我是否會再去〜また行くのかな(第4回/全7回)

望月竹一


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 みんなで生牡蠣を食べた翌日、おれは牛やOと別れてホイアン経由でフエに向かった。ホイアンとフエの間は新しくできた高速を通るらしいのだが、その昔はハイバン峠という難所を通ったものだった。急坂を上っていると崖崩れの跡が至る所にあり、子牛ほどの石がごろんごろん道ばたに転がっている怖いところで、おれは牛とバイクでやってきてこけたことがある。道沿いの住人の飼犬が飛び出してきて、よけ損ねたからだが、借り物のバイクのステップが曲がってしまった。持ち主が怒るだろうな、いくらぼったくられるだろうと暗い気持ちで七〇キロ、肘の傷から血を流しながらフエまで走った。面目ないと返しに行くと、案の定持ち主のねえさんは頭に血を上らせて激怒した。おれたちの宿屋の娘アンちゃんが間に入ってくれて、修理代を払うことで話がついた。珍しくぼったくられず代金は一〇ドルもしなかった。


 フエは牛やOと出会った街であった。ビンジュオン・ホテルは宿の旦那が日本語上手で、シャワーのお湯のではいいし、一泊二ドル半のドミトリーはあるしで長居するには実に適したところだった。バックパッカーの間で、同じ場所に居続けるのを沈没という。おれはフエでその沈没をしていた。日本に帰ってどうするかなかなか決まらなかったからだった。


 憂鬱な毎日だったが、傍目にはそうは映らなかったろう。ビンジュオン・ホテルは日本人パッカーのたまり場で、酒の相手には事欠かなかったし、やれクリスマスだ、正月だ、テト(ベトナムの正月)だとことあるごとに騒いでいたからだ。

 

 宿屋の旦那やお母さんは寛容で、おれたちの馬鹿騒ぎを見守ってくれた。宿屋の厨房を使わせてもらい、おれたちは市場で買ってきたもので日本食を作った。ぼったくられるのが嫌で、ベトナム語で数字を覚えた。少しでも同じ言葉を使うと、相手の態度が変わるからだった。


 バスは新しくできたトンネルを使い、休憩もなくフエに到着した。ついに帰ってきた。バスの腹が開き、荷物を取り出していると、例によってバイク・タクシーに声をかけられた。フエに帰ってきたといっても、ここは知らない場所で、グーグルのお世話にならなくてはならない。ビンジュオンなら老舗だから知っているかもしれないと訊いてみると、知ってるよというのでお世話になることにした。


 少し値切ってバイタクを利用し、あの細い路地に滑り込んだ。あっという間の情緒もへったくれもない帰還。変わってしまったレセプションへ行くと日本語で応対された。知らない人である。次はどこへ行くか、電車かバスか、電車は一〇〇万ドンくらいする。バイクのレンタルはいるか。立て続けに訊かれる。そのあと部屋まで案内してもらう。エレベーターができていた。



 一息ついて宿の中を探検したくなる。屋上は物干場になってた。ビリヤード場は行く階段すら無くなってた。パソコンがあった二階の溜まり場は潰されて客室。


 バイクを借りたねえちゃんの家はフォー屋になっていた。どこもかしこも変わってしまったなあ、と思っていたら、チューホイールが残っていた。チューホイールはおれたち日本人が嫌いで白人が大好きなババアがやっているカフェで、オシャレだからおれも最初はきづかず使っていたのだが、ババアの態度がなんか変だと気づきよく見ると白人優遇の不思議な店であった。夕方ビンジュオン前の路地を歩いていて感じのいいねえちゃんに引っ張られ、思わずビールを飲んでしまったのだが、あのクソババアに似たおばちゃんが登場、愕然とした。ねえちゃんに恨みはないが今までの行きがかりから、もうここには寄れないと思う。しかし、行きつけが軒並みなくなっているのにここだけ生き残っているとは。


 晩飯を食う前にまだ宵の口だったのでフーン川端を歩く。チューンティエン橋がさまざまな色にライト・アップされているのを見て皆歩いている。暗い中物売りも座っている。青マンゴーを買ってみた。スパイシーはいるか、と聞かれた。ベトナム人はこれに唐辛子をかけて食べるらしい。いらないと答える。硬くて酸っぱくて、あまりうまくない。


 晩飯はカニで有名なお店を探していて、見つからずにはいった麵屋。メニューを見て一番高い六万ドンのにしたら、魚の切り身やら牛肉やら、ゴロゴロうまい肉の塊が入っていて、混んでるだけの店だと思う。白人も入っていた。




 ベトナムに来てたったの一週間だったが、懐が少し寂しくなったので両替をしようと思った。ビンジュオンのねえちゃんにレートを聞くとどこぞに電話を掛けて一万円を一六〇万ドンで替えるレートを提示した。少し待ってくれと言って、携帯でレートを確認する。まだもう少しいいレートで替える余地がありそうである。


 ロータリーに銀行が集まっていたので歩いて行った。一番近くにあったサイゴン銀行に入ってゆくとドアを開ける前から男に声をかけられた。円キャッシュの両替だというと、向かいのBIDVでやっていると教えられた。行ってみると守衛に声をかけられ、中で待てとのことだった。どの窓口なんだろうか、整理券は……戸惑いながら椅子に腰掛けると、ほどなく守衛があそこだ、と指差した。席に座って腰のポーチから汗で湿った一万円札を出すと、受付のお姉さんは考え込んで携帯を取り出し、何か打ち込み出した。翻訳アプリを使っていたらしく、見せられたのは「湿っているのでカビが生える」。はははは、笑ってしまったが、両替できないとこの異国で路頭に迷うことになる。結局、ビンジュオンに引き返して、ねえさんに一万円札を押し付けた。彼女も濡れてるわ、と言ったが、笑って扇風機を指差してなんとかことを納めた。


