↑ 四万の夜明け ↓

 

 

四万温泉
(旧字体表記:四萬温泉)
開湯伝説は2つあるが、いずれも桓武天皇治世後半の延暦年間(782-806年、奈良時代末期~平安時代初期)に属する。


女子旅部門で四万温泉が1位
地域活性化を目的とした「温泉総選挙」。うるおい日本プロジェクトが主催し、環境省と観光庁、内閣府、経済産業省が後援しています。

今回、2018年5月から2019年1月末まで、公式Webサイトなどでの投票をもとに、女子旅部門で四万温泉が1位を獲得致しました。

美肌の湯と言われる四万温泉のお湯は女子旅に最適!温泉水がそのまま美容液になってしまうくらいお肌に優しい温泉です。

四万温泉で湯上がりのしっとり感を是非体感してみてください。

 

 

 

↑ 朝のニュース 朝食バイキング ↓

 

 

 

坂上田村麻呂説
桓武天皇の治世 (737-806) に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討を行った時、奥州古道(国府街道)を国府─渋川宿─中之条─四万─木根宿─越後国浅貝宿という経路で[10]移動しているが、四万の日向見(ひなたみ)で入浴したと伝えられており、これをもって四万温泉の開湯と考えられている。

時期を突き詰めるならば、平安京を出征した延暦20年2月14日(801年3月31日)から征討が終了したと考えられる同年9月27日(11月6日)までの最初の遠征と、延暦21年1月7日(802年2月12日)からアテルイが降伏した同年4月15日(5月19日)までの2度目の遠征の、いずれかの間の出来事である。

碓井貞光説
永延3年(989年、平安時代前期後半)、頼光四天王(らいこう してんのう。源頼光の四天王)の一人に数えられる碓井貞光(うすい の さだみつ)は、越後国(現・新潟県)から木の根峠/木根峠(きのねとうげ)/木根宿峠(きのねしゅくとうげ)を経て生国である上野国(現・群馬県)に入り、当地で夜を明かすことになった。

夜もすがら、読経をしていて夢うつつになった夜半の頃、どこからともなく一人の童子が立ち現れて曰く、「汝が読経の誠心に感じて四万(よんまん)の病悩を治する霊泉を授く。

我はこの山の神霊なり。」と。然して貞光が目醒めると、神託のとおり湧き出る温泉を見付けたという。

係る吉事(よごと)に感じ入った貞光は、この地に一宇の堂を建立し、自らの守本尊(まもりほんぞん)の薬師如来を安置して「日向守貞光寺薬師瑠璃如来(ひゅうがのかみ さだみつじ やくしるりにょらい)」と号し、温泉は「御夢想の湯(ごむそうのゆ)」と呼び、地域は神託にちなんで「四万郷(しまのごう)」と名付けたとのことである。

また、貞光が日向守であったことから、四万温泉の開湯地とその温泉名を特に「日向見(ひなたみ)」および「日向見温泉」と呼ばれるようにもなった。



御夢想の湯
四万温泉由来の場所とされ、1月下旬には温泉の湯を大釜で焚く「四万温泉湯立祭」が開催されるなど、地域で大事にされている場所です。


源頼光の家臣である碓氷貞光の夢枕に、自らを「山の神霊」という童子が現われて、四万の病いを治す霊泉を授けたという言い伝えがあり、貞光が目を覚ましたときには温泉が湧き出していたと伝えられています。

施設は木造の湯屋造りで、2006年にリニューアルされました。


日向見薬師堂
永延3(989)年のころ、源頼光の家来、碓氷貞光(うすいのさだみつ)が越後から木の根峠を越えて日向見で夜を明かすことにして、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいました。

夢の中に現れた一人の童子から「あなたの読経の真心に感心し四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である。」と神のお告げを聞き、目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという伝説があります。 

