駿河区(するがく)に有る登呂遺跡へ
下川原
駿河区桃園町にURの賃貸住宅440戸が有ります。
2DK(8~10号棟)180戸 3K(1~7号棟)260戸
駿河区(するがく)
2005年(平成17年)4月1日に誕生した静岡市の行政区の一つ。
2003年(平成15年)4月1日に旧清水市と合併する前の旧静岡市域の内、東海道本線以南および旧長田村域が区域となる。静岡市にはこの区の他に葵区と清水区がある。
駿河区役所庁舎は、静岡市内3行政区中、唯一政令市移行に伴い新築されたものである(葵区役所は静岡市役所内に設置、清水区役所は旧清水市役所庁舎を使用)。
静岡市の行政区のうち、人口・面積ともに最も規模が小さい区である。
西は焼津市、藤枝市、北は葵区、東は清水区、南は駿河湾に接する。
その地勢は、西の焼津市境の満観峰や、東の清水区境の有度山(日本平)など丘陵に挟まれ、中央部には静岡平野があり住宅街を形成し、安倍川が流れている。
↑ 登呂遺跡マップ ↓
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登呂遺跡70周年
登呂遺跡は平成29年(2017年)7月13日をもって昭和22年(1947年)7月13日に行われた、戦後の発掘調査の鍬入式から70年の時が経ちました。
戦後の日本考古学の出発点となった登呂遺跡は、特別史跡としてはもちろん、平成28年(2016年)には出土品の重要文化財指定を受け、70年の時を経ても変わらずにその価値を保ち続けています。
登呂博物館開館50周年
令和4年度で、登呂博物館は開館50周年を迎えました。登呂博物館は半世紀もの間、登呂遺跡の歴史的価値を後世に伝えるための拠点施設として、参加体験型の展示を導入するなど、試行錯誤を繰り返しながら進化してきました。
この展示では、登呂博物館が開館した昭和47年(1972年)から、登呂遺跡と歩んだ50年の歴史を紹介しています。
芹沢銈介美術館
わが国染色界の重鎮、芹沢銈介(せりざわけいすけ・1895~1984)より、郷里の静岡市に作品とコレクションが寄贈されたのを機に建設の運びとなりました。
昭和56(1981)年の開館以来、様々な企画展示、作品の保存収集、調査研究を通して、芹沢の芸術を広く紹介し、その偉業を後世に伝えるべく活動を続けています。
わが国では珍しい染色作家の美術館として、日本内外から多くの染色ファンを集めています。
芹沢銈介は、明治28(1895)年静岡市葵区本通に生まれました。
東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案科卒業後、生涯の師である柳宗悦と、沖縄の染物・紅型(びんがた)に出会ったことを契機に、型染めを中心とした染色の道を歩み始めます。
芹沢には色彩と模様に対する天与の才能があり、従来の染色の枠組みにとらわれない、新鮮で創意あふれる作品を次々と制作しました。
芹沢は非常に多作で、また染色にとどまらない幅広い仕事をしましたが、生涯を通じて明快かつ温和な作風を貫いており、多くの人々に愛好されました。
その評価は国内にとどまらず、昭和51(1976)年にはフランス政府から招聘をうけてパリで大規模な個展を行い大成功をおさめました。同年に文化功労者となり、昭和59(1984)年4月、88歳で惜しまれつつ永眠しました。