巡照板
「巡廊鳴版」の略。或る場所の木版を鳴らしたのを合図に、順番に各処の木版を鳴らすことを巡版という。

 

境内が広いので打ち鳴らされた音が修行僧たちに十分に聞こえないことを懸念して回廊のところどころに「巡照板」と呼ばれる欅の厚板が吊るされている。

木槌が添えられていて時刻を知らせるために当番の僧侶はこの板を激しく叩く。

叩かれ続けたので木槌の当たる部分が凹んでいるが、木の板の音は静寂な禅寺の境内に似つかわしい音信号である。



 

「恐怖時光之大速所以行道如救頭燃」と書かれているが、もはや読めない。

時が過ぎるのが速いと恐れ 修行に没頭すれば そのような事を考える暇はない と言う事だそうです。

 

承陽殿
道元が、寛元2年(1244年)に開いたのが永平寺で、開山の道元禅師の真廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置し、永平寺歴代住職の位牌や全国の曹洞宗寺院住職のを安置するのが承陽殿(じょうようでん)。



 

↑ 長い階段や廊下を歩く ↓



 

その承陽殿に付随する門が承陽門です。日本曹洞宗の発祥の根源であり、曹洞宗の聖地ともいえる場所です。


 

現存する承陽殿は明治14年の築。


本殿中央に道元禅師の尊像と霊骨を安置し、左右に2代から5世までの尊像が祀られています。

 

↑ 緑豊かな樹木にも癒される ↓

 

 

 

階段下の拝殿には6世以降の永平寺歴代住職の位牌、左側には相模国波多野荘(現・神奈川県秦野市)を本拠とし、地頭として越前国志比荘を領有した永平寺の開基・波多野義重(はたのよししげ=子孫は曹洞宗の檀家筆頭)の尊像、道元禅師生家である久我家の位牌、全国の曹洞宗寺院住職の位牌などが祀られています。

 

 

 

↑ 法堂へ ↓

 

 

承陽殿内部中央に掲げられた扁額は、明治天皇の筆。
承陽門では、破風の細工にも注目を。

 

 

法王法
禅門で上堂が行われた際に、その最後に助化師(西堂)が白槌して満座の堂衆に述べる言葉、「諦観法王法、法王法如是」の上の句。


禅門で上堂が行われた際に、その最後に助化師(西堂)が白槌して満座の堂衆に述べる言葉、「諦観法王法、法王法如是」の上の句。訓読すれば、「法王の法を諦観せよ、法王の法は是の如し」となり、意味としては「法王である世尊の法を良く見極めよ、法王の法とはこのようなものである」となる。

 

訓読すれば、「法王の法を諦観せよ、法王の法は是の如し」となり、意味としては「法王である世尊の法を良く見極めよ、法王の法とはこのようなものである」となる。



助化師(じょけし)
現在、日本の曹洞宗では、住職となって初めての結制(大勢の修行僧が一ヶ所に結集すること)を行う場合、助化師として、他の寺院の尊宿を西堂として迎えることになっている。

法堂(はっとう)
永平寺の七堂伽藍の最も高いところに位置するのが法堂。黄金の天蓋が美しい説法の道場で、380畳敷という広さを誇ります。



法堂は七堂伽藍の最も高いところに位置しており、ここから四季折々の美しい景色が眺められます。現存する法堂は、幕末の天保14年(1843年)の改築です。

聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が、祀られているところです。聖観世音菩薩は、一般的に言う観音様のこと。

毎朝、雲水(修行僧)らによる朝課諷経(ちょうかふぎん)がこの法堂で行なわれています。
朝課を終えると、小食(しょうじき)と呼ばれる朝食です。



 

永平寺では三時諷経といって朝、昼、晩の3回、雲水達が集まり諷経をあげ、それぞれを朝課諷経、日中諷経(にっちゅうふぎん)、晩課諷経(ばんかふぎん)と呼んでいます。

朝課は暁天坐禅の後に法堂で、日中諷経と晩課諷経は仏殿で行なわれています。階段の左右には阿吽の白獅子が配されています。




天蓋
仏像や住職が座っている上に翳される笠状の仏具。

人天蓋
貴人(聖人)の寝台、玉座、祭壇、司祭座などの上方に設ける覆い。



 

元々はインドで、強い日差しを避けるために用いられた日傘だった。王侯貴族が用いる日傘は特に豪華に作られ、常に従者がこれを差し掛けて従ったものであり、また天蓋は権威の象徴の一種でもあった。

これが仏教に導入され、帝釈天が常に天蓋を差し掛けて釈迦に従ったという伝説が形作られた。「観仏三昧海経」には、仏の三十二相の一つである白豪相が放った光明が天蓋と化したと説かれている。

後には釈迦の姿から作られた仏像に用いる、天井から吊るす装飾具となった。


 

尊い者を守る蓋であると同時に、「仏の徳が自ずから外に現れ出た徳そのものである」とも言われる。

よって天蓋は尊く素晴らしい徳を意味し、貴人、貴尊の象徴であるため、天蓋が豪華で美しい程その下に居る仏は徳が深く、偉大であることを表す。

そしてこの蓋は、蓋を見た者自身が徳を積み、自然と天蓋を差し掛けてもらえるような人物になって欲しいという願いも込められている。

これらの蓋の形状は、長方形・六角形・八角形・円形等である。材質は金属、木が主に使われるようになり、彫刻や装飾が施されるようになった。尚、儀式等において僧侶に差しかけられる番傘も天蓋である。