 この夜も飯までの時間を潰すために、街をうろつく。ハンカフェがありホテルが集中しているあたりをぶらぶらする。近くに橋があって向こうを伺う。昔、この辺は田んぼばかりで例のぼったくり売春宿もそのまっただ中にあった。今は建て込んで見る影もない。


 見る影もないと言えばホビロン(茹でた受精卵)売りも姿を消した。暗くなるとどこからか出てきてローソクを灯して座っていたものだった。そう思っていたらこの橋の袂にいた。昔のようにひっそりと辻に座っているわけではなかったが、他のものを売るついでといった風情で卵をスチロール製のトロ箱に入れていた。トロ箱の上に数個おがくずにまみれたたまごをおいていたので、気づいたのだが、おばちゃんに「ホビロン?」と訊くとそうだという。値段は一万ドンとのことだった。昔は一〇〇〇ドン。貨幣価値も低下したようなので実感として五倍くらいの値上がりだろうか。何を買おうとしてもだいたいみんな一万ドンはほしいみたいである。


 おばちゃんはおがくずのこびりついたやつをくれたが、おれとしては目の前でスプーンで掬って喰いたく、手まねで示すとトロ箱の中で温まったホビロンをだしてスプーンをくれた。


 今宵もチューンティエン橋のライト・アップを見に行く。東京の夜景も香港の夜景も経験していると大してきれいとも思わないのだが、この街の夜にすることなんてこれくらいなもの。


 結局喰ったのは昨日行き損ねたカニ麺で有名なフーン。メニューはなく、壁に書かれたものを頼むのだが、意気揚々、カニ食べてやるぞと一番高いものを指さすと、何か言われる。困っていると近くのおにいちゃんが間に入ってくれた。どうやらカニで有名なのにおれは豚料理を指さしていた模様、うちはカニが有名なのよ、とお店のおばちゃんがいってくれていたのだった。おかげでカニ麺をいただくことができた。かまぼこみたいな味がするツミレと、薄いがいいだしの出ている黄色いスープ。それに蟹のすり身で三万五〇〇〇ドン。


 フエ最終日、やりたいことはやり尽くしたのでなるべく汗をかかないことだけが目標だった。そうは思っていても退屈で、街をうろうろしてまた汗をかいてしまう。暇だとラインすると、サイゴンからバンコクに飛んだOが返信で、フエで退屈するなんて最高の贅沢だと送ってよこした。そう、あの頃も毎日退屈だったな、笑ってしまう。


 夕方、ただ一つやり残していた、チェーヘムに行くことを実行。チェーはベトナムの甘味である。細い路地を入っていって壁に描かれたメニューなんでもいいと適当に指差す。全部一万五〇〇〇ドン。昔はもっと女の子でいっぱいだった。素朴で砂糖を使っていない、とうもろこしの甘みを利用した甘味。優しい甘みと素直なとうもろこしの香りがすばらしい。なんでもないと言えばなんでもないけど、こんなに素材の良さを引き出した味はなかなか出会えるものではない。一口喰って感動なかなか止まず、これは三つ星、この味のために旅するに値すると思う。ここのことはフエの記憶とともにずっとあったけれど、いつかまたこのためにフエにやってくるのではないか、そう思う味だった。



 フエとのお別れの晩飯はおととい見つけた麵屋。また一番高いやつを頼む。


 飯から帰って七時半前、そろそろ駅に向かうことにする。思い出いっぱいの路地をでて右へ。本当は左に行った方が近道なのだが、こっちの方がバイタクが多いと思ってのことである。サイゴンモリンのところを右へ。バイタクはいるがまったりしてしまって声がなかなかかからない。足下を見られるのが厭で自分から声をかけずにそのまま速いピッチで歩く。涼しい夜でよかった。昨日おとといと眺めたチューンティエン橋のライト・アップを背に進む。こんな早足で歩くのはおれくらいである。そのせいか、おとといはあんなに長く感じたフエ駅までの道のりも短く感じた。フエ駅はベトナム語でGA HUEである。駅頭にはその名前が堂々と飾られている。夜は赤く電気がつけられそれが見えたときには正直ほっとした。


 待合室は二つあり、どちらに入ったものか、と迷ったが手前にある方を選ぶ。ありがたいことに扇風機と冷房がよく効いていた。一番奥にスペースが空いていたのでザックを置いておれは立っていた。テープに吹き込まれた女性のきれいな声のアナウンスが始まり、ベトナム語から英語に変わった。どうやら反対方向の列車が来たようである。ただしおれの乗る列車もそろそろ来てもおかしくない。待合の人はいそいそと動き始め、目の前にいた日本人らしき二人も立ち上がった。おれはそれを眺めていたのだが、みんながホームに出ようとするので流れに乗ってみようと思った。ホームと待合室を隔てるあたりに検札がおり、切符を見せると三番だ、と列車が来るプラットフォームの番号を教えてくれた。


 轟音とともに列車がやってくる。反対方面よりもハノイ行きの方が先だった。おお、威容に思わず胸が弾んだ。早足で5号車を探した。ホームを歩いていた駅員に切符を示して確認した。


 自分のコンパートメントらしきところにたどり着いて戸を開けようとしたら開かない.通路に椅子を置いて暇そうにしているおばさんを訴え顔でみると、中に向かってベトナム語でなにやら声をかけてくれ、やがて眠そうな女性が照れ笑いしながら戸を開けてくれた。コンパートメントの中の面々はすでに寝支度らしく、おれは足をとっかかりに引っ掛けながら自分のベッドに登った。でかいザックを足先の棚に置いて、おれも眠りについた。


〈続く〉