神職
神主(かんぬし)
本来、神社における神職の長を指していたが、現在では神職と同じ意味で用いられる。



 

神官(しんかん)は、国家の官吏として祭祀を司る職業のことで、第二次世界大戦前は伊勢神宮の「神宮司庁」の祠職のみが呼ばれた。

日本国憲法施行以後、神道は国家管理から離れた為、神官は存在しない。



 

江戸時代までは物忌(伊勢神宮、鹿島神宮)、忌子(賀茂神社)などの名称で女性の職掌も存在し、他の職官でも女性の神職は存在した。しかし、儒教思想に影響を受けた明治政府の宗教政策により、女性神職は存在しなくなった。


 

↑ 神職と参拝者 ↓

 

その後、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に男女同権思想と、神社の後継者問題(主に出征した神職の戦死、長期未帰還など)の面から、再び女性神職が認められるようになっている。


 

階位
神社本庁では、「階位検定及び授与に関する規程」により、以下の5つの階位区分がある。明階までは所定の研修を受けることにより昇進が可能である。なお、階位の名称は神道で徳目とする「浄明正直」(浄く明く正しく直く)から取られたものである。


 

浄階(じょうかい)
階位の最高位で、長年神道の研究に貢献した者に与えられる名誉階位。


 

明階(めいかい)
別表神社の宮司及び権宮司になるために必要な階位。この階位であれば、勅裁を要する伊勢神宮の大宮司以外ならどこの神社の宮司にもなれる。


 

正階(せいかい)
別表神社の禰宜及び宮司代務者になるために必要な階位。


 

権正階(ごんせいかい)
一般神社の宮司及び宮司代務者、別表神社の権禰宜になるために必要な階位。


 

直階(ちょっかい)
一般神社の禰宜及び権禰宜になるために必要な階位。
 

 

節分追儺祭
節分
各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。特に江戸時代以降は立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。


 

歴史
節分の行事は宮中での年中行事であった。延喜式をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。


 

もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は、平安時代頃から行われている「追儺(ついな)」(矢で鬼をはらう中国の風習)から生まれた。


 

 ↑ 所轄警察官による防犯事故対策の注意喚起など ↓

 


 

『続日本紀』によると706年(慶雲3年)にこの追儀が始まり、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。

 

『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年(文安4年)に「鬼外福内」を唱えたと記されている。


近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。



 

一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。

 

 

篝火
鉄製の籠の中で薪をたいて照明する火をいい,またその鉄製の籠を篝という。




「かがり」は「輝り」の意であるという。「万葉集」に鵜飼いのときに篝を用いた歌があるので,奈良時代からあったことがわかる。

 

平安時代以来さかんに用いられ,「北野天神縁起絵巻」には船の舳先(へさき)につっている。

 

 

篝の形には半球形のもの,下を細くして鉄輪(かなわ)が動くようにしたものなどがある。




鎌倉時代には京都に48ヵ所の篝屋がおかれ,ここに兵士がたむろし,夜中の警護に当たった。


 

篝というのを衛兵のことにも解するのはこれからである。

 

 

儀式の庭上,陣中にも用いられた。

 

 

↑ 節分追儺祭の開始を待つ善男善女 ↓