江戸最古の寺院である浅草寺
推古天皇36年(628)3月18日に地元の漁師の網にかかった観音像を祀ったことに由来し、本堂には多くの参詣客を集めている。


その一方で、稲荷・地蔵・不動・薬師・弁財天・恵比寿・大黒天などさまざまな末社や小祠が境内の各所に所狭しとあって、あらゆるご利益に対応していたことや、本堂裏手の「奥山」といわれる一帯を中心に見世物などの興行が盛んに行われていたことにも大きな特徴がある。


石灯籠
「胎内くぐりの灯籠」として江戸時代から知られていました。参拝に来た子供達がこの灯籠の下をくぐることで虫封じや疱瘡(ほうそう)除けになると伝えられている。

 

 

↑ 五重塔 宝蔵門 ↓

 

 

 


久留米平内堂
縁結びのパワースポットです。


久米平内は江戸時代の辻斬り。悔い改めた久米平内は浅草寺で修行し、晩年になって自

分の姿を石に刻み、多くの人に踏みつけてもらうことで償おうとしました。

踏みつけるが転じて文付けになり、縁結びのパワースポットになったそうです。


 


平和地蔵尊
第二次世界大戦はその規模においてもその被害においてもまことに甚大であった。 
ことに昭和二十年三月十日の大空襲にはこの附近一帯は横死者屍が累として山をなし、その血潮は川となって流れた。 

その惨状はこの世の姿ではない。 これらの戦災者の霊を慰めることこそ世界平和建設の基となるものである。 


ここに平和地蔵尊を祭りその悲願を祈るため、 昭和二十四年四月ここにに安置された次第である
昭和24年4月 龍郷 定雄 建立




龍郷定雄翁胸像。
平和地蔵尊建立のために私財を投じた方とのことだった。


戦災供養地蔵尊
浅草花柳界に身を置き、戦災で亡くなった人たちの霊を慰めるために、旧浅草藝妓組合などが淡島堂に 1962年に建立。