ダイヤモンド富士とは、日出や日没時に太陽が富士山頂に重なる瞬間に、ダイヤモンドのように輝く現象をいうのだが、ほぼ山頂に重なる富士を見るには、季節や場所、時間や天気などの諸条件が揃ってやっとこさ見ることができる絶景の一つである。今回そのダイヤモンド富士を見ることは旅の目的の一つだが、それを見に行くには理由がある。それは先に綴ったように “忘れるため” もしくは “捨てるため” だ。何を?。大阪ベイブルースでは大阪の海にみんながサヨナラを捨てに来ると歌われ、岬めぐりでは悲しみを海深くに沈めると歌われている。ん、海⁇。何かの思いと訣別する時のロケーションのテッパンは海なのか⁇。まあいい…空に放り投げてやる!とまあ、その理由はというと引きずってる思いと訣別するためなのだ。そしてそこが訣別に相応しい場所であることはボク自身がよくわかっている。ある寒い冬の夜、降って湧いて出たような耐えがたい程の喪失感。陽射しが暖かく感じられる春になっても、その喪失感は癒えることなく、胸の奥でくすぶり続けた。「よしっ!旅に出よう!」ってな感じで、荷物を積んだオートバイを西名阪から名神高速、新名神高速を走らせ今回の目的地、ダイヤモンド富士が見れる静岡県富士宮市、富士山の西側、朝霧高原の一角にある田貫湖を目指した。この湖畔で見ることができるダイヤモンド富士は、湖面にもその様子が映し出され、実に美しい…らしい。混乱を続ける気持ちの暴動をしずめるに相応しい場所ではないだろうか。旅立ちの日、朝早くに出発したので、まだ陽の高い時間に田貫湖へ到着した。
静かな湖畔の森の陰ではないが、気に入った場所にテントを張ることができた。明日の朝のメインイベントまでまだまだ時間があるのだが、刻一刻と変化していく富士山の麓の雄大なロケーションの中では、1分1秒も惜しく感じられ、その全てを目に焼き付けようと瞬きもできないほどだ。
日が暮れるまでの間、買いこんだビールを片手に湖畔の遊歩道を歩いたり、積んできたルアーロッドで釣れない釣りを楽しんだりしているうちに、喪失感に支配されていた心も少しづつ浄化され、穏やかさを取り戻していく。誰とも話さず自問自答を繰り返し、その答えを出すことにこだわり続ける事が、無意味なように思えてくる。ここはそんな場所だ。
すっかり日が暮れ、晩ごはんの時間。満天の星空と缶ビール…至福のとき。明日の夜明けの絶景に思いを馳せながら早々に眠りについた…が、真夜中のキャンプ場に聞こえる「アン、アン、ア〜ン」。隣のテントだ。確か夫婦と小学生くらいの子ども2人の4人家族だったはず。人を本能のままに行動させる…これも大自然のチカラなのだろうか…。そして若干の睡眠不足の中、夜明けが訪れようとしている。



