ブラック企業戦士 謎のローバ | レトロな血盟軍が行く

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やっとクリスマスが終わってくれた。

あの無理矢理お祭り気分にさせられるのが

ウザくてしょうがなかったです。


しょうもない長文ですのでお忙しい方はココから無視してください


クリスマスになると一時期居候させてもらってた社長さん宅での家族パーティーを毎年思い出すのですが(地獄)

何故か突然、

ブラック企業最高齢のお婆ちゃんを思い出しました。

私は第二工場から島流しされた時にボンクラ店長様から

『第一工場は全員高齢で更に還暦を超えた凄いお婆さんがおるぞ』とニヤニヤ意味深な顔で教えてくれました。

ボンクラ店長様は自分は干物みたいな体なのに、さらに弱い人の事をバカにするウンコ以下な人間なのでした。


第一工場は川沿いの国道から入った車一台がギリギリ通れる生活道路にありまして

配送車はバックで進んで行かないといけないのです。

前から突っ込むと難易度の高いバックで川沿いの流れの速い国道に出ないといけないと言う草最悪な立地でした。

パートタイマーとバイトは自転車か原付で通勤が条件だったのでキツイ仕事の上、

遠くから通勤できないので人不足の悪いルーティンが完成しておりました。

社員は会社の配送車での通勤が義務付けられており、私は初出勤の前日に配送車を取りに行きました。

配送車ハー

細い道からバックで運転してそのまま縦列駐車でギリギリ2台停められており、自転車置き場はボイラーの前に詰められた状態に並べられておりました。

自転車置き場の一番端に無意味にブロックが一つ置いてあり、

『これは何だろ?』と思いました。

初出勤して9時前に続々とオババンたちが自転車で出社してきました。

年齢層は60歳前後

悪い条件で続いてるせいなのか全員態度がデカい

のであった…

朝礼が終わり10時なると1人の老婆がヨタヨタしながら自転車でやってきて近所の高齢者の方かと思ったらパートさんでした。

大袈裟でなくデイサービスに行くレベルの動きですがもう20年以上続いてるベテランなので生産作業には問題のない動きでした。

老婆だけ10時から昼休憩無しの15時迄と言う特殊な出勤でした。

他の口うるさいオババンは昼は帰宅して静かになった中1人で黙々と修行僧みたいに作業する老婆に気の毒に思ってました。

しかしお昼の時間に誰か作業場に居るのは生産が上がるので助かりました。

私もほぼ食べる時間が無かったので老婆とはよく喋るようになりました。

老婆は慣れてくれるとボソボソ身の上話をしてくれるようになりました。

この老婆ハー

80歳近いのにィー

お孫さんの学費を捻出させられておりィー

ご飯まで作らされてるのデー

辛くても仕事をしないとやって行けないと嘆いておりましタァー


私が島流に遭って3ヶ月後

お昼の時間に老婆が話があると言われました。

半泣きの顔で作業をしながら

『もう…仕事辞めると工場長に言うて欲しい』

と言われました。

何でもー

最近腕が上がりにくくてしんどいのとー

他のパートのオババンから

老婆ハ

10時出勤で3時で5時間 

ほかのオババンハ

9時出勤で昼は1時間引かれて生産が終わるまで

老婆の方が効率よくて稼げて

忙しくても早く帰れてズルいと虐められてると教えてくれました。

ワタシハー

呆れてしまいました。他のオババンも人不足でお昼に作業してる人がおって助かってるのに

仕事の揚げ足を取るような事をしてるみたいでした。 

工場長に相談するとパートタイマーのボスと老婆と3人で話し合った末に、

老婆は朝9時から昼休憩無しの13時間までの4時間勤務でオババン達は納得したみたいです。

次の日から老婆は9時出勤

辛そうである

昼13時に退勤

辛そうである

私は作業をしながら老婆を見送ってると

ふとどうやって自転車に乗ってるのかと不思議に思い見に行きました。

老婆は詰め詰めの自転車を引っ張り出して

道なりに自転車を出したと思ったらブロックの上に足を乗せた反動で自転車に跨りフラフラしながらそのまま走り去りました。



初代タイガーマスクみたいでした。

私は他のオババンにその凄さを伝えると

ゲラゲラ笑いながら

『お金無いから元気なんよ』みたいな草った発言をされました。


コノ人達ハー…

ここで働いてるからクサったのか?

クサみたいな人間だからこんな職場にいるのか謎でしたが…

現在あのオババン達もあの老婆の年齢を超えてる頃ですが

あの老婆みたいな動きできてるのデスカネ?

最近の60前後の凶暴なオババンにいじめられてないかな?とどうでも良い話でした。


ちなみに第一工場ハー

ブラック企業が潰れた後、

反町隆史のGTOのドラマのやってる日の台風で工場自体が完全に落城してしまいました。




台風の進路図

1998年9月17日21時頃、南シナ海(ルソン島西海上)で台風7号発生

日本


台風第8号によるものも含む。2つの台風の北上に伴って前線活動が活発となったため、台風による被害は広い範囲に及んだ。


死者18名、行方不明者1名、負傷者611名

住宅全壊87棟、半壊1,121棟、一部損壊49,027棟

床上浸水1,757棟、床下浸水8,822棟

道路損壊1,310箇所、山・がけ崩れ543箇所、堤防決壊44箇所

この台風7号の被害総額は約130億円に上った。中でも特色は、文化財建造物が密集する関西地方を直撃したために、文化財建造物の損壊、損傷被害が顕著であったことが大きい。奈良県で室生寺(後述)など52件(細かい事象を含めると90件近くに上る)、滋賀県で18件、京都府で二条城など5件の被害が報告されている。とりわけ、室生寺五重塔は近隣にあった高さ50mの杉の古木が吹き倒された折、倒れる幹に巻き込まれて屋根が損壊する被害を受けた。塔の修復のため、秘仏などの寺宝を博物館で特別展示するなどして、修復費用を集めることとなった。また、高野山の奥の院参道では杉の巨木が相次いで倒れるなど、文化財損傷の主たる原因は、隣接する木々の倒伏によるものが多い(古い寺社の場合の境内には樹齢の高い老木、古木が多いために、樹勢が弱っていたことも指摘されており、室生寺の場合は、樹齢392年の老杉であった)。


その他、農業の被害も大きく、奈良県、和歌山県にまたがる柿の特産地は果樹の落果、樹木の枝折れなど深刻な被害を受けた。


台風通過後の24・25日には、前線の影響で高知県で記録的な大雨となった。