三匠の句碑
「ながむとて花にもいたし頸農骨」宗因・「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉・「ゆく水やなににとどまる乃里の味」其角、三人の佳吟が刻まれている。
文化6年(1809)建立。江戸時代前期を代表する俳人、三匠の句が刻まれてあるこの碑は、文化6年に建立されたものである。
西山宗因は慶長10年肥後に生まれ、八代瀋士だったが、瀋がつぶれてから京都に出たのちに大坂に移り、自由でこっけいみの溢れた談林風と呼ばれる新しい俳諧をうちたてた。
松尾芭蕉は、天保元年に伊賀に生まれ、藤堂良忠につかえていた。
良忠の死後、京都にのぼり諧俳を学び、のちに江戸に出て深川に芭蕉庵を建てて住み、芭蕉風をうちたてた。榎本其角は、寛大元年に江戸に生まれ、芭蕉の弟子の内でも十哲と呼ばれるほど優れていた。

正岡子規句碑
「観音で雨に逢いけり花盛」の句が彫られている。平成11年5月28日、正岡子規没後百年事業の一環として台東区俳句人連盟により建立。
五瀬・植松氏明数の碑
算学者関孝和に師事し、算数家として高名。上総国出身。はじめ五瀬氏、のち植松氏を継ぐ。安政5年(1858)の建立。
三十六歌人の碑
桜の花を詠んだ三十六首を刻む。大亀の背に据えられた碑。文化14年(1817)の建立。
三十六歌仙は、藤原公任の『三十六人撰』に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集である。
三十六歌仙一覧
柿本人麻呂 山部赤人 大伴家持 猿丸大夫 僧正遍昭 在原業平 小野小町 藤原兼輔 紀貫之 凡河内躬恒 紀友則 壬生忠岑 伊勢 藤原興風 藤原敏行 源公忠 源宗于 素性法師 大中臣頼基 坂上是則 源重之 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原元真 源信明 斎宮女御 藤原清正 藤原高光 小大君 中務 藤原仲文 清原元輔 大中臣能宣 源順 壬生忠見 平兼盛
算子塚の碑(さんしづか)
算学者会田算左衛門の碑。文化14年(1817)71歳没。日常使用していた「そろばん」が門下生によって埋められた。
江戸時代の和算学者、会田安明の功績をたたえた「算子塚」の碑は、文政2年に儒学者の亀田鵬斎や門人によって立てられた。会田安明は、少年時代から和算に興味を持つようになり、土地の学者である岡崎安之について学んでいた。
日本古来の和算は、江戸時代になると研究が盛んになり、23歳で江戸に渡った安明も、幕府の役人をしながら算学の研究に励んでいた。
多くの学者達が、独自の円周率の計算方法などをあみだしていくなか、安明は算法に手を加えるなどして、難解だった算出法の簡易化をはかった。「天元演段」などの名著も残している。
力石
または「さし石」ともいう。
江戸後期、酒屋・米屋の人足(にんそく)たちの間で酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが流行した。この力石は、境内で行われた「力くらべ大会」で競い持ち上げられたものである。
正面の「力石・熊遊の碑」は、明治7年(1874)熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375kg)ほどの力石であり、新門辰五郎らがその記念として建てたもの。
庚申信仰とは
中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
↑ 庚申 奉納・三川島伊勢松 ↓












