我是否會再去〜また行くのかな(第3回/全7回)

望月竹一


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 二十数年前、不健康極まりなかったおれたちであったが、牛はいつの間にか走ることを始めていた。何でも娘の影響らしいのだが、酒に飲まれていたやつが酒をコントロールするようになり、四二・一九五キロという途方もない距離を走ると言い出した。困るのは他人もそれで充実すると信じているらしく、もち、おまえも走れ、ということで、いくらおれが病弱でもそんなつらいこと、勘弁してもらいたい逃げ回っている。


 そんな様子だからこのマラソン大会にもおれは無関心だった。酒が飲みたいからついてきたといってもいい。会場のニャチャンはサイゴンからバスで一泊行程のところにあり、統一会堂へ行った日の晩、牛夫妻と合流し、寝台バスでニャチャンに向かった。牛が連れてきたサイゴン在住のMさん(彼も走るという)がとってくれた寝台バスはバスの真ん中を通路で仕切り、両側に二段、カプセルホテルのブースをしつらえたようななかなか豪華なものだった。


 スタートは午前三時と聞いたときはあきれて口もきけなかった。くそ熱い中走るから、そんな時間から始めて少しでも涼しい間に終わらせようというのだろうが、その情熱はほかのことに使った方がいいと思った。牛は全然平気で前日は早寝をした。その未明、おれも偶然三時に起きた。スタートを見送ることができると思ったが、体が動かない。律儀なOに任せておけばよかろう。それ以来夢うつつで過ごした。時々携帯が振動し、Oからラインが入った。


 六時半すぎにゴールのはずだからと六時にベッドを抜け出した。昨日騒いでいた海岸通りが会場であろうとたかをくくって歩いた。早朝にもかかわらず通行人とバイクと車が行き交う向こう、何車線かあけてコースが作ってある。大声で実況中継らしいものをやっている。ここまで来ればすぐOに会えると思っていたが、それどころでない混み方である。おれはゴール付近から、もうちょっと人の少ないゴール手前に居場所を移した。くそ熱いのに着ぐるみの人が走っている。二人並んで横断幕を広げ、ゴールする人がいる。コースの中で五月雨のように帰ってくる人をおどけた身振りで撮影する人もいる。公式カメラマンだろうか。 

 

 小一時間、海からの日差しに耐えながらその場所で待っていたが、あんまり現れないので歩きまわってみる。ゴールのあたりを廻り込んで海の側に渡り、救護所の裏を通り、Oはいないか探すこと一五分、いた。追いかけていって、声をかけると牛の居所もわかった。もっとゴールから離れた日陰で牛たちはのんびりと体を横たえていた。

 

 3時間26分16秒というのが彼の成績で、おれが海岸沿いに到着したのが六時半ちょうどだったから、そのときにはすでにゴールしていたことになる。ずっとゴールで張っていたOも彼のゴールに気づかなかったらしく、自己ベストを出して応援団誰も気づかなかったという結末では浮かばれないと心中笑った。Mさんだけ戻ってこないので牛が昨日焼き肉を喰ったあたりまで様子を見に行く。元気なことだ。ここで牛の友人のベトナム駐在員二人を紹介された。





 牛は五〇代の成績としては二位だったということで表彰、賞金をもらった。この賞金、ベトナムの銀行口座が必要とかで、海外からの参加者はもらえないようにできているのだが、牛は友人に頼み込んで代理受領してもらうことになったようだ。


 昼に牛の宿のロビーで集合。総勢八名。定員オーバーでも乗せてくれるタクシーを探す。ぎゅうぎゅうづめである。みんな乗ったところで運ちゃんが何やら大声で言う。Mさんによると、ひとり多く乗せたから少し多く支払ってね、とのことだった。それでも二台分乗より安いから納得して支払うことにする。言葉が通じなかったら支払いの時けんかになることだろう。暴れん坊のバックパッカーもその社会の中に入り、人情に触れるとずいぶんおとなしくなるものである。


 やんちゃな運ちゃんで車線も何でも無視であった。電話で話し始めたり、ラインをやったり。おばさん自転車の釜を掘りそうになったり。助手席のMさんが何かぼそぼそ言っている。そんなにいそがないからゆっくりゆっくり、といっているらしい。


 ニャチャン中心部から車で三〇分あまり、大きな道を外れて海っぺりに入ったところで車は停まった。波打ち際に細いコンクリの桟橋がのび、そこに一艘の船がいる、あれだと誰かがいって行くように促される。若い船頭がなにか言った。一年ぶりだね、といったらしい。Mさんが前に来たのをきちんと覚えていてくれたらしい。おれたちは彼の船に乗って沖にある彼の家にいくのである。


 高床式のその家に船からよじ登る。海に面したテラスにちゃぶ台が並べてあった。次の間に布団がしいてあり、きちんと扇風機もある。これは飲み過ぎで船に乗れなくなったとき泊まるようにしつらえてある。ハンモックもあった。雨水でも汲み置きしているのかトイレもきちんと流れる。





 蒸し牡蠣、焼き牡蠣、茹でたかに、刺身。白身の臭みのない上品な魚だった。日本の刺身包丁でおろしたらもっとなめらかだったろう。生牡蠣も出た。当たったら目も当てられないぞ、ニャチャンに日本語の通じる医者はいないぞ、たべよかな、やめよかな、思い切って食べた。歯応えがありとてもうまかった。すぐ前の海でとれたものだろう。


 暗くなるまで飲み喰いし、夕暮れのなか海から帰る。例の桟橋を伝って陸に立ったが、すぐのところに小さな集落があり、タクシーを待つまでの間、そこの若い奥さんがおれたちのために椅子をしつらえてくれ、何彼と話しかけてきてくれた。


 牛夫妻の部屋で二次会。わざわざ日本から持ってきた大吟醸をいただく。話している間に牛は寝てしまった。寝ている間に股間に酒瓶を立てた写真を撮られてしまった。