八丈島三日目 
大坂トンネル展望台付近は、島随一の交通の難所で、ここを境に大賀郷、三根は坂下、樫立、中之郷、末吉は坂上と呼ばれています。



 

隧道は日露戦争戦勝記念に明治38(1905)年に着工、明治40(1907)年に竣工しましたが、その後莫大な費用を投入して昭和38(1963)年に隧道の拡幅や横間道路の改修に着工し、昭和43(1968)年7月5日に完成しました。


 

工事の途中では、何度も大崩落が起こって、そのつど犠牲者を出したうえ、政府や東京府からの補助金はなく、島民からの税金だけで造られたため、倒産する会社が出るなど、大変な難工事でした。


 

そして、平成6(1994)年、更に夢の逢坂橋が完成しました。
「大坂の夕照」として八丈八景に詠まれているほどの美しさを誇ります。

大坂夕照(説明文)
大坂は島一交通の難所で、此処を境に大賀郷、三根は坂下、樫立、中之郷、末吉は坂上と呼ばれている。隧道は日露戦争戦勝記念に掘られたが、その後莫大な費用を投入して隧道の拡幅や横間道路の改修をし、最近夢の逢坂橋が完成し、夕日の美観が八丈八景に選ばれている。

そばだてる 巌に憂きを 隔てつつ 夕日涼しく 越える大坂
                                                鹿島 則文



 

鹿島則文
鹿島神宮大宮司であった鹿島則孝の長男として生まれる。1860年(万延元年)安井息軒に儒学を学ぶ。

尊皇攘夷や敬神廃仏を唱える水戸藩士が集う文武館に土地を貸して交流をもったことが問題視され、1865年(慶応元年)八丈島に遠島となる。

明治維新後の1869年(明治2年)に赦免。帰郷後、神領会所(鹿島神領の役場)の廃止に伴ってその建物を学問所「稽照館」とした。

1873年(明治6年)鹿島神宮大宮司、1884年(明治17年)神宮大宮司に任じられた。

祭儀の復興、林崎文庫の整備、神宮皇學館(皇學館大学の前身)の拡充、『古事類苑』の出版などに尽力した。1898年(明治31年)、内宮炎上の責を負い辞職し鹿島に戻る。

1901年(明治34年)10月10日、63歳で病没。茨城県鹿島郡鹿島町三笠墓地に葬られる。



 

大坂隧道之碑
八丈島は大坂越(おおさかごし)、登龍峠を境にして坂上3村と坂下2村に分かれていました。

この坂上と坂下を結ぶ主要街道の大坂越は、急な坂で崩壊も多く、危険な道でした。

 

1907年に日露戦争の戦勝記念事業として、大坂トンネルと大里を結ぶ新道が建設されました。

工事の途中では、何度も大崩落が起こって、そのつど犠牲者を出したうえ、政府や東京府からの補助金はなく、島民からの税金だけで造られたため、倒産する会社が出るなど、大変な難工事でした。

右側の四角の碑がそのときの大坂隧道の碑です。左側が昭和43年竣工した拡幅工事を行ったときの大坂隧道改修之碑です。




 

大坂隧道改修之碑
大坂隧道と横間道路は阿坂島司の職を賭けた英断と八丈島各村村民の献身的夫役に依って明治四十年に開通したものであるが近時急激に交通輻輳して島民は拡幅舗装改修を渇望するに至り美濃支庁長は美濃部知事と諮り国の補助を得て昭和四十一年に着工し同四十三年竣工して輸載の便産業の振興等八丈島の飛躍的発展を促した

茲に碑を建て旧碑も復元して改修の功を悠久に記念する

昭和四十七年八月二十九日 大坂隧道之碑建立実行委員会 建之
                               八丈町長 (以下15団体代表者名列記を略)

 

 

展望道路
大坂トンネル展望台
展望台と言う名称が付いているが、夢の逢坂橋に有る横断歩道を渡った付近の歩道である。



 

↑ 橋上の横断歩道 夕照の説明図解 ↓

 

横断歩道とは、歩行者が道路を安全に横断するため、道路上に示された区域のことである。この横断歩道は橋上を横切るためのものである。

 

 

大賀郷と樫立を結ぶトンネルを上がると大坂トンネル展望台はあります。曇りが多い八丈島ですが、晴れた日には、横間海岸まで峰が伸びている三原山・八丈富士・海の上に浮かぶ八丈小島が見え、すべてを堪能することができます。



 

八丈一周道路の橋梁脇にあり、急坂・急こう配に気を取られ見落としてしまいそうな場所に展望台はあります。ぜひ通り過ぎず一度車を降りてこの景色を見てほしいです。

車を一応停めるところがあるのですが、少し分かりづらいかもしれません。もし通り過ぎてしまっても、どこかでUターンをして戻ってきてほしい場所です。


ガードレールには島の魚、トビウオが描かれています。

 

 

石畳の道路にいろいろな形をした石が埋め込まれているのもそうなんですが、八丈島は景観を気をかけてつくられているところが多いのです。

 

 

何気ない場所にも遊び心があり、そうゆうところも楽しみながら八丈島を満喫していただきたいです。



 

↑ 八丈富士と八丈小島 八重根漁港消波ブロック ↓


 

八丈八景
「土さえもさけるほど照る大坂を下る夕の苦しかりけり」


 

八丈八景とは、近江八景にならって、1866年に流人の中臣則文なかおみのりぶみが八丈島流罪中に選定し漢詩に詠んだものです。

 

 

八丈島の8か所が厳選されており、その中の1つに大阪トンネル展望台が選ばれています。


 

八丈八景は「前崎晴風」、「大里晩鐘」、「尾端夜雨」、「神湊帰帆」、「名古秋月」、「藍ケ江落雁」、「大坂夕照」、「西山暮雪」の八景である。


 

大坂トンネルまでの「逢坂橋」が架かる「横間ヶ浦」あたりの地形は、有史以前のマグマ水蒸気爆発の爆裂火口跡なので、物凄い急峻な地形となっているため工事は大変艱難だったとのことでした。


 

↑ 玉石の有る横間海岸 ↓

 


 

↑ 横間海岸と逢坂橋 ↓

 

 

大坂トンネルは、昭和56(1981)年10月に着工し、平成6(1994)年3月に完成しています。


全長・1325mの工事に、なんと13年間もの年月を要していたのです。


 

↑ 横間洞門 横間海岸温室栽培施設 ↓

 

 

明治40(1907)年に竣工した全長151mのトンネルで「坂下地区」の大賀郷と「坂上地区」の樫立を結ぶ、島の重要な道路です。

 


 

トンネルの手前には、展望台と駐車場が完備されていて便利です。

 


 

勇壮な「西山; 八丈富士」、黒々とした玄武岩が広がる「南原千畳敷」と呼ばれる迫力ある海岸、青い海に浮かぶ可愛い「八丈小島」が並び、その壮大で美しいと眺望は「八丈八景」のひとつである。