この本は、7~8年前に『旅するように読んだ本』(著:宮田珠己)で知り得た。

宮田さんは、本書で紹介されている多くの渡海事例の中から「那智の浜から極楽浄土を目指して船出したのに何故か沖縄に漂着して生き延びてしまい、結局は薩摩で入定したという日秀上人」に着目していて、他にも川村湊が描いた「足摺岬での明かるさのある滅び(渡海)」にもふれながら、中世の人がとる不可解な思考や行動に興味を抱いている。

 この本、そして補陀落渡海という不思議な儀式を通して「何を考えているか全然分からない中世の人」について考えてみたい。
 

 

 『観音浄土に船出した人びと』

 (著:根井浄、発行:吉川弘文館)

 

 井上靖氏の『補陀落渡海記』で衝撃をくらってしましったが、続けて手にした一冊が本書で良かった。壮絶な物語にどんより曇っていた気持ちが晴れたことが大きいのだが、同時に抱えていた幾つかの疑問もクリアになったのである。

 具体的には、歴代の上人について小説中の僅かな情報や文脈から、➀渡海が実施された年次、➁上人の氏名、➂順番についてまとめていたのだが、どうしても判らないことが多かった。本書では、それらの情報がきちんと整理されていて、様々な文献資料から忠実な記録も抽出・加筆されていた。

 こうした情報がヒントとなり、金光坊の渡海した年次が虚構であったことや歴代上人の人物像設定など井上氏の意図も何となく理解でき、さらに小説でしか描けない金光坊の最期に惹かれたのだと気づかされたのは大きな成果だった。

 

 特に役立ったというか秀逸だと感じたのは、外国人から見た補陀落渡海である。

 例えば「舟に結わえつけられて流される」というのはかなり着色されているように感じられた。実際には「石を身体に結わい袖に入れ、自ら入水していた」ことがフロイスやビレラなど外国人宣教師の書簡からも伺える。特にビレラは、堺で行われた補陀落渡海を自分の目で確認しており、「海に投ずる時、大いに歓喜したことは予が非常に驚いたことである」と記している。

 モンタヌス『日本史』の挿絵にも、一隻の船から両手を広げ、歓喜するように海に飛び込んでいる若者が描かれていて、なんだか笑っているようにも見える。これこそ「何を考えているか分からない人の取る行動」ではないか。外国人宣教師でなくともビックリするだろう。

 

 このような補陀落渡海の事例は、和歌山県の他にも茨城県水戸市、高知県室戸岬・足摺岬、熊本県玉名市、鹿児島県加世田市、宮崎県日南市、愛媛県松山市、福岡県博多近辺、長崎県島原市などにも見られ、意外に多かったことが分かる。

 沖縄では先述した日秀上人の所縁の地も多く、霧島市隼人歴史民俗資料館には渡海船の穴を塞ぐ鮑も保管されているらしいので、次回の来訪まで覚えておきたい。

 さらに本書では、補陀落渡海の石碑、絵画、渡海図の絵解き、渡海船の構造など、幅広い情報が網羅されていて、補陀落渡海がどのようなものか知りたい人にとって、たいへんありがたい一冊になっている。MOOKの種本に相応しい。

 

 

 

 

 でわ!