第二福寿庵
昨日掲載した福寿庵本店(大島3丁目)で修業した方が、隣町の大島2丁目で第二福寿庵として独立開業したお店です。

↑ 都バス西大島駅前にある第二福寿庵(赤い自販機の所) ↓
冷麦の仕様に違い
福寿庵本店と第二福寿庵とでは冷麦には違いが有りました。
福寿庵本店では四角いお盆に冷麦に氷水を乗せ、薬味と付け汁で食べました ↓
第二福寿庵では丼に冷麦と氷水の果物と野菜、薬味と付け汁で食べました ↓

↑ 梨とトマト ↓
冷麦の由来
日本にて細い麺を食べる文化は、奈良時代の初期に中国から伝えられた索餅・麦縄から始まったという説が広まっているが、その具体的な形状がよく解明されておらず、長い間手伸ばし・手延べの麺と考えられている。

現在の素麺に近いスタイルの索麺(そうめん)が普及するようになるのは室町時代に入ってからであるが、その時代の文献には新たな製法、包丁などの刃物で切って作る麺(切り麺)が登場した。

一条兼良が書いたとされる『尺素往来』には索麺は熱蒸、截麦(きりむぎ)は冷濯(ひやしあらい) との一節があり、当時索麺は蒸して熱いところを食べるのが主流で、截麦は冷やして食べるのが主流だったと伺える。
↑ 第二福寿庵の冷麦は日によって具が変わる ↓
また15世紀の日記類には、截麦のほか、切麺、切麦、冷麦、冷麺、切冷麺といった言葉が頻繁に出ており、同時代に頻繁に登場するようになった「饂飩(うどん)」とは明確に区別される。
それとは形状の異なる切り麺であり、素麺と並べて論じられているので、形状は素麺に近い細い切り麺と推測されるのと、「冷麦」の読みは明らかに「ひやむぎ」であるため、この時期には「素麺に近い細い切り麺はひやむぎ」という概念は誕生していた模様である。

↑ 西瓜、トマト 梨 ↓

時代が過ぎ、元禄10年(1697年)の本草書『本朝食鑑』では、うどんは寒い時期のものであり、ひやむぎは暑い時期に良い との内容で書かれており、この時代にはうどんとひやむぎの季節による食べ分けが定着していたと推測される。
他には、小麦粉を水で練ったものを細く切り、茹でて食べるものを「切り麦」と呼んでいたが、これを暖めて食べるものを「饂飩」、冷やして食べるものを「冷麦」と分けたから、さらに、うどんが温かさを保つために太くなっているのに対し、ひやむぎは、より冷たい状態で食べるため次第に細くなっていった という説がある。

↑ 西瓜 トマト 枇杷 メロン ↓
第二福寿庵(東京都江東区大島2-41-15)
都バス西大島駅前(明治通り) ↓













