↑ 強風の東平安名崎公園 ↓


草海桐花(クサトベラ)
クサトベラ科の常緑低木。太平洋からインド洋にかけての熱帯・亜熱帯の海岸またはその近くに自生し、日本では薩南諸島以南の南西諸島と小笠原諸島に産する。


クサトベラ科の中では分布域が広く、日本に自生する唯一種でもある(テリハクサトベラを変種または別種とすることもある)。


高さは1-2メートル。葉は茎の先に集まって互生し、長さ十数センチの長倒卵形、革質でトベラに似て少し大きい。


茎は下部が木化するが、柔らかいのでクサトベラの名がある。花は子房下位、幅数ミリの左右対称の唇状で、葉腋から出る小型の集散花序につく。亜熱帯では初夏に咲く。


花冠は扇状に5裂し、白くて紫色の筋があり、開花後次第に黄色く変色する。果実は楕円形の核果で白く熟し、種子を2つ含む。


果実は鳥に食われ、また種子は海流散布されるため広い地域に分布する。熱帯・亜熱帯では道路などの植え込みによく使われ、大西洋沿岸でも野生化している。



クサトベラは、主に種子、挿し木で増えます。クサトベラの黄緑色の美しい葉は、熱帯の沿岸部を明るく飾ります。


クサトベラは塩害にも強く、防潮堤や沿岸の街路樹にも適した植物です。
葉は互生で、茎先に集まって付きます。クサトベラの葉は黄緑色の長倒卵形で、美しい葉が印象的です。


海に咲くこの花はビーチ・ナウパカ(Beach naupaka)と呼ばれ花弁が下半分しかありません。

同様に、山に咲くマウンテン・ナウパカ(Mountain naupaka、Naupaka kuahiwi)は花弁が上半分しかありません。


両方の花を合わせて、はじめて完全な花になるというハワイの伝説があります。
 

恋人のいる若者に恋をした火の神ペレがその想いを果たせず嫉妬して怒り狂ってしまいました。

その怒りを避けるため、若者は海へ、女性(恋人)は山に逃げて、それ以来引き裂かれてしまったという話です。

 



↑ 東平安名崎公園 ↓

 


全長約2kmにわたって細長く伸びる岬には、いつも心地良い風が吹いています(今日は強風が吹きつけています)

 

都会のような雑踏や障害物がひとつもなく、目の前に広がる空の大きさに、爽やか極まりない感覚に浸れます。


肌に感じる風のほか、そこに聞こえてくるのは潮騒と、吹き抜ける風の音だけ。


また、5月頃にはテッポウユリが開花し、崎全体で咲き誇ることから、その時期には宮古島内外から多くの方が訪れている。



マムヤの墓
宮古にはお墓が数多くありますが、なかでも観光の定番、東平安名岬にある、宮古の「マムヤのお墓」は悲劇の物語とともに、広く知られるようになりました。

 

その昔、宮古島は「按司(あじ)」と呼ばれる豪族達が権力を持っていた時代、保良の村に絶世の美女が住んでおり、この娘は「マムヤ」と言い、大和の国から落ち延びた平家の女性でした。
 

美女マムヤ
その美しさは島中で評判になり、多くの役人や権力者たちが列をなして求婚したと言われています。

また当時の女性にしては珍しく、マムヤは香草(ニフニリ)の芳香を漂わせ、男性を魅了する女性だったのです。

ここで諸説に分かれ、最も多く伝えられているのは「ひとりでいたいから…。」と、岬の中腹にある洞窟に身を隠し、機を織るようになりました。

 

 

そんなマムヤの元へ訪れたのが、現在の城辺地方の領主であった野城の按司(あじ)、「崎山の坊」です。

崎山の坊は魚釣りの途中、岬のどこかから機織りの音を聞きつけます。岬の上に上ると下の方から機織りの音が聞こえ、岬の下へ回ると上から音が聞こえる。

そこで岬の中腹に見つけた洞窟へ行ってみると、島一番の美女であるマムヤがいたのです。

 

 

そこで「ここにいてもいずれ他の者が見つける。それならいっそのこと…。」と、崎山の坊が勝負を申し出て、マムヤはその勝負を受けました。

東平安名崎から西平安名崎の狩俣村まで、崎山の坊は珊瑚の石を積み上げて石垣を積み、マムヤは織っていた芭蕉の糸を繋いで行く、と言う勝負です。

 

崎山の坊は家来や百姓を総動員して、狩俣村まで珊瑚の石を積み上げました。マムヤも芭蕉の糸を繋いで行きましたが、わずかながら狩俣村に届かなかったのです。

 

 

こうしてマムヤは崎山の坊の妻となりました。
島一番の美女であるマムヤを射止めた崎山の坊は嬉しくてたまらず、そのマムヤを連れ歩いては自慢しました。そしてあるおじさんの家に行った時のことです。

 

「おじさん、わたしの妻は糞尿の臭いがするのに、どうでしょう!このマムヤは香草(ニフニリ)の芳しい香りがする。」

そこでおじさんはこう答えます。
崎山の坊よ、確かに今は若くて美しくニフニリが香るマムヤが愛しい(かなさん)かもしれない。」

「けれども子どもがいる先の妻の方が良いと、その内に想うようになるでしょう。」

 そうです、崎山の坊にはすでに妻と子どもがいて、マムヤは第二の妻だったのです。
 

 

崎山の坊にすでに妻子がいたことを知ったマムヤは飛出し、東平安名崎の洞窟へ向かいました。けれども崎山の坊に見つかってしまいます。

「あなたは私を妻にすると言いましたが、あなたにはすでに妻子がいました。なぜ妻子がいながら私を妻にすると言ったのですか?

私と奥様とどちらを選ぶのですか?」
すると崎山の坊は答えます。

「確かに妻は糞尿の臭いがするが、どちらかを選ばなければならないとしたら、糞尿の臭いがしても子どものいる妻だ。」

 

 

それを聞いて悲しんだマムヤは、平安名崎の岬から身を投げてしまいました。身を投げた際にマムヤの衣が崖に引っかかり、その衣がたなびく様子を見て、村人達も悲しんだと言われています。

 

 

「このようなことになったのは、私が美しかったから…。どうか保良の村の娘たちに、私のような辛い想いをさせないでください。保良の村に、美しい娘が現れませんように。」

 

 このマムヤの祈りから、保良の村にはその後、美しい娘が産まれなくなったと言われています。

 

 

ただ、このまじないにはひとつだけ、祈りを解く術がありました。それは女児を妊娠したら、東平安名崎の芝生の窪みに溜まった水に満月が映った時、その満月を手ですくって飲むことです。

そのためか、今では保良の村には目鼻立ちのハッキリした沖縄美人が多く見られます。