八丈島紀行 三日目朝食
フレンチトースト
アメリカ州、ヨーロッパの一部、アジアの一部の国・地域などで朝食や軽食、デザートとしてよく食べられているパン料理の1種である。

 

溶いた鶏卵と牛乳などの混合液をパンに染み込ませ、フライパンなどにバターや植物油を熱して焼いたもので、パンがしっとりした食感に変わる。



 

フレンチトーストには様々な作り方があるが、基本的なものはパン(食パンやフランスパンをスライスしたもの)に、鶏卵と、牛乳かオレンジジュース、それにナツメグ、シナモンなどのスパイスを混ぜた調味液(カスタード液)をしみこませて、フライパンなどで軽く両面を焼いて作る。

 

調味液にバニラエッセンスを加えることもある。

 

パンも食パンだけでなく、レーズンを含んだレーズンパンやナッツを含んだパンを使うことがある。

 

また、1枚ではなく、2枚を合わせて、間につぶしたバナナなどのフルーツを挟んだり、ジャムやピーナッツバターを塗る場合もある。好みで、バター、メープルシロップ、生クリーム、粉砂糖、ガムシロップ、蜂蜜などをかけて食べる。




名称と歴史
フレンチトーストに類似する料理は、ヨーロッパの様々な国で作られていたことが記録に残っている。

最古の記録は古代ローマの料理書『アピキウス』の中で「アリテル・ドゥルキアつまり「もう一つの甘い料理」とのみ呼ばれるものである。

パンを牛乳にひたして作るが、鶏卵の使用については言及されていない。

 

中世ヨーロッパではスッペ・ドラーテ「黄金のスープ」、スーピス・イン・ドリェ、トステ・ドレ「黄金のトースト」、パン・ペルデュフランス語の「失われたパン」の転訛などの名で広く知られていた。

15世紀イタリアの料理人マルティーノ・ダ・コモも調理法を書き残している。この料理がしばしば「スープ」と呼ばれたのは、パンを液体に浸すソップからである。

 


 

フランスやベルギー、コンゴ共和国、カナダのニューファンドランド・ラブラドール州、アメリカのニューオーリンズやアケイディアナでは、フレンチ・トーストはフランス語でパン・ペルデュ、すなわち「失われたパン」と呼ばれる。

ミルクや卵に漬けることで硬くなったパン「失われたパン」を「生き返らせる」ものであることがその理由である。

フランスでは朝食としてではなくデザートとして食べられている。日本でも、「パンペルデュ」の名で脚光を浴びるようになってきている。

一方、ケベック州やアカディアではパン・ドレ「黄金のパン」)と呼ばれる。

かつて「パン・ペルデュ」はフランス語で埋没費用を指す隠喩でもあった。15世紀に英語で書かれたパン・ペルデュの料理法も存在する。
 



14世紀のドイツではアルメ・リッター「貧乏騎士」と呼ばれており、英語の別名プア・ナイト、スウェーデンのファッティガ・リッダレやフィンランドのクーハト・リタリットなども同じ意味である(北欧にはクリームなどを使ったより贅沢な「金持ち騎士」というデザートもある)。

同じく14世紀には、ギヨーム・ティレルが「トステ・ドレ」のレシピを著書「レ・ヴィアンディエ」に書いている。



オーストリアとバイエルン州ではイタリア語のズッパ・パヴェーゼ(「パヴィーアのスープ」)に由来するパフェーゼ(Pafese)もしくはポフェーゼ(Pofese)と呼ばれる

2003年頃にイラク問題をめぐってアメリカとフランスの関係が悪化した際、反仏活動の一環として民間の食堂がフレンチポテトをフリーダムフライに改称したことが話題になった。

アメリカ合衆国下院議会でもこれに追随し、ボブ・ナイ下院議員が主導して下院の食堂のメニューにあったフレンチポテトをフリーダムフライに改称したが、これにあわせてフレンチトーストもフリーダムトーストに改称されたことがある。


 

