金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
北陸紀行2日目・24「金沢ひがし茶屋街」
(写真は全て2015年10月19日撮影)

東山ひがしは、石川県金沢市の地区名。
重要伝統的建造物群保存地区であり、ひがし茶屋街の名称で知られる。

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↑ 甘味カフェ 茶ゆ ↓
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↑ ひがし茶屋街の入口角にある「鶴亀」
「鶴亀」一見、小料理屋みたいですがお子土産屋なんです ↓
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↑ 東山ひがし案内図
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↑ 宿 陽月 茶屋として使われていたという歴史を感じる建物ですが、雰囲気があって素敵です。↓
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↑ 駐車場も家並の景観を損ねないように配慮 ↓
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南北約130メートル、東西約メートル、約1.8ヘクタールで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。金沢の主な観光地の一つになっている。

天正8年(1580年)、佐久間盛政が金沢御坊を攻略し金沢城を築城したのち、天正11年(1583年)、前田利家が入城し、金沢城下は城下町として栄える。

加賀藩では領民にも謡を奨励し、多くの領民が謡を習い、その裾野は大きく広がった。

金沢は「空から謡(うたい)が降ってくる」と言われるほどの町になった。そんな風情が一番残っている町である。

江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。

この際、旧来の不整形な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西に茶屋街の一つである主計町がある。

茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しているとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
出典・ウィキペディアフリー百科事典。