19~20日、小旅行で不在の為ブログの更新は有りません。

戯揶満館(ぎやまんやかた)
いわゆる鏡のトリック部屋。
 
 
 
 
人間万華鏡や、浮遊して見える鏡など、寂れた公民館みたいな場所に、これまた寂しげに置いてある…。
 
鏡と光を使って目の錯覚を利用した仕掛け…なんだけれどよくわかりませんでした。
極めつけは、だ~れもいない………
 
江戸時代、ダイヤモンド(金剛石)をよんだことば。
オランダ語diamantの訛(なま)りとも、ポルトガル語diamoの訛りともいわれる。
 
本来はダイヤモンドそのものをいうことばであったが、水晶などの宝石類や、ダイヤモンドで加工されたカットグラスを含めて、広くガラス製品一般の呼称ともなる。
 
すでに早く室町時代末期に、オランダ人によって製法が伝えられていた酒杯や瓶、鉢などのガラス製の器具ビードロと混同され、板状のガラス板を除いたガラス製品を総称してぎやまん、ビードロとよぶようになって、両者の厳密な区別はなくなった。
 
なお、ビードロはポルトガル語のvidroの訛りといわれる。
 
 
 
 

鏡(かがみ)
通常、主な可視光線を反射する部分を持つ物体。また、その性質を利用して光を反射させる器具を指す。
 
 
光の反射には光が一方向にはね返る鏡反射と四方八方にはね返る乱反射があり、通常、鏡は鏡反射する滑らかな表面をもつ光をほぼ全反射するものをいう(特殊な鏡にはレフ板のような乱反射鏡もある)。

鏡に映る像は鏡像といい、これは左右が逆転しているように見えるものの、幾何学的に正確に言えば、逆転しているのは左右ではなく前後(奥行き)である。
 
なお、これらの鏡像の発生原因を、自分が鏡に向き合ったとき、自分の顔の左側から出た光線および顔の右側から出た光線が、それぞれ鏡に反射した後、それら両方の反射光線が、いずれも右目に入射する時の、両光線の相互の位置にて説明できるとする見解がある。
 
 
 
 
 
 
↑ のっぽか デブか ↓
 
 
鏡と人間、動物の認識
鏡の起源は人類と同じほど古い。最古のそれは水鏡(水面)に遡るからである。
 
鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされる。鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を得た。
 
鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼ぶ。自己鏡映像認知能力の有無は動物の知能を測るための目安となる。
 
チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるという。
 
チンパンジーのように鏡を利用するまで至らないが、自己鏡映像認知能力がある動物として類人猿のほか、イルカ、ゾウ、カササギ、ヨウム、ブタ等が挙げられる。
 
鏡に映像が「映る」という現象は、古来極めて神秘的なものとして捉えられた。そのため、単なる化粧用具としてよりも先に、祭祀の道具としての性格を帯びていた。
 
鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られる。
 
水鏡と黒曜石の石板鏡と金属鏡しかなかった時代・古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされた。
 
一方、近代になり、ガラス鏡が発達すると、シュピーゲル(ドイツ語)やミラー(英語)という名を冠する新聞が登場するようになる。これは、「鏡のようにはっきりと世相を映し出す」べく付けられた名称である。
 
鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する(例として、『史記』には、「人を鑑とする者は己の吉凶を知る(人を手本とする者は自分の将来も知る)」と記される)。
 
手本とじっくり照らし合わせることを**に鑑みる(**にかんがみる)というのも、ここから来ている。
 
また日本語でも「鏡」と望遠鏡、拡大鏡などが同じ鏡という字を用いているし、英語のグラスもまた、ガラス、レンズだけでなく、鏡の意味も持つ。