黄八丈
は日本三大紬の一つで、江戸時代から明治の初めまではすべて年貢として内地へ納められていたようです。

 

染と織の二分業制で染色から機織りまで一貫した生産を行っています。

染料はすべて八丈島で自生する草木が用いられ、それぞれ島独自の染色法により染め上げられています。



 

↑ 黄八丈めゆ工房 ↓

 

黄八丈は、黄色、樺色、黒色の3色を基調とした絹織物です。染料は島内に自生している植物の草木染で、黄色は八丈刈安(コブナ草)、樺色はマダミ(タブの木)の樹皮、黒色は椎の木の樹皮と沼浸けで染めて行きます。

 

 

媒染は榊・椿の灰汁(あく)など、アルミナ媒染によって鮮やかな発色が生まれ、独特の雅味と光沢を作り出しており、孫の代まで色褪せないといわれる卓越した染色技術が特徴です。

 

織機は昔は地機で織られていましたが、現代では高機により織子が丁寧に力強く織り上げて行きます。

 

一説には、一疋(二反分)の長さが曲尺で八丈(約24m)に織られていた事が「八丈島」の由来とも言われています。

 


年貢の代わりに貢納布として幕府に納められていた他、江戸時代後期には「恋娘昔八丈」という人形浄瑠璃で「黄八丈」の衣装が採用され、後に歌舞伎として上演されて爆発的な人気を誇ったと伝えらています。



黄八丈の特徴は、八丈島固有の風土の中から生まれた「染め」と「織り」にあると言われており、経済産業省伝統的工芸品として、また東京都産業労働局東京の伝統工芸品としても、「本場黄八丈」が指定を受けています。




そしてその糸ですべて人の手によって織られています。

黄八丈といえば、特別きものが好きでなくても、格子の黄八丈に黒繻子の掛け衿の着物姿を思い浮かべるかもしれません。



世間に広く知られている黄八丈ですが、黄八丈の中でも「黄八丈めゆ工房」の山下家の黄八丈は別格の存在で、使われている糸や染などは「黄八丈めゆ工房」の特別な物です。



 

↑ めゆ工房 ↓

 

 

工房に入ると、最初に「黄八丈」の工程をビデオで見せての説明です。


 

黄八丈めゆ工房とは
山下家は、め由をはじめとし、娘の八百子、孫も芙美子の女3人の所帯でした。



 

↑ ビデオ画像で行程を見る ↓

 

山下家の先祖は江戸時代に海運業を営んでおり、め由の祖父の与惣右衛門が早くに父を亡くした孫娘のめ由を引き取り八丈島に古くから伝わる泥染の秘伝を伝授したそうです。


 

山下家は染を生業としていますが、め由は黄八丈の歴史において染の伝統の化身ような存在で、伝説的な人物として当時のメディアにも取り上げられています。


 

め由の娘の八百子は、曽祖父である山下与惣右衛門氏から指導を受け、また母親のめ由からも多くを学び、独学で島の女性たちから織を、更に柳悦孝(民芸運動の創始者である柳宗悦の甥)の教えを受けて多様な柄の組方での織りを学びました。

 

め由の染の技術と八百子の織りの技術が結合して、山下家の黄八丈の技が完成しました。


め由は黄八丈の染、八百子は染だけでなく織の技術も傑出し、め由は1984年に八百子は1986年に東京都指定無形文化財技術保持者に認定されています。


 

「黄八丈めゆ工房」は、組合に属さずに家族だけで古くからの技法を守り、古来から伝わる染や織の技法を親子代々の職人として忠実に受け継いでいます。


 

現在は芙美子さんが織を、ご主人の譽さんが染色を担当し、2人を中心とし現代の時代にあった黄八丈を制作されています。


 

使われている糸
「黄八丈めゆ工房」では、新小石丸の絹糸が使われています。

この新小石丸は、昭和天皇の母宮から譲り受けた極細で美しい糸を作り出す小石丸という蚕を掛け合わせたものになります。

皇居内にある紅葉山御養蚕所で飼育される日本古来の原蚕種である小石丸の姉妹品種になります。


 

「黄八丈めゆ工房」で作られる作品は、黄八丈の中でも最高級品とされており、他の組合等の黄八丈に比べると生地がしなやかで上品な光沢があります。


 

この生地のしなやかさや光沢感は、新小石丸の糸を織り込んでいるからです。
 

 

「黄八丈めゆ工房」の黄八丈のしなやかさや上品な光沢感は他の紬織のきものと比べても、群を抜いて素晴らしいと思います。



 

新小石丸の極細の糸により反物の厚みも違いますし、それによる着心地の良さはもちろんのこと、たとう紙を開けた時の光沢の素晴らしさや絹の音は極上で格別で、何度触れても感動してしまいます。

 



↑ 染色工程 ↓



 

「黄八丈めゆ工房」の黄八丈に触れるたびに「糸の持つ力」「糸の質」がいかに重要かを感じてしまいます。
 

 

見た目だけの綺麗さに拘るのではなく、着物の本物の美しさや素晴らしさの原点は「糸」によるものなのだと感じずにはいられません。