お詫び

23日掲載の「魚津市有磯海パーキング」は、本日の「北陸自動車道」の後に掲載すべきところ、前後を間違えました。お詫び申し上げます。

 

起点 新潟市    
主たる経過地 上越市 富山市 金沢市 福井市 敦賀市    
終点 米原市


 

新潟県新潟市江南区の新潟中央ジャンクション(JCT)から滋賀県米原市の米原JCTへ至る高速道路(高速自動車国道)。


略称は北陸道(ほくりくどう)。
高速道路ナンバリングによる路線番号は、「E8」が割り振られている。



 

新潟県から富山県・石川県・福井県・滋賀県へと至る高速道路で北陸地方の主要都市をほぼ網羅しており、東北自動車道、中国自動車道に次いで、国内の高速道路では3番目に長い路線でもある。


 

全線にわたって国道8号とほぼ並行しており、高速道路ナンバリングが導入された際にも「E8」が継承された。道路カラーは金沢の街並みをイメージするベンガラ。


 

全線を日本道路公団が建設・管理・運営していたが、2005年(平成17年)10月1日の道路関係四公団民営化後は朝日インターチェンジ(IC)を境に東側の新潟中央JCT〜朝日ICを東日本高速道路(NEXCO東日本)が、西側の朝日IC(朝日ICを含む) - 米原JCTを中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理している。


 

上下線が左右反対となる今庄IC - 敦賀IC間
敦賀IC〜敦賀トンネル付近は、土地利用の関係で、上下線まったく別のルートを通っている。

この区間は一部で当時の国鉄の北陸本線の廃線跡を使用しており、杉津PAの上り方面施設は杉津駅の廃駅跡に建てられたものである。

また木之本IC〜武生ICと、朝日IC〜上越ICは、トンネルが連続する区間である。



 

特に前者の区間は、冬季に吹雪による視界不良や降雪によるスリップなどの交通障害が多発している。

そのため標識で「山岳ハイウェイ」との告知がされ、チェーン脱着場も多数設けてある。とりわけ、敦賀IC - 敦賀トンネルは前述の理由で一度スリップなどで交通事故が発生すると、他路線では一般的な「反対車線に機材を投入する」という方法が使えない。

そのため、特に冬季には木之本IC以北では、すべり止めの着用規制がかかることが多い。


 

日本海
名称
中国における古称は鯨海(けいかい)であった。

古代の日本では北海と呼んでいた。
『日本書紀』の垂仁天皇2年是年条に、朝鮮半島から来た都怒我阿羅斯等が穴戸(長門)を出て海路を迷ったあげく、「北海をまわって出雲国を経て」越の笥飯浦(現在の敦賀)に至ったという話がある。



 

「日本海」が初めて見えるのは、イタリア出身の宣教師マテオ・リッチが北京で作った「坤輿万国全図」で、1602年に刊行された。

日本では1802年(享和2年)に蘭学者山村才助が『訂正増訳采覧異言』で初めて用いた。そしてロシア海軍のクルーゼンシュテルン提督(1770-1846)の著書『世界周航記』が続く。

英語ではSea of JapanまたはJapan Sea。ラテン語ではMare Iaponicum(マレ・ヤポーニクム)。

フランス語ではmer du Japon、ドイツ語ではJapanisches Meer、であり、いずれも『日本海』を意味する。

現在、国連および国際的な海図の大半は「日本海」(もしくはその訳語)という表記を使用しており、国際的にこれが一般的である。


 

海図上の名称の基準になっている国際水路機関(IHO)の「大洋と海の境界(S-23・1953年) 」においても、Japan Sea の名称を用いている。

太平洋 の一部という認識も強く、ウラジオストクにある艦隊の名称やナホトカにあるシベリア鉄道ナホトカ支線のナホトカ航路との接続駅は「太平洋」を名乗っており、「太平洋通り」という名称の通りもある。


 

 

朝鮮語において、韓国では(トンヘ、東海)、北朝鮮では(チョソントンヘ、朝鮮東海)との呼称が一般的である。この他、昔は(チョソンヘ、朝鮮海)などとも呼ばれている。

韓国は、「日本海」の国際使用は植民地統治の残滓(日帝残滓)であるとして「東海」、「韓国海」、「朝鮮海」等への置き換えもしくは併記を主張している。



 

日帝残滓(にっていざんし)とは、日本による朝鮮統治時代に、日本から朝鮮半島に伝わった文化・文物を除去すべき対象とする罵倒用語。韓国や北朝鮮でマスコミや日常会話でも使われる。



 

日本が民族精神を奪うために「風水侵略」を行ったという主張もあり、しばしば排斥すべきだという意見が唱えられる。

その対象は言葉や建築物などのほか、印鑑証明といった制度や国旗掲揚に用いる額縁、何かに対する「誤解」という概念まできわめて多岐にわたる。

しかし、「グラ」などを筆頭に日本由来のものでは無いのが日本語由来とされている。

またその対象が「日本海」という呼称や「KOREA」というアルファベット表記にも及ぶため、国際問題に発展することもある。



 

哲学、主観、客観、理性、芸術、文学、心理、科学、技術、権利、義務、大統領、首相、長官など朝鮮時代に存在しなかった近代用語は日本語由来であるため、事実上置き換え困難であり、新用語は普及していない。

下記にも認定されているが、運動会など教育制度や近代言語など深く普及していることでそのままになっている。


 

魚津市
富山市の市街地より北東に約22 kmに位置する日本海(富山湾)に面した都市である。

旧越中国の一部であり、かつては北陸街道の宿場町、富山湾の港町、魚津城等城郡の城下町、寺社群の門前町、商業・産業都市として栄えた。

現在は新川地方中核都市圏である魚津都市圏の中心都市であり、富山県における7番目の人口規模。



 

↑ 最初の休憩地/魚津市有磯海パーキング ↓

 

 

市内の多くが立山黒部ジオパークである。沿岸地域は世界で最も美しい湾クラブに加盟した富山湾に面し、蜃気楼、ホタルイカ、魚津埋没林(国の特別天然記念物)が有名。

また、漁業が盛んであり、北洋漁業の根拠地となっている。
ホタルイカが水揚げされる富山市から魚津市にかけての富山湾沿岸は、特別天然記念物に指定されている。周辺都市に比べ大型の郊外型商業施設の出店が多い。



 

また、あいの風とやま鉄道線と富山地方鉄道本線の乗り換えが可能なため、立山黒部アルペンルートや黒部峡谷鉄道(トロッコ電車)など観光地への交通の要衝であり、乗り換え客や宿泊施設が多い。



 

市名は、大道、魚堵(をど)→小戸ヶ浦(をどがうら)→小戸(をど)→小津(をづ)と変わったのが、小戸ヶ浦の称していた頃の住人である高円、久和の2氏が、当地で開発した漁法によって魚が多く獲れるようになった結果、魚の産地ということで1595年(文禄4年)4月に「魚津」となったのが由来である。


 

また現在は「うおづ」であるが、戦後すぐまでは「うをづ」と表記しており、昔は「を」を「うぉ」と発音した時期があったことから、「表記:をづ(発音:うぉづ)」から「うおづ」になった可能性がある。一部の地元住民の発音では「うぉーづ」と聞こえる。ローマ字表記ではUODU(うおづ)ではなく、UOZU(うおず)となる。


 

市のマスコットキャラクターは「ミラたん」で、2012年の市制60周年に合わせて一般公募により採用された。