同義語:中秋の名月・芋の名月

暦の8月15日を「十五夜」「中秋の名月」といいます。「中秋の名月」とは"秋の真ん中に出る満月"の意味で、旧暦では1月~3月を春、4月~6月を夏、7月~9月を秋、10月~12月を冬としていたことから、8月は秋のちょうど真中であり、8月15日の夜に出る満月ということで、そう呼ばれるようになりました。

現在用いられている新暦では1ヵ月程度のズレが生じるため、9月7日から10月8日の間に訪れる満月の日を十五夜・中秋の名月と呼んでいます。

意味・目的芋の名月とも言われる十五夜
「十五夜」は、中秋の名月を鑑賞する他、これから始まる収穫期を前にして、収穫を感謝する初穂祭としての意味あいがありました。

9月頃に収穫される「芋」をお供えすることから「芋の名月」とも呼ばれています。

現在では、満月のように丸い月見団子と魔除けの力があるとされたススキを伴えるのが一般的な「十五夜スタイル」です。また、地方によってはこの日だけは、他人の畑の作物を無断で取っても良いとか、子どもがお月見のお供え物を盗んで良いとする風習もあるそうです。

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豊穣の象徴の満月
旧暦を使用していた時代は(1872年頃まで)、月の満ち欠けによっておおよその月日を知り農事を行っていました。一説によると、欠けたところの無い満月は、豊穣の象徴だったそうです。そのため十五夜の満月の夜は豊作を祈る祭の行われる大切な節目でもあったようです。

 一方、中秋の名月を鑑賞するという風習は、中国では唐の時代から知られており、これは後に平安時代の貴族の間に取り入れられ、武士や町民へと次第に広まって行きました。そして現在の「お月見スタイル」になっていったようです。
 
行事お供え物を食べても良い日
地方によっては、昔ながらの十五夜の行事が残っています。有名なのは、長崎県五島の一部では「まんだかな」(お供えが済むとすぐ子どもがそれを取って行ってしまう)という風習や、秋田県仙北郡では「片足御免」(他人の敷地に片足を踏み込んで取るぐらいなら公認)という風習があります。

これは、この日だけは「お月様が持って行って下さった」と言うことでめでたいからだそうです。やはり十五夜の主役はお月様なんですね。

月見
月見とは、月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。
形から、鶏卵の黄身を満月に例えた料理も月見という。

月見は、主に旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と、日本では旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)にも行われる。そのため、月見に関する話題で単に「十五夜(じゅうごや)」「十三夜(じゅうさんや)」と言うと、これらの夜を意味する。
中国や日本では、単に月を愛でる慣習であれば古くからあり、日本では縄文時代頃からあると言われる。ただ、『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があり、月見を忌む思想も同時にあったと推察される。

八月十五夜
呼称
この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。

「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。

加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では8月14日 - 15日、16日 - 17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。

英語圏では同時期の満月を表す表現として「Harvest Moon」や「Hunter's moon」がある。

日付
秋分は北半球では、太陽と月の角度により、月の(地球から見た)位置が観月に最も適している。秋分は旧暦では旧暦8月にあたる。実際の新暦での日付は、秋分(9月23日ごろ)の前後半月の1か月の期間の中で変動する。

しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
南米の日系人社会でも、日本と同様に十五夜の月を中秋の名月として観月する。ただし、南半球では春であり、月の位置も観月に適してはいない。

十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。

各地の風習

日本の旗 日本
中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。

現代では、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある。

沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供える。
仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。

また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子供達が、そこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。(お月見泥棒)。

八月十五夜以外の月見

九月十三夜
八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ぶ。

江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。

十月十夜
旧暦10月10日の月は「十日夜の月」とよばれ、「中秋の名月」と「後の月」に対しては「三の月」ともいい、この夜にみる月がその年の収獲の終わりを告げるとされた。

その他の夜
天候次第で月を見られない場合もあるので地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、という。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
秋分は北半球では、太陽と月の角度により、月の(地球から見た)位置が観月に最も適している。秋分は旧暦では旧暦8月にあたる。実際の新暦での日付は、秋分(9月23日ごろ)の前後半月の1か月の期間の中で変動する(具体的には8月15日 (旧暦)#対照表を参照)。
しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
南米の日系人社会でも、日本と同様に十五夜の月を中秋の名月として観月する。ただし、南半球では春であり、月の位置も観月に適してはいない。
十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。
各地の風習
日本の旗 日本
中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
現代では、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある。
沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供える。
仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。
また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子供達が、そこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。(お月見泥棒)。
八月十五夜以外の月見
九月十三夜
八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ぶ。
江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
十月十夜
旧暦10月10日の月は「十日夜の月」とよばれ、「中秋の名月」と「後の月」に対しては「三の月」ともいい、この夜にみる月がその年の収獲の終わりを告げるとされた。
その他の夜
天候次第で月を見られない場合もあるので地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、という。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。