終の住処(ついのすみか)

最期を迎える時まで生活する住まいのこと。


 

↑ 後輩との待ち合わせはホテル、時間がった有ったので゛付近を散策 ↓

 


人生の最期をどこで迎えるか?
生涯を終えるまで生活するための住居は、「終の棲家(ついのすみか)」と呼ばれています。

近年では「終活」という言葉が流行しているように、自分自身の定年後の趣味や暮らし、家族との連絡手段など、老後についてさまざまなことを考えている方も多いのではないでしょうか。

今は「まだまだ元気だから大丈夫」と思っていても、いつ何が起こるのか分からないのが高齢期。

本人の希望をしっかりと反映させるためにも、身も心も健康なうちから先々の住居を検討するのもよいかもしれません。

終活をするうえで大事なのは、先々のことを今決めるのではなく、まず考えてみるという習慣づくり。

家族と本人の気持ちを見つめることが、自分らしい最期を迎えるヒントにつながるでしょう。

 

↑ 後輩夫妻と後輩が終の住処としたリゾートマンション ↓

 


私の後輩が選んだ終の住処は
 

 

↑ 後輩夫妻と後輩が終の住処としたリゾートマンション ↓

 

 

ダイヤパレス湯河原グランヒルズ

温泉大浴場(サウナ付き)・屋内プール・キッズルームなどの充実した共用施設が魅力のマンション。

傾斜に沿って建てられたA棟(呼称B2~4階)、B棟(呼称5~9階)、C棟(呼称10~14階)の3棟で構成され、斜行エレベーター(停止階:1階・5階・10階)で移動します。

湯河原の四季折々の自然に囲まれ、各棟の上層階からは海を遠望することができます。JR東海道本線「湯河原」駅よりバス約8分、「泉本区」バス停までは徒歩約3分です。

 

↑ 入口 ↓

 


リゾートマンション
別荘用途に地方郊外に建てられた区分所有(分譲)型のマンションを指す。リゾマンと略されることもある。

 

↑ 入口 エントランス ↓

 


間取りは短期滞在に適したワンルームマンションタイプや1LDKが多いが、定住用途を兼ねた物件ではファミリー向けマンションと同じく2LDK以上としたものもある。

 


リゾート会員権とは異なり、建物の所有権や敷地利用権を区分所有者へ引渡すことでデベロッパーの手から離れるため、スキー場などリゾート施設が閉鎖された場合でもマンションは独立して存続する。

分譲マンションであるため、区分所有者は専有部分の光熱費・固定資産税と、マンション管理費・修繕積立金を払い続ける必要がある。

そのため年に数日程度しか滞在しない場合は、近隣のホテルなどで宿泊した場合と比べて年間の支出が大きく嵩むうえ、清掃や食事は居住者自身が手配しなくてはならない。

中古物件売買については通常の分譲マンションと同様、宅地建物取引業者(不動産仲介業者)と不動産流通機構を介して物件情報が流通される。そのためリゾート物件専門業者に限らず、市中の仲介業者経由で売買することも可能である。

 

↑ 自宅 ↓

 



歴史
高度経済成長を背景に、1960年前後に熱海、伊東、箱根といった保養地の高台に、眺望を重視し温泉が配湯された大浴場・プール・フロントサービスといったリゾートホテルの設備を備えたマンションとして建てられ始めたのが発端である。


 

↑ 眺望が素晴らしい 私たちが宿泊したホテルが眼下に見える ↓

 

 

↑ 趣味の一つでもる油絵が ↓

 

 

↑ 著作の「自分を生きる」 ↓

 

 

↑ 著作の中にも油絵が ↓

 


1975年には新潟県湯沢町の苗場スキー場近くにレストランを備えた「マンション苗場」が建設され、湯沢町のリゾートマンションの草分けとなった。

 

1970年代後半になると、大京やダイア建設などのマンションデベロッパーもリゾートマンションに参入し、日本各地の避暑地・景勝地や温泉街・ビーチ沿いに建設され始めた。

1980年代後半に入ると、バブル景気下のレジャーブームを背景にリゾートマンションの建設が急増した。特に古くからスキー場が集積する湯沢町周辺ではリゾートマンションの建設ラッシュが起き、最終的に湯沢町には約1万5000戸分のリゾートマンションが建設されたという。


 

著作
人が自分自身の眼から見た自分の生涯、人生を記述したものを言う。自身による伝記。自叙伝。


一般的な、他者による伝記は通常、非常に広範囲にわたる資料や視点を基にしている。

 

しかし、自伝は、完全に執筆者である本人の記憶、回顧、回想に基づいており、資料を利用するとしても記憶の補助としてであるという点で一般の伝記とは異なっている。

 

