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仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法

海外旅行に行き続けると、どんな心境になるのかを試したいのもあり、
週末や連休、まとまった休みの日に日本脱出するようにしてみました。

先週、中学生の同窓会に参加した。中学の友人の間では
どうやら僕は「難しいことをいつも考えている人」として
記憶に残っているらしい。

それは的を得ている、と思う。僕は中学1年生の夏に、
家族と一緒に初めて海外旅行に出かけた。
行き先は東アフリカのケニアとタンザニア。

その途中で寄港したパキスタン南部のカラチが、
僕にとって初めての外国だった。

20年前のカラチは、中学生で多感だった僕にとって
あまりにも衝撃的で、その後の人生にも影響を
与え続けることになる。


$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-Karachi


1.パキスタン航空で東アフリカへ

当時、アフリカに行く飛行ルートは、2種類あった。

一つは北周り。欧州系の航空会社を使ってパリやロンドンに
直行便で飛んでから、トランジットして、アフリカに向かうルート。

もう一つは南周り。こちらは南アジアの国々を各駅停車のように
経由しながら、アフリカに向かうルート。ケニアの首都ナイロビに
行き着くのに合計2日以上かかるが、運賃が安いのでローバジェット
な旅行者には人気なルートだった。

僕らは家族4人で行くこともあり、もちろん南回りのルートを行った。
成田⇒マニラ⇒バンコク⇒カラチ、そしてカラチでトランジットして
⇒アブダビ⇒最終地 ナイロビ。合計4箇所も経由する

今ではちょっと考えられないルートだ。

航空会社はパキスタン国際航空(PIA)。頭文字をとって
"Perhaps I Arrive"(もしかすると、着くかもしれない)という
ブラックジョークがあるとおり、恐ろしく古い Boeing の中古機で
イスラム教のお祈りから始まるフライトだった。

すべては「インシャラー(神のみぞ知る)」で片付いてしまう世界。
カラチまでは、日本人 CA も搭乗していて、怖くないのか?の質問に

“湾岸戦争のときは、中東上空を飛ぶのが怖かったけど、
 今は全然怖くないです、インシャラー” と答えてくれた。

※最後のインシャラーは創作です。


2.衝撃的なカラチ

僕はカラチで、日本では見たことないような貧困が
まるで当然のように日常生活の中にあるのを知った。

クルマが信号で止まるたびに、小さな子供たちがフロントウィンドウを
拭きにやってくる。信号が青になる前に拭き終えて、チップをねだる。
チップをあげるドライバもいればあげない人もいる。

あるいは、渋滞しているクルマの間をぬって、物乞いがやって来る。
手が変なふうに固まっていたり、ケロイド状になっているのを示して
お金をねだる。僕はクルマの窓を一つ隔ててそんな光景を見ていた。

僕を特別に可愛がってくれたドライバーさんは言った。

“私にも子供がいて、生きていればちょうど君と同じ年だった。”

当時のパキスタンでは、子供が生まれても生き残って大人になる
確率は少なかったようだ。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-laundry

スラム街の中にあるような洗濯場を見学に行った。
お菓子やお金をねだりに来たこの子供たちは、
僕らが何もあげないと知ると、豹変して
小石を投げつけたり、唾を飛ばしてきた。

カラチで体験したことすべてが壮絶で衝撃的だった。


3.片目をつむって生きること

日本では「困っている人を助けるように」教育された。
ところが、パキスタンでは困っている人だらけじゃないか!

日本で生活してあたりまえだと思っていたことが、
そうではないことを知ってしまい、その後3年くらい
悩みに悩んで、夜うなされることもあった。

中学生には抱えきれないような宿題を、カラチからもらってしまった。
僕以外の人はカラチに行っていないのだから、学校で誰かに相談できる
はずもない。だから、僕は誰にも共感されることなく、
一人で問題を抱え込み、一人で乗越えるしかなかった。


まるで『デミアン』の主人公シンクレールが、嘘の誓いを立てたことで
その後の人生が一変してしまったように。僕は日本にいて、普通に生活
することがとても苦痛で罪深いことのように感じていた。


高校1年生の春だと思う。僕は、一つの答えに行き着いた。
僕は日本とは別の衝撃的な世界があることを知ってしまった。
しかし、誰かを助ける前に、自分を助けなくてはならない。
それまでは、片目をつむって生きよう。

