まったところに摩擦熱が加わって火種が起こる。



 

火口(ほくち)
火種が起きたら火口(ほくち)と呼ばれる燃え易いすい蝦蟇(がま)の穂などの素材に火種を移し小枝などに燃え移していく。


 

弓錐(ゆみぎり)
単純な手動の道具。

ヒモを巻き付けた弓を片手で前後に動かすことにより棒(スピンドル、ドリル軸)が回転する。先史時代に由来するこの道具は、木、石、骨、歯といった固体材料に穴を開けるためのドリルや火を起こすための発火として使われた。



 

スピンドルは、先端をハンドブロックの穴に差し込んで手で押さえて固定する。


 

2つのパーツの摩擦を減らすために潤滑剤が使われる。この発明はイヌイットによるものとされる。弓の弦はスピンドルに一回巻かれ、きつく固定されるため作業中にずれることはない。
 

 

↑ 弓錐(ゆみぎり)と火切板 写真は登呂博物館の公式ページから拝借 ↓

 

 

↑ 火種から火口(ほくち) へ↓