四万六千日 ほおずき市詳細
2020年は感染症対策により開催は中止となりました。
↑ 写真は全て旧年に撮ったものです ↓
日時:7月9日・10日 午前9時頃から午後9時頃
場所:浅草寺境内
出店数:ほおずき屋(約120店)、その他(約100店)
2日間で60万人も訪れる“四万六千日”の縁日
浅草寺では7月9日か10日に参拝すると4万6千日お参りをしたのと同じご利益があるとされ、江戸時代より、この日の参拝は盛んだったそうです。
今では境内によしず張りの露店が軒を連ね、ほおずきと風鈴を売る店が約250も並び、縁日のようなにぎわいを見せ、2日間で60万人もの人出が見込まれているそうです。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。
月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。

中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。
なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があって、7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになりました。
また、この両日には「ほおずき市」が「四万六千日」のご縁日にちなんで開かれます。そもそもこの市は、芝の愛宕(あたご)神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど薬草として評判であったようです。
その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられています。
一方、江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。
ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っています。

↑ 外国人の参拝も多い ↓
ホオズキ 鬼灯、鬼燈、酸漿
ナス科ホオズキ属の一年草または多年草。またはその果実。カガチ、ヌカヅキとも言う。

↑ ほおずきの花 ↓
鬼灯
日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。
ほおずきに「鬼灯」の字を当てるのは、盆に先祖が帰ってくるとき目印となる提灯の代わりとして飾られたことに由来する。
また、江戸時代には、青ほおずきは解熱剤や婦人の胎熱に特効があると言われていた。

↑ 売約済みで宅配業者を待つほおずき。 ちょいと一休み ↓
↑ 髪飾り ↓
釣り忍(つりしのぶ)
竹や針金を芯にして山苔を巻きつけ、その上にシノブの根茎を巻き付けて、さまざまな形に仕立てたものです。
シノブは山地の樹木や岩肌に着生して育つシダで、強健で乾燥に強く、水がなくても"耐え忍ぶ"ことからシノブという名がつきました。
そのシノブを吊るすことから「吊り忍」といいますが、縁起よく「釣り忍」と書くようになりました。
風鈴
日本の夏に家の軒下などに吊り下げて用いられる小型の鐘鈴である。風によって音が鳴るような仕組みになっている。
金属・ガラスなどで手のひらに収まるくらいの大きさのお椀型をした外身を作り、それを逆さにして開口部を下向きに吊り下げられるように外側に紐をつける。
内側には「舌」(ぜつ)と呼ばれる小さな部品を紐で吊り下げ、その紐の先には短冊を付けて風をよく受けるようにしてある。
短冊が風を受けて舌(ぜつ)を揺らし、舌が外身に当たって音を鳴らす。
音は外身と舌の材質になどに左右されるが、日本では一般に涼しげな音と表現されてきた音である。秋を知らせるスズムシなどの虫の声とも似ている。冷房のなかった時代に日本のむしむしとした湿気の多い暑い夏をやり過ごすため、日本人は風鈴の音を聞くことに涼しの風情を感じてきた。
日本では夏の風物詩の一つとなっている。

↓ ハウマッチ……?
海ほおずき
巻貝の卵嚢(らんのう)のこと。
植物のホオズキと使用方法が似ており、かつての日本ではグンバイホオズキ等の卵嚢が、口に含んで音を鳴らして遊ぶ使い捨ての玩具として縁日や海辺の駄菓子屋で売られていた。
また、江戸中期(※すでに元禄年間には)頃には遊女が同様に使用していた様子も当時の風俗を記した絵巻などに散見される。
古民具や骨董品の中には卵のうが持つ鼈甲や琥珀にも似た褐色半透明で弾力があり加工しやすい材質を利用して庶民の笄や簪の装飾材料としてそのままの形状や加工品に用いられたものもまれに見かけられる。
↑ 日が暮れる頃になると客層に変化が ↓
手締め
日本の風習の一つで物事が無事に終わったことを祝って、その関係者が掛け声とともにリズムを合わせて打つ手拍子である。
手打ちともいう。祭りや冠婚葬祭などの式典、商談や株主総会などの終わりに行われる。









