世界にどんな現実があるとしても、日本での生活、
片方だけの現実を見て、とりあえず生きるしかないって。

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20年前のカラチ。それはものすごく衝撃的で、僕の中学時代や
その後に影響を与えた初めての海外旅行になってしまった。

カラチで経験したことは、やっと今になって話せるようになった。
しかし当時は、どうしても飲み込めない現実のひとつだった。
サラリーマン海外旅行者にとって、
会社やお世話になっている人へのお土産を
何にするかが悩みどころだと思います。

一方で自分へのお土産は、
チョコレートや腕時計のように高価である必要はなく、
自分が価値を認めたものなので、珍品ばかりになりがちです。

そんなお土産を少し紹介させてください。


1.各国の辞書をコレクションに

海外旅行に行ったら、必ずといっていいほど辞書を買います。
特にマイナー言語の辞書は、旅行中、かさばるし重いけれど
ついつい買ってしまいます。

例えば、ラトヴィアの人口は東京23区の人口の半分の2万人位。
その内の何パーセントかはロシア語を話すロシア人も含むので、
ラトヴィア語は消滅の危機にあると思います。余計なお世話だけど
陰ながら支援したい気持ちもあって、コレクションにしています。

さらに、『ラトヴィア語-リトアニア語辞典』とかになると、
ホント限られた人しか使わない、超マニアックな域に達していて、
やっぱり買ってしまいます。


それ以外は、ミャンマー語やスリランカ語のように、
くるくるした文字が綺麗だなぁ、と思って買った辞典もあります。
新品なはずなのに、ジャガイモのような形をしたヨレヨレ辞書でした。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-辞書

各国の文字の書かれたキーボードをお土産にする人もいますね。


2.日用雑貨はおもしろい

写真はベラルーシでハウスキーパさんから頂いたペーパロールです。
ちゃんと、首都ミンスクにある会社の連絡先なども記載されています。

世界のペーパロールを集めるのもいいかもしれませんね。
ちなみに、このペーパロールの使い心地は「紙ヤスリ」?

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-ペーパロール


3.紙袋に関する深い話

フィンランドの陶器ブランド iittala のコースタとカップを
購入したら、この写真にあるような紙袋に入れてくれました。

ずいぶんしっかりした紙袋なのですが、
よく読むと裏面にこんなことが書いてあります。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-紙袋

“使い捨て主義に対抗した、日々の使用に耐えるデザイン”

僕ははじめこれを読んだとき、
“おいおい、こらこら”と突っ込みを入れたくなった。

たしかに iittala の陶器は丈夫にできていて、使い捨てじゃない。
しかし、「使い捨て主義に対抗した」というわりには、やたら豪華な
紙袋じゃないか。こんなものを毎回捨てていたら、その方がよっぽど
もったいないではないか、矛盾しているなぁ、と思ってしまった。

でもよくよく考えてみると、この紙袋自体が
「使い捨て主義に対抗した、日々の使用に耐える」ように
デザインされたものなのかもしれない、と思いついた。

僕は日本のデパートの紙袋になれ過ぎていて、
これは当然 捨てるものだと思い込んでいた。

しかし、この紙袋は、“捨てないで使ってくれ、
ちゃんと持ちこたえるから” と主張している。

ECOバックと同じように使い回せるのだ。

フィンランドの環境に対する思考の深さを感じた。

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皆様はどんな、おもしろい自分へのお土産がありますか?

タダだったり、くだらない物だからこそ、目の付け所というか
それぞれの感性で選ばれる自分へのお土産があると思います。
日本人をやめたいときがある、と話をしていたら、
ある製薬会社のロビーストに、言われてしまった。

“家に帰って、パスポートの最初のページに
 何が書いてあるかよく読んでごらんなさい”


僕は今までまじまじとパスポートを読んだことがなかった。
ロビーストに言われたとおり、家に帰ってパスポートを開いた。

そこには、こうあった。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-パスポート前文

「日本国民である本旅券の所持人を通路
 故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な
 保護援助を与えられるよう、関係の
 諸官に要請する。
             日本国外務大臣」

要するに、こいつを守ってくれ、っていう日本の要請だ。
国外にあっては、日本は直接的に邦人を守ることはできない。
だから、他の国にお願いしているのだ。

ロビーストが言いたかったことは、できるだけ強い権力に
要請してもらうほうが、国外において安全に旅行できるよ
っていうことだ、と解釈した。

そういう意味で、日本はまだまだ強い国なのだ。
日本のパスポートを持てるのは幸せなことなのかもしれない。


1.パスポートを所持していないと強制送還?

