具志堅用高像

ユーナグレ石垣港離島ターミナルビルと桟橋の間に「具志堅用高像」が有る。

 

 

↑ 具志堅用高像と作者名 ↓
 

田畑 功(たばた いさお、1955年-)
日本の彫刻家。富山県高岡市出身。富山県立高岡工芸高等学校・デザイン科卒。

日展会員/審査員、日本彫刻会会員/審査員/運営委員。芸術院会員の雨宮 淳に師事。2003年に西望賞受賞。作品の多くは人物像・動物像・仏像。

また、田畑が制作した有名人・著名人・有名馬牛の像は全国各地に1千体余り存在する。

受賞歴
1976年 富山県展初入選
1980年 日本彫刻会(日彫)展初入選
1982年 日展初入選
2000年 「風雅」日展特選受賞
2002年 「遥か」日展特選受賞
2003年 「夢想」日彫展西望賞受賞
2008年 日彫展審査員に委嘱される[再2015年]
2011年 日展審査員に委嘱される[再2018年]
2012年 日展会員に委嘱される

 


 

元プロボクサー、タレント。沖縄県石垣市(石垣島)出身。元WBA世界ライトフライ級王者。
ニックネームは「カンムリワシ」。生来のサウスポーだが、書き手は右。

 

ボクシングスタイルはファイタータイプ。血液型A型。トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。

入場テーマ曲は、メイナード・ファーガソン「Conquistador」(征服者)。

 

協栄ジム初代会長の金平正紀が具志堅の世界初挑戦の時に「100年に一人の天才」というキャッチフレーズで売り出した。




旧琉球王国の士族の家系である具志堅親雲上用易を元祖とする允氏具志堅家の系譜であり、名乗り頭に「用」の字を用いている。

沖縄の本土復帰後には、サウスポーであることから交通ルールの変更[17]を周知するCMにも出演した。

 

トレードマークとなる、ヒゲとアフロヘアーは、チャンピオンを目指しはじめた時から意識しはじめた。

 

世界に出ても気後れせずにという思いで、当時の中南米の選手がかっこ良くヒゲをはやしていたので真似をする。


 

ダウンした相手を殴る悪癖がある程、試合では気性が荒かったが、自分では臆病者だと語っている。

 

「周りから引っ張られたからボクシングを続けた。控え室に誰もいなかったら、迷わず試合を投げ出して逃げる自信があった」とも語ったことがある。

 

8度目の防衛戦の約1週間前となる1979年4月2日にTBS系クイズ番組「クイズ100人に聞きました」の第1回に家族で出場し、1992年の当番組最終回スペシャルにも「ボクシングチャンピオンチーム」の一員として出場した。

 

『世界戦の前日、※ボブ・マーリーと喧嘩し、後に意気投合し、翌日の世界戦に招待した』、というエピソードがWikipediaの記事として載ったが、そのことを本人にインタビューした際、「ボブ・マーリーって誰?僕は誰とも喧嘩なんてしたことないよ」と、否定している。

※ボブ・マーリー
レゲエの先駆者の一人であり、スカの時代から活躍し、ロックステディ、レゲエの時代まで音楽界を駆け抜けた。また洗練された歌声と宗教的・社会的な歌詞、曲で知られた。



現役時代、TBSの歌番組『ザ・ベストテン』にゲスト出演。チャゲ&飛鳥の飛鳥涼とパンチングマシン対決で敗れ、再挑戦するもリベンジには至らなかった。

具志堅を事実上引退に追い込んだペドロ・フローレス(現在はメキシコでボクシングジムを開いている)とは1997年にテレビ朝日で放送された『ザ・スーパーサンデー・あの人は今』の企画で再会し、1ラウンドだけだったがペドロのジム内リングで“リターンマッチ”を行っている。

 

協栄ジムの金平正紀前会長が広島出身で、広島東洋カープの後援会員だった関係で、毎年、会長とカープの日南キャンプに行っていたことから、カープの選手、特に山本浩二と仲良しになる。

現役時代はお酒は飲んでいなかったが、引退後、山本の行きつけだった六本木のクラブに出入りしてお酒を飲み始め、ここで星野仙一や田淵幸一、東尾修ら野球選手、ビートたけしや高田文夫、片岡鶴太郎ら芸能人との付き合いが始まり、その後のタレント活動につなげた。



