金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
北陸紀行2日目・20「金沢ひがし茶屋街」
(写真は全て2015年10月19日撮影)

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中田屋の「きんつば」

昔も今も変わらずに
京都、松江とならぶ和菓子どころとして、全国に知られる金沢。中田屋は昭和9年に石川県鶴来町にて創業、昭和21年に現在の東山に移転、以来、「きんつばと言えば中田屋」と呼ばれ親しまれるようになりました。

東山店は、観光地ひがし茶屋街にほど近く、風情のある落ち着いた店構えが特徴です。観光客のお客様の他、地元のお客様からも多くご利用頂いております。
看板にも使われている中田屋のシンボルマークは、龍の絵柄に「憲」の文字をデザインしたものです。

これは創業者である先代「中田憲龍」の名前がその由来です。干支のあらわす意味は「正義感」と「信用」とされています。

創業の気持ちを忘れずに、先代より延々と引き継いできた伝統の製法を大切にし、日々取り組んでおります。(中田屋ホームページから抜粋)

きんつば(金鍔)は、金鍔焼きの略称で、和菓子のひとつである。
新潟県や福島県、静岡県、千葉県の一部では今川焼(大判焼)のことを“きんつば”というところもある。

小麦粉を水でこねて薄く伸ばした生地で餡を包み、円く平らな円盤型に形を整え、油を引いた平鍋で両面と側面を焼いたものである。

角型(直方体状)をしている「角きんつば」は明治時代に考案されたもので、寒天を用いて粒餡を四角く固めたものの各面に、小麦粉を水でゆるく溶いた生地を付けながら、熱した銅板上で一面ずつ焼いてつくる。

サツマイモでつくった芋餡を包んだもの、もしくは、四角く切った「芋ようかん」の各面に生地を付けて焼いたものは「薩摩きんつば」「芋きんつば」と呼ばれるものになる。
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もともとは江戸時代中期に京都で考案された菓子であり、上新粉(米粉)で作った生地で餡を包んで同様に焼いたもの。当時は、その形状と色から「ぎんつば(銀鍔)」と呼ばれていた。

製法が京都から江戸に伝わると、生地の材料が上新粉から小麦粉になり、また、「銀よりも金のほうが景気が良い」との理由から、名前が「きんつば」に変わったとされている。

きんつばの「つば」とは、日本刀の鍔のことを指しており、江戸時代当初は現在のような四角形ではなく円形をしていた。富山県高岡市戸出地区などでは現在でも円形であり鍔の文様を付けることが残っている。

また同県魚津市では厚さが薄く、形は円形である。
現在の四角形六方焼きは、神戸元町の紅花堂(現在の本高砂屋)の創業者である杉田太吉により考案されたものといわれる。
また、富山市の岩瀬地区の和菓子店では、どの店のきんつばも三角形である。