静岡紀行 三日目 登呂遺跡と米
古代遺跡の中に大規模な水田跡があるためです。

復元水田
昭和27年(1952)、日本の稲作文化が初めて証明された遺跡であり、戦後考古学の先駆けとなる遺跡であることが評価され、弥生時代の遺跡としては初めて、国の「特別史跡」に指定されました。



 

昭和40年(1965)には、登呂遺跡の南側に東名高速道路が建設されることにともない、発掘調査を実施しました。

 

これにより遺跡から南側のこの位置まで水田が広がっていることが分かりました。



居住域の南東部に広がる低い場所に水田がつくられました。太い畔で区切られた大きな区画を、細い畔で小さく区切ることで、区間一面に水が行きわたるように工夫されています。


 

大きな区画の畔や水路は、1回目の洪水の後、杭と矢板で補強されました。遺跡内には、現在までに大きな区画が約50区画見つかっています。




登呂遺跡の復元水田では赤米を栽培しています。
赤米(あかごめ、あかまい)

イネの栽培品種のうち、玄米の種皮または果皮の少なくとも一方(主に種皮にタンニン系の赤色素を含む品種を指す。



 

野生のイネのほとんどは赤米である。古代米イコール赤米とされることもあるが、科学的根拠はない。


黒米を赤米に含める場合もある。民俗学者の柳田國男は、赤飯の起源は赤米であると主張している。



 

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赤米の品種を用いた。うるち米、陸稲は. それぞれ B 区、A 区とした地点に一般的な田.植え法で栽培していた。

系統
イネには遺伝的に普通米とは異なる色を呈するものがあり有色米や色素米と呼ばれている。

通常、有色米や色素米も玄米の種皮や果皮などの糠層を除去して完全に精米すると普通米と異ならない色である。

赤米は玄米外層部の種皮層に赤色系の色素が蓄積した米またはそのような性質を有するイネをいう。

赤米はタンニン系の色素をもつもので、日本、中国、南アジア、東南アジア、アメリカ合衆国、イタリア、ブラジルなどにみられる。

有色米や色素米にはタンニン系の赤米のほか、アントシアニン系の黒米(紫米、紫黒米)、クロロフィル系の緑米がある。

赤米にもジャポニカ型の短粒種とインディカ型の長粒種がある。
長粒種はベトナムのチャンパから11世紀に中国に伝播した。

 

うるち米
うるち米は普段ごはんとして食べられている米のことです。
日本のお米は大分類として、「うるち米」と「もち米」の2つに分けられます。


 

精米か玄米か、白米か赤米かを分ける以前の大きな分類の話です。コシヒカリやあきたこまちはお米の銘柄を指しますが、「うるち米の一種である」と言うこともできます。


 

米袋の成分表には「名称:精米」としか書かれていないものもありますが、これは「うるち」が省略可能なため。


 

一般のお米の名称欄が「精米」の場合、正しくは「うるち精米」という意味になります。


 

うるち米の語源
諸説ありますが、サンスクリット語が由来となったという説が有力です。

米の原産国のひとつはインドだといわれていますが、インド最古の古典には、稲のことがサンスクリット語で「vrihi(ウリヒ)」と書かれています。それが日本に伝わり「うるち米」の語源になったという説です。



 

陸稲(りくとう/おかぼ)
畑で栽培される稲。野稲(のいね)とも呼ばれている。

水稲に較べて水分条件により厳しい畑状態に適したイネと位置づけられているが、植物学的な差異は無い。



 

また、古くから陸稲として栽培されてきたものもあれば、水稲から品種改良されたものもある。