前夜祭
翌日に行われる本祭のメインイベントを盛り上げるために、その前日の夜に行われる行事であり、翌日に向けてテンションを上げ、英気を養うのが目的となる。



 

本番が翌日である以上、前夜祭で全力出すことはお勧めできないが、ついついその場のノリで全力で参加してしまう人もいる。


 

前夜祭の歴史は深く、弥生時代に卑弥呼が邪馬台国での儀式政治を行っていた際から行われていたとされる説もある。




↑ 共同浴場 王湯 ↓



 

記念日や祝典などの前の晩に行われる催しを指します。

特別な事柄の前夜に祝い行う催しは、近年では、インターネットで多くみられている。


 

↑ 王湯の内部 ↓

 

 

キャラクターの誕生日の前日にファンアートをこぞってアップロードする祭り、リアルイベントの前日に告知番組をネット放送する。


 

↑ 王湯の受付と休憩室 ↓

 

 

ニコニコ動画に代表される例では、「組曲 ニコニコ動画」といった有名な動画の投稿記念日前日にコメントアートをはじめとするコメントが投稿されることなどがあげられるだろう。



前夜祭/宵祭り
 


湯かけ太鼓
湯かけ太鼓は名前の通り、川原湯温泉最大のお祭り、1月20日の大寒の際に奉納されるもので、夏祭りの宵祭りにも披露されます。




川原湯温泉の恒例行事「川原湯温泉ゆかけ祭り」が1月20早朝に開催れる前夜19日、共同浴場「王湯」の休憩室で湯かけ太鼓の総仕上げ開かれた。


 

関係者らの見守る中勇壮な「湯かけ太鼓」が披露された。前夜祭(宵祭り)は、神川原湯温泉ゆかけ祭りの前夜に開催。


 

現在は八ッ場ダム建設に伴い、5年ほど前に水没予定地から代替地へ移転し開催している。

 


長野原町が1987年に編纂した「長野原町の民俗 八ッ場ダム水没地域民俗文化財調査報告書」では、川原湯神社の秋祭りは8月27日としており、住民の聞き書きが次のように記録されています。

 

 

農作業の忙しい夏の終わりに、住民が英気を養う年中行事であったようです。

 

「昭和初年ころまでは、思いつきで仮装行列をしたり、神輿を出したこともあるが、旅館の門をこわして大きな問題になったこともある。

 

 

また映画を買ってやったり、草津から芝居を買ってやったこともあったが、その後はしない。」


「雨乞いは、ひでりが続いたりすると、農家を主として神社に集まり、祈願して、酒を飲んで、太鼓を叩いて雨乞いをした。



村中というわけでなく、何人かで集まって、酒を飲んで元気を出してやったものである。」

 

八ッ場ダムにより地区全体が水没することになった川原湯地区では、水没住民の移転代替地が金鶏山の尾根を挟んで打越地区と上湯原地区に分散することになりました。



川原湯地区は水没予定地の中で最も大きな集落でした。


1979年当時の川原湯地区は201世帯ありましたが(群馬県調べ)、多くの住民が地区外へ転出し、代替地の土地を購入して移転したのは32世帯(2018年3月末現在)。




人口急減により、集落の維持が困難な状況にあります。

 

 

↑ 湯かけ祭りの観覧特等席 篝火と松明 ↓

 

 

32世帯の多くはダム堤に隣接する打越代替地に移転しており、川原湯温泉も打越代替地に移転したのですが、お祭りと関わりの深い川原湯神社は、神社がこれまであった所に近い上湯原代替地に移転しました。



↑ 篝火と松明と焚き木 ↓


 

夏祭りは1987年刊行の報告書にもあるように、かつては住民のエネルギーがはじける場でもあったようですが、現在は住民が減少する中、八ッ場ダムに関係する国や群馬県の職員、工事関係者が目立ち、ダムと共に生きていかざるをえない川原湯の現状が伝わってきます。

 

 

↑ 湯かけ祭りは真っ暗な明朝5時です ↓