このめでたいしるしに感じ、お堂を建てて本尊の薬師如来の像をまつりました。

これが日向見温泉であり、日向見薬師堂です。 この薬師様は、病気を治すために温泉に来る人から「湯前薬師」と敬われ、昔からたくさんのお参りがありました。


 


四万湖
周囲5キロメートルほどの人造湖で、県営中之条発電所の貯水池(中之条ダム)です。 

湖水の色は、見る人の心を引き込むような不思議な色で、光の加減や時間帯によって1日のうち何度となく変化します。

これは、裏磐梯の五色沼と並び称されています。カヌーなども楽しめます。

 


中之条林昌寺 
南北朝時代に、僧の長馨(ちょうどん)が創建し、戦国時代に真田幸隆の弟、矢沢薩摩守頼綱によって再建され、沼田真田氏の保護下に寺勢を伸ばしました。

境内の観音堂と鐘楼の間にある、しだれ桜の古木(目通り3.8メートル、樹高16メートル)は年々見事な花を咲かせ、名所となっています。

このしだれ桜は、町の指定天然記念物に指定されています。


 

↑ 林昌寺御朱印 林昌寺には小渕恵三氏の墓が ↓

 


小渕恵三の墓
第84代内閣総理大臣に任命され、1998年(平成10年)7月30日から1999年(平成11年)1月14日まで続いた。

小渕恵三首相によって組閣された内閣のうち、この最初の内閣だけが自由民主党単独与党の内閣であった。

また、2020年現在、単独政党による政権(複数政党による連立でない政権)はこの内閣が最後となっている。

 

 

↑ 吾妻渓谷 八ッ場ダム ↓

 


八ッ場ダム
建設事業が中止になったり、再開したりと話題になった八ッ場ダム。そして、台風19号の影響で、さらに話題になっています。

団体ツアーに参加しなくても、八ッ場ダムは個人で行っても見学できます。当たり前ですが、その場合はバスなどで移動するのではなく、マイカーや徒歩での見学です。



八ッ場ダムは見るべきポイントが4つあります。

【八ッ場大橋】
八ッ場大橋から八ッ場ダムを見ることができます。吾妻川や吾妻渓谷の景色も楽しめます。無料の大型双眼鏡があるのもうれしいです。

 

↑ エレベーターは使用中止 ↓

 


【やんば見放台(展望台)】
八ッ場大橋よりも近くて高い位置から八ッ場ダムが見学可能です。無料の大型双眼鏡もあるので、より楽しむことができます。

 

↑ 八ッ場ダム ↓

 

 

↑ 八ッ場ダム天端と下流 ↓

 


【川原湯展望広場】
やんば見放台から吾妻川の対岸にあります。こちらにも無料の大型双眼鏡があるので、ありがたいです。

【なるほど!やんば資料館】
八ッ場ダムの工事などの情報がまとめてある資料館です。八ッ場ダム周辺の立体模型もあるので、全体を俯瞰して理解することができますね。入場は無料です。



道の駅 八ッ場ふるさと館
国土交通省の八ッ場ダム建設事業により水没する地域の生活再建と地域振興を目的とし建設されました。



情報コーナー
八ッ場ダムに関する展示と長野原町周辺の観光情報などを提供するコーナーです。

八ッ場食堂
営業時間:9時00分~18時00分
名物の「おつみ団子汁」や八ッ場ダムカレーをはじめ、地元食材を使ったメニューをご用意しております。 ご休憩にもご利用ください。

Yショップ(コンビニ)
営業時間:7時00分~19時00分
焼きたてのパンを提供しております。 ATMもご利用いただけます。

八ッ場市場(農産物直売所)
営業時間:9時30分~17時00分
生産者が真心を込めて栽培した新鮮野菜をはじめ、地元特産品をとり揃えて おります。
 

 

