トゥグ・ネガラ

マレーシアの首都クアラルンプール、レイクガーデン北端近くのなだらかな丘の上にある、マレーシアの独立に命を捧げた兵士を顕彰する、高さ15mの7人の兵士のブロンズ像がある。

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↑ マレーシア国家記念碑a4国会議事堂 ↓

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第二次世界大戦後の1948年、マレーシアにはマラヤ連邦※1が発足したが、その翌年から連邦に反対するマラヤ共産党※2の武装蜂起が始まり、以後12年間にわたって混乱が続いた。

この戦いの戦没者を悼む施設である。この記念碑は、アメリカの首都ワシントンにある海兵隊戦争記念碑の作者ウェルドンが手がけた作品で、噴水に囲まれて建っていて、夜間にはライトアップされる。
 
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↑ マレーシア特産の錫製の噴水の飾り ↓

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【※1マラヤ連邦】
1948年、英国の保護領のマレー半島南部と直轄植民地のペナン・マラッカとで結成された連邦国家。57年独立、63年マレーシア連邦の一部となった。

【※2マラヤ共産党】
マレーシアの反政府組織。 1927年に南洋共産党として結成され,30年にマラヤ共産党と改称。

中国系住民を中心とし中国共産党の指導下にあった。
日本軍政期に抗日ゲリラ運動を組織して日本軍と戦うなど,独立闘争を主導した。

しかし,48年2月中国系住民を中心に起した武力蜂起はマレー系住民との対立へと発展し,同年7月非合法化される。

57年の独立後合法化され,マレー半島とカリマンタン島(ボルネオ島のインドネシア語名)の統一を掲げて活動を続けた。

1970年代には中ソ対立の影響を受け内紛を起し勢力は衰退,80年代に入りマルクス=レーニン主義派と革命派が離脱・併合して 83年に結成されたマレーシア共産党 (MCP) に勢力を奪われていった。

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↑ 独立の記念像トゥグネガラと呼ばれる ↓

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【ペナン】
マレーシア、マレー半島の北西岸にある小島。ゴム・コプラ・スズを産する。中心都市ジョージタウン。ピナン。

マラッカ】
マレーシア、マレー半島南西岸、マラッカ海峡に面する港湾都市。マレー語名ムラカ。15世紀初めマラッカ王国が建設されて以来、国際貿易港として繁栄。

1511年にポルトガル領、のちオランダ領を経て英国領となった。ヨーロッパの影響を受けたコロニアル様式の街並みが残る。2008年にペナン島のジョージタウンとともに、「マラッカ海峡の歴史的都市群、マラッカとジョージタウン」の名称で世界遺産に登録された。

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↑ マレーシアの独立に命を捧げた兵士を顕彰する、高さ15mの7人の兵士のブロンズ像 ↓

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【連邦国家】
連合国家とも。英語でfederal state,ドイツ語でBundesstaat。単一国家と異なり,多数の支分国が統一的主権の下に平等に結合している複合国家。アメリカ合衆国,カナダ,スイス,旧ソビエト連邦などがその例。

【単一国家】
連邦国家 (→連邦制) のように複数の国家によって構成されることなく,単独に存在する国家。連邦構成国の統治権は固有のもので,それぞれ独自の憲法をもち,平等に代表を送って連邦の意思決定に参与するなどのみちが設けられている。

もっとも,厳密な法理論的見地からは,構成国の主権は連邦に移行しているものと解される。単一国家にあっては,地方政府をつくるか否か,つくる場合それにいかなる権能を与えるかは,中央政府により決定される。

【複合国家】
複数の国家が結合して、国際的に一国と見なされるような国家形態。対等の結合関係に立つ連邦・国家連合・物上連合などと、宗主国と保護国のように支配・従属関係に立つものとがある。複合国。⇔単一国家。

【植民地】
本来は,民族や国民の一部が本来の郷土あるいは国土を離れて新しい地域に移住して形成する社会を意味する。古代ギリシアの植民市やローマのコロニア coloniaは,このような移住地としての植民地の例である。

「地理上の発見」以後の近代世界における植民地とは,単なる移住地とは異なり,本国に対して政治的従属関係にある地域を意味する。名目的には独立国でありながら,実質的には他国の政治的経済的支配のもとにおかれた国を半植民地国家と呼ぶ。

かつての中国やバルカン諸国はその例である。植民地は形式的には,属領,保護国または保護地,租借地,委任統治,信託統治などに分類することができる。