日本の温泉
環境省によると、日本には2016年度時点で3038の温泉地(源泉数は2万7422)がある。



 

↑ 朝風呂(5時半から) 大浴場へ ↓

 

 

温泉はヨーロッパでは医療行為の一環として位置付けられる側面が強いが、日本では観光を兼ねた娯楽である場合が多い。

 

学校の合宿、修学旅行に取り入れる例も多い。もちろん、湯治に訪れる客も依然として存在する。


 

↑ 大型ホテルは風呂場も遠い ↓

 

 

歴史
日本は火山が多いために火山性の温泉が多く、温泉地にまつわる神話や開湯伝説の類も非常に多い。神話の多くは、温泉の神とされる大国主命と少彦名命にまつわるものである。


 

↑ 下足 女湯 ↓

 

 

例えば日本三古湯の一つ道後温泉について、『伊予国風土記』逸文には、大国主命が鶴見岳(現在の大分県別府市)の山麓から湧く「速見の湯」(現在の別府温泉)を海底に管を通して道後温泉へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記載されている。


 

また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。文献としては『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』『拾遺集』などに禊の神事や天皇の温泉行幸などで使用されたとして玉造温泉、有馬温泉、道後温泉、白浜温泉、秋保温泉などの名が残されている。


 

平安時代の『延喜式神名帳』には、温泉の神を祀る温泉神社等の社名が数社記載されている。

 

日本の温泉旅館のうち、「慶雲館」(西山温泉)、「千年の湯 古まん」(城崎温泉)、「法師」(粟津温泉)はいずれも飛鳥時代創業とされており、宿泊施設として世界でも現存最古級である。


 

考古学の観点からは、塩を含む温泉に、塩分を求めて草食動物が集まり、その動物たちを狩る人間が温泉の周りに集まり、人の営みが生まれ、温泉に親しむ日本の文化が生まれたのではという推察がある。


 

温泉と医療
湯を使う風呂が一般的でなく、衛生に関する知識や医療が不十分であった時代には、温泉は怪我や病気に驚くべき効能がある、ありがたい聖地であった。各温泉の起源伝説には、鹿や鶴や鷺(サギ)などの動物が傷を癒した伝説や、施浴などを通して入浴を奨励する仏教の影響で弘法大師等高名な僧侶が発見した伝説が多い。このような場所は寺や神社が所有していたり、近隣共同体の共有財産であったりした。


 

明治時代になると温泉の科学的研究も次第に盛んになった。昭和以降は温泉医学及び分析化学の進歩によって温泉の持つ医療効果が実証され、温泉の利用者も広範囲に渡った。

1931年(昭和6年)、九州大学が豊富な温泉資源に恵まれた別府温泉に温泉治療学研究所を設置したのをはじめ、温泉療法の研究が国立6大学に広がり盛んになった。

1935年(昭和10年)には日本温泉気候学会が設立され、温泉気候およびその医学的応用に関する学術的研究が進む。日本温泉気候学会から改称された日本温泉気候物理医学会は、温泉療法医・温泉療法専門医の認定を行っている。

三朝温泉ではラジウムの効能に目を付けて1939年(昭和14年)に温泉療養所が設けられるなど、温泉と近代医学を結びつける温泉療法の研究が行われてきた。また太平洋戦争後は原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。


 

いわき湯本温泉近くにある競走馬リハビリテーションセンターの馬の温泉のように、競走馬の湯治として活用されている温泉施設もある。

日本の環境省は、温泉法第18条などで、温泉の効用に当たる「適応症」と、逆に温泉に入ることで病状が悪化する可能性のある「禁忌症」を定めている。

 

かつて妊娠中の女性が温泉に入ると、流産や早産を招くという意見があったが、科学的根拠は無く、妊婦が温泉に入っても健康上の問題はないとされる。


 

 

朝食
睡眠から目覚めたのち、朝に取る最初の食事。朝餉(あさげ)、朝飯(あさめし)、朝御飯(あさごはん)とも。


 

↑ 入り口で手指消毒と手袋を  朝食はビュッフェスタイル ↓

 

 

英語の「Breakfast」は「朝食」と訳されることが多いが、これは「夜間の断食期間を破る」という意味である。



 

朝食を摂るまでもなく簡単に済ませられるぐらい容易なことを「朝飯前」と呼んだりする。起床してから朝食を摂るまでの時間が比較的短いことから、「その間に済ませられるぐらい容易なこと」という意味である。


 

江戸時代、庶民の間にも米食が広く普及するにつれ、地方により朝食における米食のスタイルの違いが見られるようになった。


 

↑ 温泉卵 ↓

 

 

江戸では朝に炊飯したものを朝食として食し、夕食には湯漬けや茶漬けにすることが多かった(『石城日記』に当時の食習慣の記述が見られる)、京阪では夕食に炊飯し、その残りを翌朝に粥にして食べていた。

 

↑ サラダ 山葵漬け ↓

 


 

和風の場合にはそれ相応に手間の掛かる傾向が強く、家庭の主婦の重労働とされる仕事の一つにも挙げられていたが、現在では様々な調理器具や調理済み食品が出回り、省力化が進んでいる。


 

↑ 金平牛蒡 ↓

 

 

朝食といっても、前近代では身分によって食す時間帯が定まっていて、平安時代の天皇であれば、巳の刻(『寛平御遺誡』)、南北朝時代では午の刻(『建武年中行事』)、江戸時代では卯の刻に身を清め神仏を拝んだ後、辰の刻朝五ツ半(9時頃)に朝食を摂った。


 

↑ 烏賊の塩辛 ↓

 

 

一方、近世の征夷大将軍は辰の刻朝五ツ(8時頃)に朝食を摂っており[7]、天皇より早めの朝食を摂っていた。

 

↑ 昆布の佃煮 ↓

 


 

現代においては、和風ならば、ごはん、味噌汁、納豆、生卵、焼き魚、漬物、海苔が多い。粥を食べるところもある。

 

↑ 切り干し大根の煮物 ↓

 

 

洋風ならばパン、目玉焼き、コーヒーやスープが多い。前日の夕食の残り物を利用する場合もある。

 

 

↑ オクラ 白菜キムチ ↓

 

 

 

↑ ブロッリー 若芽 ↓

 

 

 

↑ 卵焼き ポテトフライ ↓

 

 

 

↑ フルーツポンチ 客室へ ↓