家製粉蕎麦 やまと屋八ッ場本店
営業時間:10時00分~18時00分


外売店
オススメは、ご当地ならではの「北軽井沢牛乳ソフト」。景色を眺めながらご賞味ください。

足湯
天然温泉掛け流しの足湯です。 景色を眺めながら、旅の合間の休息を。



YAMBAダックツアー
八ッ場ダム周辺の水陸を「八ッ場にゃがてん号」で周遊します。
八ッ場湖の駅丸岩(出発・乗車)→道の駅八ッ場ふるさと館(乗車)→八ッ場大橋→不動大橋→八ッ場湖の駅丸岩(入水)→水上遊覧→八ッ場湖の駅丸岩(上陸)→道の駅八ッ場ふるさと館(下車)→八ッ場湖の駅丸岩(到着・下車)
乗車料金

大人3,500円/小学生以下2,000円/幼児(2歳以下)500円

 

↑ 水陸両用バス 川原湯温泉 ↓

 




↑ あがつま峡 岩島駅前 ↓

 


↑ 郷原 鳩ノ巣温泉 ↓

 


その昔、鳩が傷を癒していたところからお湯が湧いていたことから「鳩の湯」と名付けられたといわれています。それから湯治客で賑わい、明治時代に書かれた入浴指南書も残されています。

以来、こんこんと湧き続けるお湯は加水・加温は一切せず、自然に湧くお湯のみを使用しています。
熱すぎず、ぬるすぎずの温度で、体の芯まで温まると評判。

江戸時代から変わらず湧き続ける、三百年前のお湯を堪能できます。


大戸関所跡
近世初頭の寛永8年(1632年)に江戸幕府によって設置された大戸関所は信州街道の要点をおさえる重要な関所した。


國定忠次が子分の仇をとるため手下30人余りをひき連れ信州へ向かった際、大戸関所を破ったため関所破りの罪で手配され捕縛、はりつけの刑に処せられました場所としても知られています。


 


國定忠次磔刑場遺跡

 


上州侠客此処に眠る

 

忠治は41才の時関所破りの罪に依り磔の刑に処せられ今の一番奥の石塔の下に埋められて居るのである

 


天保7年忠治は27才の時に30余人を連れて大戸の関所を破り
反逆の罪となり磔刑された



国定一家十二人衆

 


瀧宮神社
1456年、上杉房憲が深谷城を築いてより代々この神社を崇敬し、江戸期になっても代々の城主が尊崇しました。西土手にあった八幡神社、豊受神社、侍町にあった天神社も合祀されています。


 


櫛引大地と妻沼低地の境目に位置し、天と地の恵み、そして大地を潤す湧水が現れる清浄な地。


 

↑ 八坂神社 ↓

 


そのことから太古の人々は生活を照らし、田畑を潤して多くの幸を授け給う根源をここに祀りました。

 


深谷駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線の駅である。関東の駅百選に選定されている。

2006年以前は旧・深谷市内にある唯一の旅客駅だった。


現在の駅舎は東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたデザインで、「ミニ東京駅」とも呼ばれる。

これは、大正時代に竣工した東京駅・丸の内口駅舎の建築時、深谷に所在する日本煉瓦製造で製造された煉瓦が70km以上離れた東京駅まで鉄道輸送されて使われた史実に因む。

 

ただし、この深谷駅舎自体はレンガ構造ではなく、コンクリート壁面の一面にレンガ風のタイルを貼ることによって東京駅に似せている。

これはレンガが線路上に剥落する可能性が指摘されたためである。

本物のレンガではないものの夜間ライトアップ時を含めて人気は高く、撮影する地元利用者や遠方から訪れる鉄道ファン・観光客が絶えない。



深谷駅前の渋沢栄一像
江戸時代終盤に深谷に生まれ育ち、明治・大正期に多くの銀行・会社・学校の設立・運営に関わった、日本における資本主義の父。

2024年の発行を予定している新一万円札の絵柄は、表が渋沢栄一氏の肖像画、裏が東京駅丸の内駅舎。

東京駅のレンガを製造した日本煉瓦製造株式会社も渋沢栄一氏が設立。