スリランカは、インド洋の宝石といわれる素晴らしい国だ。
しかし、反政府組織タミル・イーラム解放の虎(LTTE)の
テロ攻撃とスリランカ政府による戦闘が長年 続いていた。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-ゴールドフェース

そんな折、僕はコロンボのゴール・フェース・グリーンという
海岸沿いの公園を散歩していた。夕涼みにコロンボっ子たちが
くりだして、賑わっていた。

海岸沿いを軍のヘリが往復しながら警戒していたけれど
普通に子供たちも遊びに来ているし、僕は不安に感じなかった。

しかし、ある人たちにとっては不安な状況は続いていたようだ。

たまたま、サリーを着たタミール系の女性たちから声をかけられた。
あいにく僕はタミール語が話せなかったのだが、近くにいた人が
タミール語を通訳してくれて、しばらく彼女たちと楽しく会話した。

通訳してくれた彼は、宝石の原石を扱うインドの商人だという。
時間があったらコロンボの街を遊びにいこう、って話になったのだが、
急にまじめな顔をして、こう言われた。

“君はパスポートや入国書類をちゃんと携帯しているか。
 昨日、政府の一斉取締りがあって、書類がそろっていない
 タミール人が、みんな北部に送還されたり、インドに返されたんだ”

なるほど。反政府組織のテロも怖いけれど、
タミール人にとっては政府も怖いのだ。
僕なんかは、パスポートも身分証明書も何も持たずに
自由に出歩いて問題ないのだから、かなり温度差がある。


2.空爆により行き先変更

スリランカ続きの話。

僕は、キャッセイパシフィック航空で香港 経由
コロンボに向かっていた。ところが、香港でトランジットする際に
航空会社から文書が回ってきた。

「先ほど、コロンボ近郊の石油精製所に
 空から爆弾が投下されたため、コロンボ空港において
 民間航空機の夜間 離発着が禁止となりました」


やれやれ…。

日本に引き返した日本人旅行客もいれば、カルカッタや
シンガポールに行き、昼間の便でコロンボ入りを目指した人もいた。

僕は、旅程を大きく変えてバンコクに向かい、
そこでラオス行きの航空券を買った。

スリランカには、後で行こう。


2ヵ月後、僕はスリランカを旅をした。
旅程を終えて帰国するときコロンボ空港でぎょっとしてしまった。

滑走路に向かう飛行機の窓から見えたのは
2機のミグ戦闘機が離陸する光景だった。


戦闘機に続いて離陸するのは、安全なのか危険なのか?
軍民共用の空港だから、たまたま戦闘機の後に離陸したのか、
それとも、護衛のための戦闘機だったのか、よく分からないが。


3.イエメンでの邦人誘拐事件について

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-サヌア

今、イエメンで邦人が武装した男たちに誘拐されている。

今年、僕がサヌア近郊にいたときにも、米国大使館前で自爆テロが起きた。
外国人に対する誘拐事件も多い。だからイエメンは危ない、とはいえないし、
今回の邦人誘拐に関しては、なかなか予見できなかったのではないかと思う。

すると僕も誘拐されてもおかしくなかったのか
と考え込んでしまう。

誘拐した部族は政府に拘束された肉親の解放を求めているときく。

反政府の部族からしてみると、邦人を誘拐したのも
政府がしていることと同じなのだ、という主張なのだろう。
自分たちが認めない権力が武力をもって肉親を拘束しているのだから。

誇り高いイエメン人同士の交渉は、
お金で解決できない分だけ、難しいと思う。

一方で、今回邦人がどのようなクルマに乗っていたのか知らないが、
たまに見かける、JAIC のピカピカで豪華な 4WD は、貧しい国では
かなり浮いて見えるので、今後工夫の余地があると思われる。

