朝顔まつり(朝顔市)は毎年七月の六日から八日までの三日間開催します。この朝顔市と言いますのは、入谷鬼子母神を中心として、言問通りに百二十軒の朝顔業者と百軒の露店(縁日)が並び、毎年四十万人の人出で賑わいます。
 
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↑ 真源寺(しんげんじ)は、東京都台東区下谷にある、法華宗本門流の寺院。山号は仏立山 ↓

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真源寺の名物である朝顔市で有名になったのは明治時代に入ってからで、江戸後期頃から当地で盛んだった朝顔栽培を人々に見せるために、当寺院の敷地内で栽培農家が披露したことがその起源である。

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この朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政の頃です。
最初は御徒町の下級武士、御徒目付の間で盛んに栽培されておりましたものが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴いまして、入谷に居りました十数件の植木屋が造るようになります。

そしてその出来栄えが大変素晴らしかったので、明治中期になりますと、往来止めをしたり、木戸銭を取って見せるほど有名になります。

なぜ入谷の朝顔がこんなに盛んになったのかと言いますと、入谷田圃の土が朝顔造りに適していたこともありますけれども、当時流行しました朝顔と言いますのは「変わり咲き」です。

この「変わり咲き」と言いますのは朝顔の花が、桔梗の花のように咲いたり、牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、花粉の交配によって色々な花を咲かせる事ができたので、最盛期には一千種類もの朝顔があり、変化にとんだ花を咲かせ楽しませてくれてたのであります。

もちろん現在のような丸い朝顔も江戸末期には大輪咲き朝顔とし盛んに栽培されておりましたが、変化咲き朝顔の不思議な美しさが江戸の人々にブームを巻き起こします。

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当時の模様を下谷繁盛記(大正三年明治教育社発行)によって観ますと、「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは、明治二十四・五年頃にして、其の頃は、朝顔を造る植木屋十数件を数え、入谷の通りは、毎朝、往来止めとなる程なりし也。

殊に、当時は、周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と記載されております。

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また、明治二十年七月五日発行の朝野新聞には、「府下にて朝顔の名所といえば誰も入谷たることを知る位なるが、同商も追々欧州植物培養の方法に倣い近年は頗る進歩し、昨年の出来に比較すれば、本年は余程の上出来にて、来る十五日より縦覧さする由なるが、本年は品数も数百種の多きに及び、頗る見事なるべしといえば、朝寝坊先生は早起きして此の美花を観玉へ。」とあるぐらい有名に成ります。

ところが、このように大変盛んに造られておりました入谷の朝顔も、世情が怪しくなって来ました大正二年意地づくで踏み留まっていた植松(植木屋)の廃業を最後に、とうとう入谷の地から姿を消してしまいます。

それに伴い変化朝顔もいつしか人々から忘れられて現在のような円形の朝顔えとその主流は変わって行きます。そしてそれから三十五年立ちました昭和二十三年、戦後のすさんだこの世の中を少しでも明るくしようと言うことで、地元有志の方と下谷観光連盟(昭和25年)の協力を得て、江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市が復活したのであります。

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出典・入谷朝顔まつり(朝顔市)公式ホームページから。