コロナ禍「老舗ホテル・旅館の倒産」続く
コロナ禍により、ホテル・旅館業界は大変なダメージを受けています。

 

 

↑ やまた旅館と千代家(小料理屋跡)を過ぎると道の右側は切り立った深い崖となる ↓



 

「あの老舗旅館が倒産!」などと報道されるたび、寂しく残念な気持ちになってしまう人も多いと思いますが、じつは、一般の人が抱くような「組織を畳んで解散する」ことばかりが倒産ではないのです。
 

 

2020年からの新型コロナウィルスの流行により、ホテル・旅館の倒産ラッシュが続いています。




↑ 山木館 ↓

 

 

緊急事態宣言下の休業要請や、外出自粛による宿泊者の減少で、ホテル・旅館・宿泊業界は苦境にあえいでおり、コロナウィルスの影響による2021年の宿泊業界の倒産件数は、過去10年で最多でした。

 

ニュース番組等でもたびたび老舗旅館の倒産が伝えられています。


 

ここで使われている「倒産」という言葉ですが、多くの方は「破産して、もう会社の経営が立ち行かなくなったから会社を畳む」というイメージをもたれるのではないでしょうか。
 

 

しかし法的には、「倒産」という言葉には「会社を畳む」「破産する」という意味だけではなく、会社を畳まずに、その会社の再建・リスタートをはかる「民事再生」という手続きの意味も含まれています。


 

ニュースや統計で使われる「倒産」という言葉は、会社を畳んだケースだけではなく、「民事再生」の意味で使われていることも多くあります。

そのため、「ホテル・旅館の倒産ラッシュ」というニュースがあった場合、「民事再生」という手続きを取って、会社を畳むことなく、再建・再起を目指し経営を進めている、大変ではあるけれども、未来に希望が持てるケースもあるのです。


 

老舗・山木館が一時閉館へ 
上毛新聞 2022/3/31
川原湯温泉で最も古い約360年の歴史がある山木館(群馬県長野原町川原湯、樋田洋二社長)が、5月21日チェックアウトを最後に一時閉館することが30日分かった。



 

八ツ場ダム建設に伴う高台移転を乗り越えた老舗旅館だが、コロナ禍の長期化で経営が悪化し、従業員を整理解雇した上で事業を見直すことにした。同館は「家族経営で再出発したいが、再開時期は未定」としている。


 

同館は1661年創業。ダム建設に伴い2013年に高台に移転した。現在は樋田勇人さん(27)が祖母の実家に当たる同館に養子として入り、専務兼15代目当主として切り盛りしている。


 

木造一部2階建ての全8室は「水車とムササビの宿」として知られた旧旅館の雰囲気を残す。

 

源泉掛け流しの温泉で1泊2食付き1人2万~3万円の高級路線で営業している。


↑ 移転解体前のクラス会

 

コロナ禍が始まった2020年春以降、県や国の観光支援事業で混雑する時もあったが宿泊客が安定せず、特に今年の第6波以降は予約客がなく10日間連続で休業したり、週末の1組だけのために営業するなど苦しい状態が続いていた。


 

↑解体された山木館 矢印の先は名物になったムササビの巣と餌付け台(樋で給餌)↓

 

 

「コロナゼロ」の語呂に合わせた5670円割引や、日帰り温泉事業などで集客に努めてきたものの正社員5人の雇用維持が難しく、一時閉館後に整理解雇する。


 

4月から県独自の観光支援事業「愛郷ぐんまプロジェクト」が始まり、国のGoToトラベル再開の可能性もあるが、「一時的に宿泊客が増えても経営が厳しいことには変わりなく、コロナによって受けたこれまでの影響が大きい」(勇人さん)と判断した。


 

旅館を運営する会社自体は存続させ、家族経営による民宿のような形態での再開を目指す。勇人さんは「ダム建設に伴う移転後も頑張ってきたので残念だ。

今後はこれまでのような手厚いおもてなしは難しいが、セルフ形式を取り入れ、宿屋が存続できるよう考えたい」と話している。

川原湯温泉協会によると、約20軒あった旅館はダム建設に伴う移転で6軒に減った。同温泉街には繁忙期だけ従業員を雇用する宿はあるが、同館の一時閉館に伴い通年で正社員を雇う規模の旅館はなくなる。

 


 

養寿館
古くから若山牧水をはじめ多くの文人墨客に愛されてきた。
大正7年(1918年)11月、若山牧水は水上から川原湯温泉を訪れ、「養寿館」に泊まる。


 

↑ 川原湯温泉で最も早く廃業し解体された川原湯を代表する養寿館 ↓

 

 

私の寄った養寿館という宿屋は見るさえも気味の悪い、数百間も高くそそり立った断崖の尖端の所に建てられていた。

 


 

↑ 旅館やまきぼし ↓

 

 

やまきぼし(山木星)
八ッ場ダム完成によって新温泉街を造成した代替地、最も遅く開業した旅館です。

やまきぼし旅館は新温泉街でやまきぼし湯宿としてリニュアルしました。

 


 

1193年(建久4年)から続く川原湯温泉の歴史を令和(れいわ)の新しい時代に繋げていきます。

 

 

やまきぼし(山木星)は、旧温泉街の大地主でも有ります。

 

私が疎開していた家も山木星が地主でした。

 


跡継ぎは二人兄弟で兄が私の一つ上、弟は私の一つ下でした。

此の写真は2014年1月19日この地で最後の「湯掛け祭り」が開催されるのを見るために泊まりました。


跡継ぎの兄弟は共に早世し、奥様と子供が切り盛りをしていました。