日本フレンチトースト
日本では、食パンを用い、鶏卵と牛乳に砂糖を加えた液を染み込ませて、フライパンで焼くのが一般的であるが、店によってバリエーションも広い。

パン屋で焼いたものを売る場合や、パン工場で焼いたものをコンビニエンスストアなどで販売する場合もあるが、これらの場合は日持ちを考えて、中まで液を染み込ませず、表面に薄く付けただけのものが多いため、飲食店で出すものとは食感などに違いがある。



 

クロワッサン
バターをパン生地に折りこんで焼き上げるパン。フランス発祥で、サクサクした食感が特徴的である。

フランス語で三日月を意味し、形状が名前の由来となっている。フランス語では「croissant」と書く。

その独特のサクサクした食感は、生地を伸ばしてバターを均一にはさんで折りたたみ、それをまた伸ばしては折りたたむことで、生地とバターがそれぞれ多重に薄い層をなし、それを焼き上げることで生み出される。

 

 

八丈ジャージー牛乳カレー
ゆーゆー牧場のジャージー牛乳を使ったカレー。
子どもも大人もみんな大好き、国民食のカレーですが、水の代わりに迷わずジャージー牛乳を使った特濃カレーです。


 

カレーライス(和製英語:curry rice)
カレーを米飯にかけて食べる料理。

カレーの歴史は古く18世紀、インドからイギリスに伝わりました。インドにはカレー粉というものがなく、19世紀にイギリスで初めて作られました。


 

インド料理を元にイギリスで誕生し、日本には明治時代にイギリスから伝わり、日本で独自に変化・発展した料理である。

イギリスでは「curry and rice(カリーアンドライス)」のほか、「curried rice(カリードライス)」とも呼ばれる。


 

日本では省略して「カレー」と呼ばれることが多く、ラーメンと並んで『日本人の国民食』と呼ばれるほど人気がある料理である。

小中学校の給食メニューの人気アンケートでもつねに上位に挙げられている。


 

インドのカレーよりとろみが強くなっているのは、インドからイギリスに伝わった際に、シチューと同様に小麦粉によってとろみをつけるようにレシピが変化したため。

また、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたからという説もあり、イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社により生産されたカレー粉がフランスに渡り、フランス料理のカリー・オ・リ(curry au riz) の名の西洋料理になったともいわれている。


 

ライスカレーとカレーライスの違い
ライスカレーとは
大正時代から「ライスカレー」という言葉は日常的に使用されていましたが、ご飯のうえにカレーのルーがかかったもの、現在のカレーライスのことを「ライスカレー」と呼んでいたそうです。

当時は、カレーとご飯が別のお皿で出てきたものを「カレーライス」と呼んでいました。


 

↑ コーヒーサーバー ↓

 

 

明治の終わり頃、陸軍のカレーの作り方には「カレーライス(カレー汁掛飯)」というメニューがあったそうです。

現在では、多くの日本人がカレーライスと言いますが、その歴史からみると、ライスカレーという呼び方の方が一般的だったことは間違いありません。


 

↑ コーヒーとジャージー牛乳プリン ↓

 

 

東京五輪からはカレーライスが定番に
明治・大正時代、カレーライスはそこまで一般的な食べ物ではありませんでした。なぜならば、とても高級な料理だったからです。

1927年(昭和2年)、この頃になると町の食堂でカレーがメニューにのるようになり、人気を博しました。



 

そして、東京・新宿「中村屋」高級カレー「純印度式カリー」が登場しました。

当時の町の食堂で食べるカレーが10〜12銭だったのに対して、中村屋の高級カレー「純印度式カリー」はなんと80銭。

昭和5年(1930年)の大卒者の初任給が50円だったことを考えれば、かなり高級な食べ物です。それでも、中村屋のカレーは大人気商品になったとのことです。



 

1950年(昭和25年)には日本初の固形ルーが誕生、この頃、テレビのCMなどで「カレーライス」という言葉が頻繁に使われ始めました。

1963年(昭和38年)には、ヒデキ感激!で有名なバーモンドカレーが発売になり、1964年東京五輪前には「カレーライス」という名称が定番化されていました。

1968年(昭和43年)には、世界初の市販用レトルトカレー「ボンカレー」が販売され、一般家庭でも気軽に食べることができ、日本人の国民食と呼ばれるようになりました。