金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
北陸紀行2日目・17能登半島「金沢市内」
(写真は全て2015年10月19日撮影)

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↑金沢駅前
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↑西源寺
【真宗大谷派】開山は元亀2年(1571)、欽徳が尾張町に創立。本尊は、聖徳太子御自作と伝えられる高さ三尺の阿弥陀如来像である。寺宝には、聖徳太子画像一幅、七高僧画像一幅、蓮如上人画像一幅、阿弥陀画像一幅、親鸞聖人御絵伝四幅などを有する。↓
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↓本願寺金沢別院山門
本願寺金沢別院の創立には諸説ありますが、「金沢別院沿革史」によれば、延元4年(1339)に第3代覚如が加賀の国に巡錫の際、現在の金沢城本丸の位置に草庵を建立して本源寺と号し、第2代如信の13回忌を勤めたことに始まるとされます。
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本源寺は加能越三州の浄土真宗根本道場として、別名「御山」と尊称され、後に本願寺の別坊(御山御坊)とされ、浄土真宗の拠点となりました。天正8年(1580)、佐久間盛政に攻め滅ぼされましたが、前田利家の金沢入城後の天正11年(1583)、寺地を袋町(尾張町2丁目・安江町)に賜り再建しました。慶長16年(1611)、3代藩主利常から現在の寺領を拝領して伽藍再建に着手、元和元年(1615)、本堂が完成しました。
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山門は切妻造りの四脚門で、左右に脇門を設け前後に大きな軒唐破風をつけます。軸部は全て円柱、組物は実肘木付の三ツ斗で、格天井を張ります。屋根は本瓦葺きです。建築年次は明治26年(1893)と比較的新しいのですが、正統的なもので細部も多彩です。
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↓宗教法人照円寺
照円寺の開祖法敬坊順誓(1405~1508)は、近江源氏の一族で、源権之頭といって守護富樫政親の支配下で石川郡山島郷島田村(現白山市島田町)を所領する18万石の領主でした。
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蓮如上人に謁して仏弟子になり、「釈順誓」の名を給わり、共に京都に上り、享徳2年(1453)蓮如上人から三福名号、正信偈文の二幅、親鸞上人と蓮如上人連座の御影(みえい)を供奉し、翌3年には、旧領地の石川郡山島郷島田村(現白山市御影堂町)に帰り、城跡に一宇を建立し御影堂と名付けました。
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↓武蔵駐車場
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↑石川県出身の彫刻家矩幸成の作品、髪を結ぶ女性の彫刻「浄」↓
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↓近江町市場
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近江町市場(おうみちょういちば)は、石川県金沢市の中心部にある、主に生鮮食品などの食品と生活雑貨を扱う小売店が主体の市場である。

名前の由来は近江商人が作ったことによる。地元ではおみちょ(「お」にアクセント)と呼び親しまれている。

市街地再開発事業により、2009年4月16日に近江町いちば館が開業した
むさし交差点(武蔵ヶ辻)の南東側一帯に位置し、繁華街の香林坊からも比較的近い。約2,8haの敷地に約170店の商店・飲食店が軒を連ねる。

石川県特産の加賀野菜や海産物を扱う店が多く、市民の台所としてだけでなく、金沢ならではの観光名所としても知られているが、一方で観光シーズンなどには物価の上昇や一部の店で品質の低下などの弊害も招いている。

観光客の増加により、商店側も宅配サービスなどそれにあわせた対応が増えてきている。
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↑武蔵ヶ辻バス停↓イメージ 21

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↑新近江町市場  旧近江町市場↓
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