一刻も早く、邦人が無事解放されることを祈るばかりだ。
旅行に出かけると、予想もつかないような状況に陥ることがある。
でも一方で、困っている旅行者を助けてくれる人たちがいる。
根拠ない楽観主義ではないけれど、捨てる神あれば拾う神ありです。


1.モロッコでの転がり込み

2000年にモロッコに行ったとき、空港で自分の預入荷物を待って
いたのだが、いくら経っても出てこない。そして、ついに出てこなかった。
経由地のパリで飛行機に積み込み忘れられてしまったらしい。

当たり前のように、
僕は着の身着のままカサブランカの街に放り出されてしまった。

財布は持っていたので、とりあえず電車で古都マラケシュに行く
ことにした。そこで出会ったのが B だ。B はマラケシュ大学の学生で、
バイクに乗せてもらいホテル選びを手伝ってもらったけど、
いいホテルが見つからず、

“それじゃ、うちに泊まるか?兄弟がいてうるさいけれどいい?”

っていう展開になった。
B の弟と兄との3人で暮らしているアパートに泊めてもらった。

兄弟に初めて会った時、ハグしてキスする挨拶をするのだけれど、
当時そんな経験もなかったので戸惑ったことを覚えている。
B の弟は、いろいろ話を聞きたがって時差ぼけの僕をなかなか
寝かせてくれなかった。

それでも、東京からモロッコに放り出されて、
いきなり知らない人のイスラームなお宅で一晩泊めてもらうのは
刺激的な旅行の始まりだった。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-B



2.新島での転がり込み

高校生の頃、僕は自転車少年だった。クロスバイクにテントや
寝袋などを積み込んで当てもない旅によく出かけた。しかし
このときは時期が悪かった。冬は野宿に適していない。。。

下田港からフェリーが出ていることを知った僕は、新島へ
行ってみることにした。新島がどこか分からなかったけれど、
往復のフェリー代が手元にあったという理由でそこに行ってみた。

新島港に着いたとき、雨が降り始め、寒くて困ってしまった。
フェリーの乗客たちは家に帰ってしまって、僕だけが港に
とりのこされていた。

前日は下田港で野宿したのだが、あまりに寒くてほとんど
寝れなかった。
夜中に警察に起こされて、学生証を見せた。
僕はオウムの逃走犯と疑われたようだ。

とにかく、僕は港から自転車をこいで、今日の野営場所を
探さなくてはならない。しぶしぶ雨の中、新島村にこぎだした。

このときは、あまりにお腹が空いていて、商店街でビスケットを
買った。そこのお上さんが民宿を経営していて、冬は客がいない
から、好きなだけ泊まってくれて構わない、って言ってくれた。

僕はその民宿を拠点にして、島中を自転車で走り回った。
旅行客も少なくて、人口も多くないので、僕は、島民の間で、
“あの自転車少年”としてすぐに有名になってしまった。


3.スイスでの転がり込み

チューリヒに向かう機内で(たしかウラル山脈を越えたあたり)
急に胸の痛みを感じた。よろよろ歩きながらホテルにたどり着いたが
翌朝になっても痛みは治まらず、チューリヒ大学病院で
診察を受け、手術、入院となった。


手術後の夜、痛みをこらえたのが災いして、激痛に苦しんだ。
最後は看護士に、外人サイズの強い痛み止め注射を受けて、
そこから、完全に意識が飛んでしまった。

食事が取れない中、翌日、痛み止めと麻酔の影響で意識レベルが
低下して、人の話しかけに反応できなくなってしまった。

そんなときに僕がスイスにいることを聞きつけた友人 D が
病院に電話してきてくれた。僕は朦朧としていて“あー、
うーあー”くらいしか言えていなかったと思う。後になってから
D に、“あのときは、死ぬのかと思った”と言われた。。。

D は何かを手配するのに長けている人だ。僕を個室ベットに
移す手配をしてくれてた。それから退院後は、荷物を預けていた
ホテルの人に D と会う場所と移動手段を連絡してくれてた。
それは面白い経験だった。看護士もホテルの人もこう言った。

“D からの伝言です”

