リフトの歴史
人間用の索道は、アジアでは1600年代以前から山岳地帯で谷を越えるための手段としてよく知られていた。
↑ 今夜泊まるシギラベイサイドスイートアマランダ シギラセンタービーチハウス ↓
これは、編んだ線を人が手で掴んで人力で横断するものであった。貨物を運搬するためのハーネスやかごにも革新的な改良が加えられた。
記録上で最初の機械式の索道は、ヴェネツィアのファウスト・ヴランチッチ(Faust Vrančić)が1616年に設計した複線式の乗客用のものである。

↑ シギラセンタービーチハウス ↓
業界では、一般にオランダ人ウィーブ・アダム(Wybe Adam)が1644年に初めての実用的なシステムを建設したと考えられている。

↑ 乗降場 ↓
この技術はヨーロッパのアルプス地方で発展したが、鋼索と電気駆動装置の出現によって急速に進歩し、広まった。第一次世界大戦は、イタリアとオーストリアの間で軍事用索道が大幅に利用されるきっかけとなった。

↑ 乗降場とシギラセンタービーチハウスも繋がっている ↓
分かっているうちで最初のスキーリフトは、アメリカ合衆国アイダホ州サンバレーのスキー場に1936年に設けられたものである。

↑ シギラセンタービーチハウス ↓
このスキーリフトは、1939年以来サンバレー・リゾートの主要なスキーゲレンデとなったプロクター・マウンテン(より有名なボールド・マウンテンの3km東にある)に設置された。

このチェアリフトは、ネブラスカ州オマハにあるユニオン・パシフィック鉄道技術部のジェームズ・カランによって1936年の夏に開発されたものである。

カランはユニオン・パシフィックに務める前は、バナナを運搬船に積み込む輸送システムを開発する会社に勤務しており、バナナ用の鈎をいすに置き換えて、当時スキーヤーの運送用として一般的であったトボガンよりも収容人員が多く、Jバーリフト(滑走式リフト)よりも快適な機器を創り出した。

カランの基本的な設計は、今日のチェアリフトでも未だに使用されている。最初のスキーリフトの特許は、1939年3月に、カラン、ゴードン・H・バナーマン、グレン・H・トラウトに与えられた(U.S. Patent 2,152,235)。

↑ シギラタートルベイへの専用歩道橋 ↓
このプロジェクトを財政的に援助したのは、サンバレーの創設者であり、元ニューヨーク州知事のW・アヴェレル・ハリマンであった。

オリジナルの1936年のリフトは、後にミシガン州ボイン・マウンテンに移設され、その部品は現在も使用されている。

世界で2番目のチェアリフトは、1938年にオレゴン州マジックフッドに設けられたリブレット社(Riblet)のマジック・マイル(Magic Mile)と呼ばれるチェアリフトで、これは当時世界最長であった。

これに先立って設けられたリフトもあったが、それらは採鉱運搬用に建設されたものをチェアリフトに転用したものであった(例えば、ユタ州パークシティにあった採鉱用索道は、1939年に人間用・スキー用に改造されている)。

ヨーロッパで最初のチェアリフトは、1940年にチェコ(当時のチェコスロバキア)に建設されたものである。

↑ シギラビーチ側の入り口 ↓
また日本で最初のチェアリフトは、1946年(昭和21年)にかつて北海道札幌市の藻岩山に進駐軍専用として作られた「札幌スキー場」に架設されたものだが、現存せず、コンクリート台座の遺構だけが残っている。

なお、民間用として最初に架設されたリフトは群馬県の「草津国際スキー場」(1948年(昭和23年)、現・草津温泉スキー場)のものである。










