大嘗祭のために仮設される祭場
5日間で建てられ,祭後ただちに撤去される。
5日間で建てられ,祭後ただちに撤去される。
悠紀院,主基院を設け,それぞれ正殿は黒木造 (皮つき柱) 掘立柱,切妻造妻入りで建てられ,屋根は青草ぶき,天井にはむしろが張られる。
内部空間は室と堂の2室に分けられ,社殿形成期の神社の形式を示すものとされる。応仁文明の乱ののち9代 222年間は中断したが,貞享4 (1687) 年東山天皇のときに再興された。
1971年には大嘗宮と推定される遺構が平城宮址朝堂院跡から出土,元正天皇,聖武天皇,称徳天皇3代のものと推定されている。
↑ 大嘗宮 仮設トイレ ↓
↑ 左に本丸休憩所 風俗歌国栖古風幄と膳屋 ↓
大嘗祭(だいじょうさい)
日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。
日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。
新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。
その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである。
古くは「おほにへまつり」「おほなめまつり」とも訓じたが、現代においては「だいじょうさい」と音読みする。
↑ 18~ ↓ 19 左・殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)
女子皇族が参列された建物
右・小忌幄舎(おみあくしゃ)
男子皇族が参列された建物
↑ 20 風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたいぐのいにしえぶりのあく)
楽師が、歌(悠記(ゆき)地方の及び主基(すき)地方の風俗歌(あうぞくうた)と国栖(くず)の古風(いにしえぶり)を奏した建物))
↑ 21 庭燎舎(ていりょうしゃ)
庭火を焚いた建物
庭火を焚いた建物
↑ 22 衛門幄(えもんあく)
武官の装束(黒色又は緋色の衣)を着た者(威儀の者)が着座した建物
↑24~25 大嘗宮りの中心部分を長方形に仕切る紫垣の東西南北及び雨儀御廊下の中央に設けられた五つの門のひつとーつ。
↓ 26 雨儀御廊下(うぎおろうか)
儀式中に天皇陛下がお通りになった、屋根の付いた廊下