城
敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備。
広義における城(弥生時代の環濠集落を含めた場合)の総数は約3万とされる。
日本の城は、古代から江戸末期までに平地や丘陵、山を利用して築かれた。
しかし、日本における城は古代と中世以降で使われている土木、建築技術や用途が多少異なる。

現在までに、城といわれているものは中世から明治時代までに築かれたもので、武家や城主などが日本国内の敵対する武力集団から守るための防衛施設である。

古代、日本では「城」を“き”と読み、「柵」の字も用いた。
「柵」は主にヤマト王権が東北地方に設置した政治行政施設を併設する防御施設(城柵)を意味する。

「城」は水城や大野城のような西日本に点在した古代山城や防壁の類いを意味する。

これらは663年の白村江の戦いに敗れたヤマト王権が敵対した唐や新羅からの侵攻を想定して、滅亡した百済から日本に亡命した人々の指導によって築かれた防御施設で、版築土塁の外郭城壁をもつ特徴があったが、後の中世以降の築城技術へとは継承されることはなかった。

巨木」とは
大きな木という意味です。
幹が太く、高さのある木のことをいいます。
どの程度の幹の太さで、どの程度の高さならば「巨木」というのか、定義はありません。
幹周が10m以上、幹高が20m以上ある木が、このように呼ばれていることが少なくありません。

海外にある「巨木」には、アメリカのグラント将軍の木、シャーマン将軍の木、ワウォナ・ツリー、台湾の香林神木、ニュージーランドのテ・マツア・ナヘレなどがあります。

ちなみに、将軍の木の幹周32. 8m、幹高は81. 5mです。

あまりにも高くなってしまうと、強風で折れてしまうことがあります。

「大木」と「巨木」の違い
どちらの言葉も意味は同じで、大きな木という意味を持っています。
どの程度の大きさをいうのか、はっきりとした定義はありません。

幹の太さによる違い、地上からの高さによる違いによって、言い方を変えているのではありません。
中世、戦国時代では小高い丘陵や山などに郭(曲輪)と言う平地をいくつか設け、その郭を柵や土塁で囲ったり、切岸と言って、斜面を急に加工して下の郭から上がりにくくしたり、堀切や竪堀という尾根を分けるように切った堀などで、他の郭からの侵入を困難にしたり、区分けをした。
郭の入り口を小口(虎口)といい、その小口に門を設けたりもした(この時代は矢倉門や冠木門が主流)。
大抵は、主郭(一の丸、本丸)、二の郭(二の丸)、三の郭(三の丸)という風に郭を名付ける。

近世城郭の建築と水堀(松本城 - 長野県松本市)
戦国時代中ごろまで弓矢や槍が中心だった古来の戦い方に、新たにポルトガルから伝わった火縄銃が加わったことで、塀や建物に防弾を考慮する必要が生じた。
織田氏や豊臣氏の台頭する時代から徳川氏が政権を樹立した江戸時代までの城は、こうした銃器に対する策として、内部に石や瓦礫を入れた分厚い土壁(太鼓壁)やおもに寺院に使われていた屋根瓦、銃弾の届きにくい幅の堀、そして石垣が多用されることとなる。
土塁の方が銃弾や砲弾の衝撃を吸収しやすいが、傾斜を急にしにくかったり、威圧感が薄かったり、崩壊しやすく、城壁や櫓などを作るには不向きであるため多用されなかった。

五稜郭はこの辺を考慮して土塁の城になったと考えられる。城地の選択も、主力であった山や山岳からより利便性の高い平地や平地に近い丘陵にも多く築かれるようになった。
山城の麓に館を営んで生活や政務を行っていた城主や領主は、それまで有事のときにだけ篭っていた城内に生活の場所を移すようになった。

この城郭の利便性の追求と建築の恒久化は寺院建築や住宅建築の特徴を多く取り入れ、日本城郭特有の天守のような重層な櫓の要素をもった楼閣建築を発生させた。
このように、城の外観には戦うためだけのものというだけではなく、内外に主の権威をしめす目的も含まれるようになり、現在まで日本で見られるような独特な形式の城となった。

奄美・沖縄地方
グスクの石垣と建築群(首里城。沖縄県那覇市)
鹿児島県の奄美諸島および沖縄地方の城は「グスク」または「スク」と呼ばれるものである。
12世紀、沖縄地方に点在していた領主の「按司(あじ)」の居城で、城内に「ウタキ(御嶽)」や「ウガンジュ(拝所)」と呼ばれる沖縄地方特有の信仰施設を持つ。元々聖地のような土地を取り込んで築かれている。

三山時代に多くのグスクが築かれ、現在までに見られる多くのグスクはこのころのものである。
土木や建築の技術、特に石垣は日本内地の石垣とは異なり、琉球石灰岩を加工した石積みの石垣であって外観も曲線をなして角さえも丸みを帯びている。

また、中国や朝鮮半島で「馬面」(マーミェン)や「雉」(チ)と呼ばれる横矢がかりの出張りや、城門においては牌楼や石造のアーチ門()(拱門)が見られるなど、日本内地の城郭建築と異にする箇所が見られる。
建築物では日本城郭の二重櫓や天守のような高層建築はなく、ぎっしりと建てられた舎殿のほか櫓としては門上の櫓のみである。





