青梅街道
東京都新宿区から東京都青梅市を経由し、山梨県甲府市に至る道路である。
1962年(昭和37年)4月25日、東京都通称道路名設定公告により通称を設定。
青梅市街には、東青梅三丁目交差点 - 青梅市民会館前交差点に旧道が残り「旧青梅街道」と呼ばれる。
また、青梅街道に並行するバイパス道路として新青梅街道が設置されている。
起点:新宿大ガード西交差点:東京都新宿区
中継点 市民会館南交差点 : 東京都青梅市
終点:山崎交差点(甲州街道交点):山梨県甲府市
↑ 靖国通りから新宿大ガードを潜り青梅街道の旅をスタート ↓
現在の青梅街道と呼ばれるルートは、新宿と青梅市を結ぶ経路を一般に指しているが、江戸時代には甲州街道の第1宿場である内藤新宿で甲州街道から分岐し、青梅を経由して甲州の酒折(現:甲府市)で甲州街道と再合流した。
歴史的な青梅街道の起点である内藤新宿は現在の新宿三丁目交差点付近で、この地点は甲州街道との分岐点(追分)であったことから新宿追分と呼ばれており、現在もバス停留所(都営バス・新宿WEバス)にその名が残っている。
また、現在の起点より100メートル (m) ほど南、思い出横丁の入り口付近には、本来の青梅街道が現在の角筈ガード付近を通っていたことを示す碑が設置されている。
↑ 最初の立ち寄り先、西新宿八丁目「成子天神社」 ↓
↑ 神輿庫 御朱印(朱印帳にではなく出来合いをクリアファイル入りで日付無し) ↓
起点の新宿大ガード西交差点では、片側3車線の道路として靖国通りから直進で接続、淀橋交差点付近で神田川を越えてから坂を西北西に上り、中野坂上交差点で山手通りと交差した後、緩やかに真西へ向きを変える。
↑ 井草八幡 11月15日「七五三」子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった ↓
↑ 狐のお面の男の子と御朱印 ↓
高円寺陸橋交差点で環七通りの高架と直角に交差し、ここから片側2車線となり、阿佐ヶ谷付近で北西に向きを変えて、荻窪駅の東側高架橋でJR中央本線を越える。
↑ 西東京市 田無神社 泣いて嫌がる男の子の記念写真を撮る家族 ↓
↓ 田無神社の御朱印と左は青梅市住江町「延命寺」の御朱印
荻窪駅北口の商店街を過ぎ、環八通りのアンダーパスと交差する四面道交差点ではX字状に交わる。
その後は緩やかなカーブが連続する。練馬区関町付近から先、東伏見坂上交差点から東伏見交差点までが下り坂となり、直後の西武柳沢駅前交差点で石神井川を越え、再び緩やかな上り坂になる。
↑ 江戸東京たてもの園(小金井市桜町) ↓
↑ ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデの住居 ↓
↑ 邸内及びテラスにて、喫茶や食事が出来ます ↓
↑ カレーライスを妻が、私はピリ辛ジャーマンライスを ↓
西武新宿線のガード下を通過直後の田無町一丁目交差点では左折方向が青梅街道となる。直進すると、ここを起点として所沢街道となり、すぐ北西の北原交差点で新青梅街道と斜め方向に交差する。
田無町一丁目交差点での左折より先は片側1車線となり、田無の市街地を抜け西へ直進する。
この後は4 - 5キロメートル (km) の間に西武新宿線、西武多摩湖線、西武国分寺線の3箇所の踏切を通過する。西武多摩湖線の踏切脇には青梅街道駅が設けられている。
↑ 昼食後、園内西ゾーンの建物を 綱島家(農家) ↓
西武多摩湖線から西武国分寺線までの区間は片側2車線となっており、その中ほどの地下を走るJR武蔵野線との交差地点に、本道に接して新小平駅が設置されている。
西武拝島線東大和市駅東隣の青梅橋交差点で右折する。
↑ 奄美の高倉と吉野家 ↓
かつては右折直後に玉川上水から分流した野火止用水を越える青梅橋があったが、用水は暗渠化されて橋のあった面影は見られない。
用水の流路に直角に掛かっていた橋の方向に沿って北北西へ進行し、すぐに西武拝島線のガードをくぐる。
直後の南街四丁目交差点では、真北へ向かう通称「ハミングロード」が新たに設置されたために、直進であった本道の方が左折分岐する形となり、さらに北北西に進む。
↑ 八王子千人同心組頭の家と三井八郎右衛門邸 ↓
奈良橋庚申塚交差点で新青梅街道を横切り、これ以降は青梅街道が新青梅街道より北側となる。
奈良橋交差点で左折し、道幅が狭く緩やかにカーブが連続する区間となる。武蔵村山市内でさらに大きく左にカーブして南南西へ進み、その直後の大曲り交差点で右折して再び西北西へ進路を取る。
↑ 常盤台写真場と路線バス(いすゞ自動車が開発した4WD「TS11型」) ↓
西多摩郡瑞穂町に入り、箱根ケ崎駅の北側でJR八高線を踏切で越える。その先の瑞穂松原交差点で本道に対して左側から新青梅街道が合流し、ここが新青梅街道の終点となる。
しかし実際の道路線形は、片側2車線の新青梅街道が西東京市方面からそのまま青梅市方面に進み、片側1車線の本道がそこに合流する形である。
↑ 田園調布の家大川邸と建築家の前川国男邸 ↓
青梅市街地を通過した後は多摩川沿いに屈曲が連続する区間となり、奥多摩湖の先で山梨県に入る。
↑ センターゾーンへ移動 旧自証院霊屋と高橋是清邸 ↓
↓ 延命寺(青梅市住江町)と御朱印 ↓
↑ 本日の宿と夕食 ↓