Chinese dining花華
島田市ばら公園前に有る中華レストラン。

リーズナブルな価格で満腹満足な中華料が売りの由。



 

↑ Chinese dining花華 ↓

 

 

未だお腹が空かないからとはスルーして、次の目的地「小泉八雲記念館」へ向かう。


 

静岡銀行
静岡県静岡市葵区に本店を置く、しずおかフィナンシャルグループ傘下の地方銀行。

日本国内の店舗展開エリアは静岡県全域のほか、東京都区部、神奈川県、愛知県、大阪市。海外ではアメリカ合衆国にニューヨーク支店とシリコンバレー駐在員事務所、ヨーロッパに欧州静岡銀行、アジアに香港支店、シンガポール支店と上海駐在員事務所を持つ。
 

 

焼津市文化センター
焼津市三ケ名にある施設。焼津文化会館や焼津市立焼津図書館、焼津市歴史民俗資料館、焼津小泉八雲記念館、喫茶店を複合している。また、清見田公園が隣接している。



 

市立総合病院跡地に1983年10月着工し、1985年6月28日に開館した。
2007年6月27日には、小泉八雲記念館が開館した。


 

焼津市立図書館

緑に囲まれた清見田公園に隣接し、焼津市文化センター内に位置します。焼津の郷土資料、小泉八雲や第5福竜丸に関する資料をはじめ、一般書・児童書・雑誌・紙芝居・CDなど様々な資料を収集し貸出しております。


 

また、おはなし会や朗読会、こども映画会や絵本原画展、こどものつどいなどの催しや講座も開催しています。どなたでもお気軽に利用出来ます。

休館日 月曜日、第4金曜日、年末年始


 

焼津小泉八雲記念館

、明治の文豪である「小泉八雲」を顕彰し、八雲が愛してやまなかったこの地“焼津”における足跡と地域の人々との交流や温もりあふれるふれあい、さまざまな創作活動などを広く伝えるため、2007年に開館しました。


 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
1850(嘉永3)年6月27日、ギリシャ本土西側のイオニア海に浮かぶ風光明媚な地・レフカダ島で生まれました。


 

父はアイルランドへ移住したイギリス人の子孫であるアングロ・アイリッシュ出身でイギリス軍医、母はギリシャ人でした。また、八雲自身はイギリスの国籍を持っていました。

 

少年時代~アイルランド・イギリス~
2歳のハーンは父の転任により、父の実家があるアイルランドのダブリンへ母と共に移ります。

しかし、異国での生活に馴染めなかった母はハーンを置いて故郷のギリシャに帰り、ハーンが6歳の時に両親は離婚します。


両親と別れたハーンは、資産家で子どものいない大叔母(父の母方の叔母)に引きとられ、イギリスの学校に入学しますが、遊戯中の事故で左眼を失明してしまいます。

さらに17歳の時に大叔母が破産するという悲劇が訪れ、そこから彼のさすらいの人生が始まります。



アメリカ時代
1869(明治2)年にハーンは新天地を求めて、イギリスのリバプールから移民船に乗りアメリカへ渡ります。

まず始めにオハイオ州シンシナティに落ち着き、貧しい生活に苦しみながらも勉学に励み、やがて新聞記者としてその文才が広く認められるようになります。

1877(明治10)年に大都市ニューオーリンズに移り、1884(明治17)年にこの町で開催された万国産業綿花博覧会で、日本から出品された美術工芸品を通じて日本文化に触れたことが、ハーンと日本を結ぶ重要な契機となりました。



日本へ
1891(明治24)年、ハーンは松江の元士族の娘・小泉セツと結婚。

翌年に松江を去り、熊本の第五高等学校の教師となります。1894(明治27)年に神戸クロニクル社の記者となり、1896(明治29)年、45歳でイギリスから日本に帰化して「小泉八雲」となりました。

帰化後、帝国大学文科大学(現東京大学)の講師として神戸から上京し、翌1897(明治30)年の8月に初めて訪れた焼津の海を大いに気に入り、以後亡くなるまで6回もの夏を焼津で過ごしています。

八雲は東京帝国大学に7年間在職した後、1904(明治37)年に早稲田大学文学部の講師となりますが、その年の9月26日に心臓発作のため54歳で死去。

日本文化に与えた功績により、1915(大正4)年に従四位が送られました。
法名は「正覚院殿浄華八雲居士」。墓は東京の雑司ケ谷にあります。


 

ふれ愛像(作者不明)
ブロンズ像
銅像とブロンズの名称について
一般的に銅像とブロンズ像は同じものを指す言葉ですが、厳密にその2者には違いがあります。

ただし、この違いは名称の由来によるものですので、価値の評価に関わるものではありません。

 

銅像とは読んで字のごとく「銅で作られた像」のことですが、実際の銅像は銅だけで作られることはなく、銅を主体に錫などを混ぜた合金で作られます。

そしてこの合金のことを、一般的には「ブロンズ」と呼んでいます。

文字どおりに表しますと、銅像とブロンズ像は似て非なるものということになりますが、実際の銅像に純度100%はあり得えませんから、あえて銅像をブロンズ像と区別する必要はないことになります。



 

ちなみに銅を使った合金のなかで代表的な品といえば、銅に亜鉛を合わせた真鍮/黄銅や、銅に錫を混ぜた砲金(青銅)、銅と亜鉛とニッケルを混合した洋白(洋銀)があります。

真鍮で有名な品は「五円硬貨」、砲金で有名な品は「十円硬貨」、洋白で有名な品は「五百円硬貨」が知られています。