デビュー前年に大場政夫が交通事故死した影響から現役時代は自動車免許を取得しなかったが、試合の勝利賞で自動車一台が貰えることも多く、その際は友人に譲った。

しかし名義変更を忘れていたため各種請求は自分のところに来て困り果てたという。

だが免許は引退後に無事取得した。初めて買った車は日産・セドリック。現在の愛車はメルセデス・ベンツ

引退後、衣笠祥雄らとともにアートネイチャーのCMに出演。アートネイチャーは白井・具志堅ジム設立当初のスポンサーだった。

 

本人が「そうですね」と言うとき、「ちょっちゅね」と訛ることが、片岡鶴太郎らのものまねもあって日本中に浸透。

「ちょっちゅね」は具志堅の代名詞にもなっているが知らない子供から「ちょっちゅね」と突然話しかけられるため、一時期は困っていたという。沖縄県には、『ちょっちゅね』というお菓子がある。


 

ユーモラスな発言による笑い話は有名で
カモンはコンクリート(ブロック塀)(“家紋”を“家の門”と勘違いしたらしい)』

母校のデントウはナショナル(蛍光灯)(これも“伝統”と“電灯”の勘違い)』

おとうさんは海を歩いています(“うみあっちゃ〜”=“海で歩く人”=方言で“漁師”の意味“うみあっちゃ〜”を標準語でなんというのかわからず直訳してしまった)』

(クイズ番組で)ラッキーセブンの5』などの発言をしたことがある。2006年はこの発言集をまとめた本が出版された。


 

ガッツ石松、輪島功一と共に出演した奥の細道を題材にした旅番組の俳句を作るコーナーで、指を折りながら五七五を数えていたにもかかわらず、出来た俳句は「みちのく 一人旅 志」というものだった。


 

全日本ホストグランプリの審査委員長も務めている。

元プロボクシング世界チャンピオン有志が中心となって関西で開催している「チャンプチャリティーゴルフ大会」を通して盲導犬の普及活動を進めている。

2004年10月から2005年3月には、サンテレビで盲導犬の社会啓発活動番組『具志堅用高のチョッチュネー!盲導犬〜光に向って走れ〜』のパーソナリティーを務めた。


 

2007年春、東日本協会会長選への出馬を表明したが、結果的に断念。
1995年に日本スポーツ出版社からボクシング教則ビデオを発売し、そのモデルにコウジ有沢が出演。

山口圭司は国際ジム入りが決まり掛けていたが、自身と同じ全日本高校王者から18歳でプロボクサーとなった具志堅や友利正の勧めで自身が憧れている井岡弘樹が所属していたグリーンツダに入門した。


 

亀田兄弟の非常識な振る舞い、対戦相手・戦績の問題点、反則スタイルなどに対し、くりかえしテレビ番組などで問題を指摘し、改めるよう発言している、その後は亀田兄弟ともテレビ番組などで共演をしており、具志堅に対しては敬意を表し接していた。

2010年6月30日、沖縄で35年ぶりに開催されたプロ野球公式戦「横浜ベイスターズ vs 東京ヤクルトスワローズ」戦( 沖縄セルラースタジアム那覇)の始球式に登場した。

地元沖縄のサッカークラブ「FC琉球」の二代目「ファイヤーサポーター」(初代は川平慈英)を務めており、具志堅をモチーフとしたマスコット「ぐしけんくん(仮)」も誕生している。

戦国時代を舞台とした漫画『へうげもの』に登場する加藤清正は具志堅をモデルにしている。

アニメ化された際にはその縁で原作者・山田芳裕から清正役の声優として指名され、引き受けた。ちなみに作中での清正の口癖は「ちょっちゅね」である。

2010年4月より、太田プロダクションに所属となる。同年6月に『クイズ!ヘキサゴンII』に出演すると、そのマイペースなキャラクターと珍解答で注目され、そのまま準レギュラーとなった。


 

太田プロ所属以前から天然ボケキャラを生かしてテレビ出演をこなしていたこともあり、2021年現在も数々のバラエティ番組に出演し、「ちょっちゅね」に代表される陽気なイメージと、独特のキャラクターで人気を集めている。

2010年5月には、日本における元世界チャンピオンらと共に、プロボクシング・世界チャンピオン会を設立した。

2011年5月、BEGIN、夏川りみとともに石垣市の観光大使に任命された。

2014年に国際ボクシング名誉の殿堂オールドタイマー部門に選出された。2015年にはイクメン・オブ・ザ・イヤー・イクジイスポーツ部門を受賞した。