自伝と回顧録との違い
ローマ帝国時代の弁論家リバニウスは、人生の回顧録(自伝)を作ったが、それは公にする類の物ではなく、自身の研究の内だけで読まれたであろう文芸的な物であった。

回顧録(回想録)と自伝とは少々異なる。自伝がその人物の「人生や生涯」に焦点を当てるのに対して、回顧録は、自身の記憶や見解および感情に重点を置いて、より狭い範囲(特定の事象や事件)について述べられる。

近代の回顧録はしばしば、過去の日記や手紙、写真を基にしている。

 

 

↑ 頂いた著作 ↓

 


1987年には映画『私をスキーに連れてって』が大ヒット、1990年12月にはガーラ湯沢スキー場とガーラ湯沢駅が開業し、スキーブームとともに全国のスキー場周辺にはリゾートマンションが乱立するようになった。

アルファリゾート・トマム、安比高原スキー場、妙高パインバレーなど、スキー場にリゾートマンション・リゾートホテル・ゴルフ場とセットで一大開発されるリゾート地も出現した。

トマムなどごく一部ではリゾートホテルの客室をリゾートマンションとして販売し、所有者が居住しない期間はリゾートホテルの客室として貸し出すことで賃料収入が得られる仕組みを導入した物件も存在する。

バブル崩壊後は、デベロッパーの事業縮小や倒産によりリゾートマンションの開発はほとんどどなくなった。

開発業者の倒産で建設中断されたり、ブーム終焉後に利用者が激減し管理放棄されたリゾートマンションが、放置されて廃墟化するケースも続発した。

バブル崩壊後に物件の価格は大きく下落したが、これを逆手にとり、団塊の世代の定年退職とマンションブームが重なった2000年代後半には、地方移住(Iターン)を前提とした物件がタカラレーベンなどにより分譲されたこともある。

また「リゾートマンション銀座」の代名詞となった湯沢町では、町長の田村正幸は2019年に「新潟県外からの移住者のみならず、除雪の必要がないことから町民が移住するケースも増加し、湯沢町の人口8,200人中、約1,300人がリゾートマンションに定住している」と、フジテレビのインタビューで述べた。


 

↑ 夫妻と昼食を ↓

 


立地
一例として、関東地方の郊外では以下の場所に立地している。

避暑地
軽井沢、那須、富士五湖、蓼科高原、八ヶ岳

温泉街
熱海、箱根町、鬼怒川温泉、草津

海沿い 
三浦半島、湘南、外房、伊豆半島(主に湯河原から下田にかけての東伊豆)

スキー場周辺 
湯沢町(越後湯沢)

 

 

↑ 穴子天ざる ↓

 


問題点
リゾート開発全般同様の乱開発、前述した廃墟化などのほか、マンションとしての居住面においても設備・管理上の様々な問題が生じた。


 

↑ とろろ蕎麦 かつ丼 ↓

 


設備面
温泉権利付き物件では、浴槽の使用時間および湯の使用量などに指定があり、その時間や使用量の条件でしか風呂に入れない。

多くは供給量の問題で普通水道ではなく簡易水道が多く、マンション住民が多くやってくる時期には水圧が下がることもある。

下水道の無い場所では大型合併浄化槽を使用しており、メンテナンスがずさんな場合は下水排水により環境問題(水質汚濁)が発生することもある。

 


ゴミ収集所を設けていない物件では、行政によるゴミ収集に問題が生じる。
竣工時点で地上アナログテレビ放送の電波が届かなかったため、ケーブルテレビがあらかじめ引き込まれている物件がある。

この場合、共聴施設使用料の支払いが管理費とは別に必要な場合がある。

地方の市街地から離れた場所の物件では、NTT東日本・NTT西日本のフレッツ以外のブロードバンドインターネット接続に対応していない場合がある。

 

また携帯電話やPHSなどの電波条件の良くない地域も多かったが、整備されつつある。

 


管理面
区分所有者が定住していない場合は、管理組合の運営が管理会社や理事長任せとなる。管理費や修繕積立金といった維持費値上げなど管理会社側の利害にかなう重要議案が白紙委任状により可決してしまう場合が多い。

派生して、2014年に新潟県南魚沼市のリゾートマンションの管理組合理事長を務める公認会計士が、11年間にわたり延べ15億円を管理組合の預金口座から着服していたことが明らかとなり、2016年に公訴時効経過前の2500万円の着服容疑で2016年2月に逮捕された事例がある。


区分所有者と面識のない不特定者への民泊提供は、旅館業や管理規約などのモラルに接触し、住民間のトラブルに繋がる恐れがある。

固定資産税を未納するオーナーがいると、地元自治体での回収が問題となる。