スポーツマンシップとフェアプレー
ゴルフと同じく本来は審判員が存在しないセルフジャッジ競技であり、スポーツマンシップが重要視される。

 

相手チームの失策を喜んだり、そのような態度を示すことは、慎むべき行為として忌避される。




途中のエンドの終了時に自チームに勝ち目がないと判断したとき、潔く自ら負けを認め、それを相手に握手を求める形で示すという習慣もフェアプレーの表れの1つである。勝ったチームも、抱き合うなどして喜びを表現する前に相手と握手する。


 

↑ シートとハック ↓

シート

カーリングは、長さ約44.5 - 45.7メートル(146 - 150フィート)、幅約4.4 - 5.0メートル(14フィート6インチ - 16フィート5インチ)のカーリング・シート(curling sheet、シート、アイス・シートとも)と呼ばれる細長い長方形のリンクで行われる。

 

 

ハック

ストーン(取っ手の付いた花崗岩製の丸い石)を投げるときに蹴り足を載せる台

 

ルールでは真正面に蹴らないといけません。

 

 蹴り足が関係なく右利きの選手は左側、左利きは右側のハックを使わなければいけません。 (普通は右利きの選手は右足をハックに入れますが、左足を使う投げ方も可能です)

 

 

この理念は、世界カーリング連盟が定めるカーリング競技規則の冒頭にカーリング精神 (The Spirit of Curling) として掲げられており、競技の根本がこの理念から成立していることを示している。

 

シート
カーリングは、長さ約44.5 - 45.7メートル(146 - 150フィート)、幅約4.4 - 5.0メートル(14フィート6インチ - 16フィート5インチ)のカーリング・シート(curling sheet、シート、アイス・シートとも)と呼ばれる細長い長方形のリンクで行われる。

 

シートは薄く氷が張られ、できるだけ平坦に保たれた上で、アイス・メーカーにより表面にペブル (pebble) と呼ばれる数ミリメートル程度の氷の突起が多数作られる。

氷温は摂氏−5度程度に維持される。カーリングを目的とした専用の競技場(カーリング・ホール、curling hall)にはこうしたシートが複数備えられ、同時に競技が行えるようにしたものが多い。

歴史カーリングの歴史は、1511年の刻印のあるストーンがイギリスのスコットランドで発見されており、15~16世紀にスコットランドで発祥したとされている。


 

ストーン(石)
上部に取っ手をつけた円盤型の石。

 

1チームが8個を使用し、カーリング競技を行うためには16個必要となる。

 

チームの判別のために上部はプラスチックのカバーで色分けされており、五輪などの主要な大会では主に赤と黄の物が用いられるが青や緑もある。

 

公式なサイズは円周が36インチ(約91センチメートル)以内とされており、よって直径は約29 cm以下である。

 

また、高さが4.5インチ (11 cm) 以上、重量は38 - 44ポンド(約17 - 20キログラム)と決められている。
 

 

当時は底の平らな川石を氷の上に滑らせていたものとされている。氷上で石を使うカーリングの元となったゲームの記録は、1541年2月に遡る。場所は、スコットランドのグラスゴー近郊のレンフルシャーである。


 

ベルギーの画家のピーテル・ブリューゲルの作品『雪中の狩人』(1565年)の遠景には、すでに氷上でカーリングを楽しむ人々が描かれている。


 

「カーリング」という名称の起源は定かではないが、1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されている。


 

スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていた。リンクや用具の寸法はヤード・ポンド法で規定されているが、これはスコットランド発祥である名残でもある。


 

カーリングの現在の公式ルールは、主にカナダで確立したもので、1807年には王立カーリングクラブが設立されている。




1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、さらに19世紀の終わりまでにはスイスやスウェーデンへと広まっていった。


 

カーリングは1998年の長野オリンピック以降、冬季オリンピックの正式種目として採用されている。


 

現在ではカナダ、アメリカといった北米、イギリス、スイス、スウェーデン、イタリア、デンマーク、ノルウェー、ロシアのヨーロッパ諸国で盛んなほか、最近では日本、中国、韓国といったアジア圏でも盛んに行われている。

 

 

日本におけるカーリング
日本におけるカーリングは、1937年1月17日に山梨県の山中湖湖上にてカーリング大会が開かれた記事が認められる。

1967年にアメリカ人のダンカーティスによって富士山麓にて講習会が開かれた。


 

1969年に長野県の蓼科湖にてゲームが行われ、1973年に第1回カーリング大会が開かれたものの、普及には至らなかった。

日本において競技として定着させる礎となったのは、カーリングをカナダの指導者とともに紹介した小栗祐治を中心とする社団法人北方圏センター(現公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター)であり、北海道の常呂郡常呂町(常呂町は、2006年に北見市と合併して消滅した。)である。


 

1980年の北海道とカナダのアルバータ州との姉妹提携を機に、北方圏センターがカーリング講習会を道内各地で実施した。

なかでも、当時の常呂町は当初からビールのミニ樽やプロパンガスのミニボンベなどでストーンを自作し、自治体を上げての普及に取り組んだ。


 

1981年には「第1回NHK杯(北見放送局)カーリング大会」を常呂町にて開催、さらには1988年に国内初となるカーリングホールを町内に建設した。

国内外の大会を開催してオリンピック代表選手を多数輩出するなど、常呂町は競技普及に大きな功績を残すことになる。


 

別な情報として「昭和51年には、日本で最初に池田町が導入し、町民のほか近隣町村への普及に努めました」ともある(※北海道池田町教育委員会)。


 

その後、1998年長野オリンピックでの男子チームのスキップ担当の敦賀信人の健闘や、2002年ソルトレイクシティオリンピックでの出場がテレビで中継されたことで日本でも徐々に認知が広がる。

2006年トリノオリンピックでは日本勢が不振の中で女子代表のチーム青森の全試合がテレビ中継され、7位に入賞するという活躍を見せたことで、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まっていった。


 

そして2018年平昌オリンピックでは、女子代表のLS北見がオリンピックのカーリング競技で日本勢初となる銅メダル、2022年北京オリンピックでは2大会連続のメダルとなる銀メダルを獲得した。

日本カーリング協会のデータによると、2018年2月の取材で日本のカーリングの競技人口は選手が約3000人、趣味で楽しむ人はその倍程度であるとされている。


 

近年、冬季五輪日本代表チームの活躍で人気は高まって来たものの、日本ではまだ常設のカーリング競技専用施設は非常に少なく、ほとんどがアイススケート場との併用でシート数も少ない状況である。 その理由としては、


 

カーリングシートは1シートあたりの長さが最低40m必要なため、シートを増やすと専用のカーリングホールは非常に大規模なものになるが、競技人口が少なく、建設費用の面から採算が合わず建設が難しい。

2006年トリノ五輪および2010年バンクーバー五輪でカーリングの解説を行い有名となった後、2016年12月に死去した小林宏が生前、山梨県の山中湖村に私財を投じて私設のカーリング場「Curlplex Fuji」を建設し話題となったが、常設2シートで建設費用は約1億3000万円と言われている。



 

2020年に北海道北見市柏陽町内の北見ハイテクパーク内に開業したアルゴグラフィックス北見カーリングホールの建設費は、3シートで約10億2300万円余だったとのことである。