すべてはアレンジされていた。

結局 予定外だったが、アルプスとトゥーン湖を見渡す
D の邸宅で D の家族と週末を過ごすことになった。

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-スイス病院



年間10回 海外旅行に出かけると、トラブルに合う確率も高くなる。
いつもとは限らないが、困っている旅行者を助けてくれる人はいる。
そんな人たちに支えられて旅行ができるのだと思う。

二十代の旅行者は、貧乏旅行なり何なりして、いくらでも人に
甘えるのがいいのではないか。三十代で、働いているのならば、
あまり人に迷惑をかけたくない。

四十代以上になったら、今度は自分が、困っている
旅行者を泊めてあげて、食事を与えてあげるようにしたい。
暮らすように旅をしたい、旅するように暮らしたい
『地球の歩き方 ヨーロッパ個人旅行マニュアル 1995年』から

いい言葉だなぁ、と思って実践しています。

現地の人の食べるものを食べるようにして、なるべく
現地の人と同じ服装をするようにしています。現地の人との
距離がいっそう縮まり、おもしろい出会いや発見があるはずです。


1.現地人になりきろう!

現地に着いたらまず服を新調するようにしています。

服を現地調達することで行きの荷物を減らすことができるし
お土産として日本に持ち帰って部屋着にするもよし、
勇気があればその格好で街に繰り出しましょう!

$仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法-服装

スリランカやミャンマーなら、
腰巻のようなサロンにYシャツを合わせます。

モロッコなら、ベルベル人が着るようなスターウォーズっぽい
というか、少しネズミ男みたいなフード付きの民族衣装を着ます。
砂漠に行くならトゥアレグ族が着るような青い衣装にターバンで
決まりです。

イエメンだったら、白い長いシャツをオーダーメイドします。
最高級品の生地は“東レ”だったりするので馴染み深いですね。

インドネシアだったら、バティックのシャツに暗めの色のパンツが
シックだと思います。(若者でこのスタイルは少なくなってきた)


2.手ぶら で ぶらぶら

これも個人的な趣味ですが、海外で町を散策するときは、
手ぶらが基本です。ガイドブックは持ち歩くと重いので、
地図の部分を破って、行きたいところや情報を書きなぐり、
ポケットに突っ込んで歩きます。

街中で立ち止まってガイドブックを読んでいる旅行者の姿ほど
無防備なものはありません。大変申し訳ないことではあるのですが
ガイドブックが必要になれば、旅行者にお願いして見せて
もらうようにしています。
たいてい持っていますから。
(ちょっとした情報交換もできます)

ケータイ電話やコンパクトカメラ、メモ用紙などどうしても持ち歩く
必要がある場合は、コートのポケットに入れるか、現地のスーパの
ビニール袋に入れて、ぐるぐるして手に絡ませて歩きます。

僕は現地の服装をしているので、あまり旅行者とは思われないようです。
大体は、現地にいる中国人だと思われています。すごく安全です。

ちなみに、現地の人には色々な国の人に間違われることもあります。

あなたは、中国人?(よく言われます)
あなたは、日本人?(そうです)
あなたは、韓国人?
あなたは、シンガポール人?
あなたは、ドイツ人?(なぜ?)
あなたは、アゼルバイジャン人?(珍しいですね)
あなたは、ロシア人?(白いから?)

いろいろなレパートリーがあるものですね。


3.しっかりした服装も必要

身をやつして旅をすするのは楽しいのですが、ちゃんとした
服装も持っていくようにしています。Yシャツやコットンパンツ、
ジャケットなどはホテルや交通機関での印象がいいです。

バンコクのスワナプーン国際空港で、一度タイを出国したにも
かかわらず、入国審査官にお願いして、パスポートチェックを
せずに、再入国させてもらったことがあります。うっかり免税の
スタンプを押してもらうのを忘れてしまったときの処置でした。

このとき、自分のミスなので、入国審査官の権限ある人に
懇願して、例外的に認めてもらったのですが、たまたま
ピシッとしたビジネスルックだったのがいい方に影響したようです。
ジーンズにサンダル、Tシャツ姿であればアウトだったでしょう。


服装は、現地の人とのいいコミュニケーションツールだと思います。
現地で売っているものを着れば、その土地の気候に合っていて
合理的でもあり、旅の気分が盛り上がります。

こんな『暮らすように旅したい』の実践方法があるので
ぜひ、お試しください。