石垣牛
石垣牛の産地である石垣島は、ハワイとほぼ同じ緯度に位置する日本の最南端である南国の島。



 

八重山郡島内で飼育される黒毛和種は、およそ3万5千頭にも及び、まさに大繁殖地帯であり、石垣島には悠々と牛を飼育できるだけの土地、燦々と照りつける日差しを受けて一年中青い草地、起状ある土地に蓄えられた豊な水、厳寒を知らない温暖な気候と、和牛の繁殖経営に適した条件が揃っている。



 

また、この繁殖地でブランド「石垣牛」はJAおきなわの管轄にある、JA石垣牛肥育部会を中心に、ほとんどが一貫経営をおこなっており、子牛の段階より年間5回は刈り取りのできる粗飼料をふんだんに与え、長期の肥育期間を愛情込めて消費者へ信頼、安心、安全な「石垣牛」生産には励んでいます。



 

JA石垣牛定義
1、
「石垣牛」とは、八重山郡内で生産・育成された登記書及び生産履歴証明書を有し、八重山郡内で生後おおむね20ヶ月以上肥育管理された純粋の黒毛和種の、去勢及び雌牛のことをいう。

2、
出荷期間は、去勢で24~35ヶ月、雌で24~40ヶ月の出荷範囲以内とする。

3、
品質表示は、日本食肉格付協会の格付を有する枝肉
特選:歩留等級(A・B)肉質等級(5等級・4等級)
銘産:歩留等級(A・B)肉質等級(3等級・2等級)

4、
1~3までの条件を満たした枝肉に対し石垣牛ラベルを発行する。

5、
店舗販売業者においては、JAおきなわの発行する「石垣牛」ラベルで表示致します。


 

↑ 石垣市公設市場内 メードインアメリカ(休業日でカバーが掛けられ業種は不明) ↓



 

いちば食堂
石垣市公設市場最上階にある穴場のお店。
地元の素材や薬草を使った八重山家庭料理は、市場で働くおばぁ達からもお墨付きの味。

島の食材と薬草をふんだんに取り入れた、昔ながらの体にやさしい八重山家庭料理が味わえるお店。



 

石垣島唯一のアーケード街「ユーグレナモール」内の公設市場最上階にあり、市場で購入した石垣牛や魚介類などの食材を、一品¥400~調理してくれる。

豚だしのきいた"あじくーたー(コクのある)"スープが特徴的な八重山そばは地元客にも大人気。



 

安心・安全はあたりまえ
「石垣市特産品販売センター」には、石垣島生まれの新製品など多岐にわたる豊富な品々が並び、単なるお土産品の枠にとどまらない石垣島の産業の今も見えてきます。


 

取り扱う品物は石垣島島内最大級をほこり、石垣市の生産事業者が1999年に開設した「石垣市特産品振興会」が認定した純石垣島産の特産品を1000アイテム以上取り揃えており、品質的にも安心・安全な石垣島産のこだわり商品を見つけることが出来る特産品直売店となっています。


2013年には石垣島に新しく開港した新石垣・南ぬ島(ぱいぬしま)空港にも出店しています。

 

石垣島のおもてなしを
安心・安全の純石垣島産の特産品のすべてが「石垣市特産品販売センター」には揃っています。




石垣市特産品販売センターのスタッフも「客に石垣ならではのお土産を提供したい」という思いをそのままに、様々な商品とともに客に石垣島の空気を伝えられるよう、今日も元気に笑顔いっぱい客を待っている。


 

石垣市特産品販売センター
八重山諸島の空の玄関口である新石垣・南の島(ぱいぬしま)空港から車で約20分の所にあり、石垣市の中心街にあるアーケード街。

 

ユーグレナモールの中央に位置する「石垣市公設市場」に本店を構える石垣島最大級の特産品直売店で、石垣市が認定する特産品製造業者37社が中心となり運営を行っています。


 

石垣島のすべてがそろう
石垣島の特産品や伝統工芸品などを一堂に集めた広い店内では、石垣島の果物や泡盛、お菓子や美容・健康食品、石垣島に関する書籍やCD、石垣島仕様の様々なキャラクターグッズまで取り扱っております。



つまり、「石垣市特産品販売センター」では石垣島にあるほどんどのおみやげ物を買うことができるのです。


 

寿美庵(琉球ガラス)
数ある琉球グラス製品の中でも寿美庵は、沖縄県から認定を受けた「沖縄県工芸士」の情熱が注がれ造られる同じものがふたつとないハンドメイドの琉球グラスにこだわりご提供しています。


 

琉球ガラス
沖縄県の沖縄本島を中心に生産される、吹きガラスなどのホットワーク作業のガラス工芸品である。「沖縄ガラス」「琉球硝子」と表記されることもある。

この項で述べる「琉球ガラス」は、太平洋戦争後の資源難のため、沖縄にあるアメリカ軍基地で捨てられたコーラやビール,ペリエなどの空き瓶を溶かして再利用したことから始まる品である。

最近は、食洗機対応のものが増え人気が出てきている。

 

現在の沖縄地方には、アジアとの貿易を通じて比較的早くガラス製品がもたらされていたと考えられている。また、その製造は明治時代中期には始まっていたとされる。

また、1909年(明治42年)には、現在の那覇市奥武山付近の那覇区西町に鹿児島の商人によって近代的なガラス工場が建てられた。

琉球ガラスは、戦後に雑多な瓶を溶かして再生されたガラスを使用して作成されたことから、厚手の赤色や緑色などの多彩な色合いとなり、再生の過程で混入する気泡と相まって独特の味わいをもつガラス製品となった。

冷蔵庫の普及と共に、沖縄でよく飲まれる泡盛をロックで飲む機会も多くなり、旧来の酒器であるカラカラから、広口で制作されたガラスコップを使うようになった。



 

このことが、沖縄が観光地化するにつれ観光客の目にとまり、その手作り感と泡盛と合う涼しげなガラス器ということで「琉球ガラス」として人気が出た。

現在は、いわゆる沖縄ブームもあってメーカーや工房も増え、それぞれが腕を競い合い、廃瓶だけではなく新規にガラスの溶解からの制作も始められている。 

新たな材料や手法なども取り入れて、表現方法も芸術的な作品から贈答品向けまで多彩になりつつあり、琉球ガラスの職人が「現代の名工」に選出されるなど、沖縄の伝統工芸や地域ブランドとして認知度を高めている。

また、沖縄独自のとんぼ玉、「ホタルガラス」も作られるようになった。



一方で、ベトナム産の品を、沖縄で生産された琉球ガラスと混同される表現を用いて販売していたとして、公正取引委員会から原産国の不当表示として指摘され、景品表示法に基づく排除命令が出た例がある。

これは、沖縄での生産能力やコスト面での不利を理由にベトナムに現地法人を設立し、現地採用した職人を指導・育成しながら生産していた品であった。 

さらに、模倣品を海外の製造業者に発注・輸入し、これをあたかも琉球ガラスのように販売する業者もあらわれ、問題となっている。

これらの品について、琉球ガラスは地域の産品・工芸品ではなく、製法として広義に解釈している傾向も見られる。