秋薔薇
バラには、5月上旬頃に見頃を迎える春のバラと、10月中旬から下旬にかけて見頃を迎える秋のバラがあります。



 

↑ アズリンローズ ↓

 

 

気温が下がってきた頃に咲く秋のバラは、春に比べてゆっくり時間をかけて咲くため、つぼみから満開となるまで、長い期間バラを楽しむことができます。



 

また、時間をかけて咲く分、春バラと比べて色も香りも濃いことが特徴です。

はままつフラワーパーク・ローズガーデンでは秋バラが見ごろを迎えるのは、10月初旬から少しずつ開花。


 

↑ バニラ パフューム 

 

朝夕が寒くなるに従い花が増え、ピンク、黄色、赤、白と花壇を豊かに彩る。

 


日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナス)は日本原産である。


 

ノイバラの果実は利尿作用があるなど薬用として利用された。

古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。


 

『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。

常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっている。


 

また、中国で栽培されていたバラもその多くは江戸時代までに日本に渡来している。


 

江戸時代には身分・職業を問わず園芸が流行したが、中国原産のバラであるモッコウバラ、コウシンバラなどが園芸品種として栽培されていた。


 

江戸時代に日本を訪れたドイツ人ケンペルも「日本でバラが栽培されている」ことを記録している。また与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残している。


 

明治以後 大手私鉄の参入
1950年代には、大手私鉄各社が沿線開発の一環としてバラ園の造営を行うようになり、各地にバラ園が開園された。

 

京阪電気鉄道は戦前から大阪府枚方市で菊人形の展示などを行っていたが、秋の風物である菊に対し、春の風物としてバラ園を開園し集客を図ることとした。



同社は「東洋一のバラ園」の造園を企画し、当時は日本人でただ一人の英国園芸協会会員で、バラの導入や品種改良で実績のあった岡本勘治郎をバラ園造営の監督に迎えた。

1955年に京阪ひらかた園芸企画(現:京阪園芸)を設立、同年12月23日にひらかたパーク内に「ひらかた大バラ園」を開園した。

現在は「ひらかたパーク・ローズガーデン」の名称で営業している。



 

関東でも同時期に、京成電鉄が戦前から千葉県習志野市で直営していた遊園地「谷津遊園」内に、1957年にバラ園を開園。

谷津遊園でも秋には菊人形展が行われていた。1959年には京成バラ園芸を設立するとともに、千葉県八千代市に「京成バラ園」を開園した。

谷津遊園の閉鎖後もバラ園は習志野市営「谷津バラ園」として残されている。


 

続いて小田急電鉄の直営遊園地「向ヶ丘遊園」にも1958年に「ばら苑」が開園。

向ヶ丘遊園の閉鎖後は川崎市により「生田緑地ばら苑」として保全されている。


 

また東京都調布市にあった京王帝都電鉄の直営遊園地「京王遊園」に1952年に開園した東京菖蒲園(のち京王百花苑)は1997年に「京王フローラルガーデンANGE」としてリニューアルされ「ローズガーデン」が設置された(2021年閉鎖)。


 

大手私鉄系園芸・造園会社の中でも、とりわけ京阪園芸と京成バラ園芸の2社は、沿線観光施設としてバラ園を運営するだけでなく、バラの育種も手がけ新品種を多数作出している。


 

このように農業試験場や種苗会社だけでなく、鉄道事業者がバラの育種を牽引している点は日本の特徴である。