泡盛
全国で8ヶ所しかない国定の名勝地川平湾と於茂登連山を一望できる地に、創業51年目を迎える高嶺酒造所がある。

 

石垣島内で最も自然環境に恵まれた地に居を構える酒造所は、親しみを覚える手書きの看板がほのぼのとした優しさを感じさせてくれる。

 

 

大正時代には主流であった直火式釜での蒸留法。現在では循環式蒸留機という機械的な蒸留法が主流になりつつある中、この酒造所は直火式釜での蒸留法を守る数少ない酒造所です。


 

酒造所内は、ガラス越しのギャラリーになっており、泡盛の製造過程と直火式釜をたっぷりと見学することできます。

 



機械化された泡盛の製造過程を観光客に見せるより、泡盛を本当に知って貰うには昔ながらの製法、手作りの製法を見せる事。故にギャラリーを通してその製法を見てもらいたいと、語る高嶺聡さん。

 

いずれこの酒造所を継ぐあととり息子は、若い闘志を酒造所に注ぎ込みます。



 

この高嶺酒造所のもうひとつの特徴は、古酒オーナー。
2000年に乾杯!と始めた古酒の預かりが今年で22年目を迎えます。



 

石垣島での旅の思い出や新婚旅行の思い出に自分の名前や恋人の名前、夫婦の名前を刻んでいくのです。


 

そしてその古酒は、その熟成された年の年数だけまろやかになっていく・・・。
再びこの地を訪れたとき、その過ごした時間の分だけ角の取れた優しい年数を古酒は教えてくれるのかもしれません。


 

恵まれた自然に恩恵を受け、手作りの泡盛造りを守り続けていく高嶺酒造所。


この酒造所を訪れた人は、有効期限のない片道キップを手にし、再び訪れることを約束するのでしょう。出典: 泡盛ルポライターの富永麻子(有)高嶺酒造所。

 

泡盛
日本の琉球諸島で造られる蒸留酒である。

米を原料として、黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である黒麹によってデンプンを糖化し、酵母でアルコール発酵させたもろみを単式蒸留器で蒸留して製造する。



 

酒税法上は、単式蒸留焼酎(旧焼酎乙類)または原料用アルコール(「花酒」参照)に分類される。3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれる。




名称の変遷
琉球では泡盛のことを伝統的に「サキ」と呼んでいた。1720年に清の冊封副使として来琉した徐葆光は、その滞在記録『中山伝信録』で琉球の酒を「サキ」と記している。



 

9世紀に琉球を訪れた欧米の船舶の記録でも、泡盛は「サキ」と表記されており、この名称は長らく一般的なものであった。

「泡盛」という名称は、江戸時代前期の1671年に琉球王国中山王から徳川将軍家への献上品目録に「泡盛酒」と見えるのが最初である。



 

↑ 試飲のおもと ↓

 

於茂登(おもと) 30度
県内最高峰の於茂登連山の天然水で仕込んだアルコール度数30度の一般酒。
 

 

老麹仕込みの直火の地釜蒸留ならではの上品で香ばしく、やわらかで甘くきれいな風味が楽しめます。

泡盛本来の旨味を活かした簡易濾過で、のびがきくため、水割りで飲むのがおすすめ。

 

 

泡盛ファンだけでなく、泡盛を初めて飲むという方にもおすすめの高嶺酒造の代表銘柄です。1,800㎖、720㎖、600㎖、100㎖

 

 

これに先立って、1660年の島津光久から江戸幕府第4代将軍徳川家綱への献上品の中にも「泡盛」と記された例がある。

それ以前にも献上は行われていたが、「琉球酒」「焼酒」「焼酎」といった名称が使われていた。

 

島津氏を藩主とする薩摩藩は、1609年の琉球侵攻により琉球王国を附庸国としており江戸幕府(徳川将軍家)への献上は薩摩藩を通じて行われていた。


 

薩摩藩では琉球から伝わった蒸留技術を用いた焼酎づくりが盛んになったが、そのような焼酎も「泡盛」と呼ばれることがあった一方、琉球産の酒も「泡盛」「琉球酒」「焼酎」「焼酒」等と様々に呼ばれていたものが、元禄年間(1688年 - 1704年)頃に琉球産の酒については「泡盛」という名が定着し、「焼酎」と明確に区別されるようになったと考えられている。



 

太平洋戦争における日本の降伏を経た沖縄の本土復帰後、泡盛は焼酎乙類に分類された。酒類表示に「泡盛」を使用することはできなかったが、1983年に「当該品目の名称以外に一般に慣熟した呼称があるものとして大蔵省令で定める酒類」として例外的に「泡盛」の表示が認められるようになった。


 

また、同年、『泡盛の表示に関する公正競争規約』が作成され、沖縄県産の泡盛には「本場泡盛」の表示が認められた。1995年6月には、「琉球」が国税庁長官が指定した酒類の地理的表示(GI)として認められた。

2004年には、国税庁の『地理的表示に関する表示基準』と『地理的表示に関する表示基準第2項に規定する国税庁長官が指定するぶどう酒、蒸留酒又は清酒の産地を定める件』が公示されて、沖縄県産の泡盛には「琉球泡盛」の表示が用いられるようになった。

「琉球泡盛」は2006年12月に地域団体商標の登録も受けている。


 

沖縄県内では「島酒」(しまざけ、しまざき)とも呼称される。「シマーグヮー」や「シマー」という略称は、泡盛が不人気であった時代には蔑称として用いられたが、現在は親しみを込めた愛称として認識されている。



 

名称の由来
「泡盛」の名の由来には諸説があるが、よく語られるのが、蒸留の際、導管から垂れてくる泡盛が受壷に落ちる時、泡が盛り上がる状態を見て「泡盛る」となり、転じて「泡盛」となったという説である。

実際、琉球では蒸留した酒を茶碗に入れて泡立たせ、徐々に水で薄めて泡が立たなくなるまでそれを繰り返すことによってアルコール度数を決定していた時期がある(現在はアルコール分1%を越えるものが酒)。

これは、蒸留酒に含まれる高級アルコールなどの起泡性成分の含量がアルコール度数に比例することによる。沖縄の歴史家東恩納寛惇はこの説を採っている。



 

文書の上では、1762年に薩摩に向かう途中で台風に遭い、土佐国(現在の高知県)に漂着した楷船に乗っていた琉球の官吏から土佐藩が聞き書きした『大島筆記』に、「泡盛とは、焼酎の中、至て宜きは蒸して落る露微細なる泡、盛り高になる。それを上とする故也と云えり。」との記述がある。

一方、伊波普猷は、「もり」は酒を意味する古語であり、タイ米が使われるようになる前は米と粟(アワ)とを原料としたことから、「粟もり」が転じて「泡盛」になったとする。



 

島津重豪の命により編纂された『成形図説』(1804年頃)も粟に由来するとの説を採る。『臨海水土志』にも「粟(あわ)を以て酒を為り」のように、アワでみきを造っていたことによるとの説が見える。

この他に、献上品を指すアワモラチによるという説[、サンスクリット語の酒を意味する「アワムリから来ているとする説などがある。