菊花展
秋にはさまざまに仕立てられた和菊を鑑賞できるイベントが各地で開かれます。
都内各所で開催される菊まつり「菊花展」にて。
手間ひまかけて育てられた菊は、精巧な芸術品を思わせる美しさ、
菊
キク科キク属の植物。
日本では日本で観賞用多年草植物として発展した品種群を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼ぶ。
日本にはタンポポなど多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかった。
『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する。

中国から奈良時代末か平安時代初めに導入されたと推定される。平安時代に入り、『古今和歌集』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。

春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を皇室の家紋とした頃からである。
また、九州の豪族菊池氏(平安時代に藤原から改名)も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。

育種が一気に展開したのは江戸時代から、特に元禄期(17世紀末)以降である。正徳頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行われた。

江戸、伊勢、京都、熊本などでそれぞれ独自の品種群、系統が生じた。「三段仕立て」などの仕立ての様式やその丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が観賞された。
これらは江戸時代から明治、大正時代にかけて日本独自の発展をした古典園芸植物の1つとして、現在では「古典菊」と呼ばれている。

全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、その中でも「江戸菊」は咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化していく様を観賞する。
このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。

明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。

↑ 盛花花壇 ↓
↑ 小品盆栽 ↓
花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。























