「ぜんぜん」
「まぁ、でもそんなに日が経ってないからね」
みずほとちどりが、そんなことを話して校内を歩いていると、突然声をかけられた。
「すみませ~ん。松風ちどりさんですね」
「はい。そうですが?」とちどりは答えた。
「もしかして、こちらは、国東みずほさんですか?」
「はい。そうです」とみずほも答えた。
「申し遅れました。私、☆明星祭☆の実行委員の稲葉ひばりです」
「俺は、実行委員長の赤倉室人よろしくな」
みずほとちどりは、なぜ彼らが声をかけてきたのかわからなかった。そんなふたりに、ひばりが話し出した。
「あのー、文学部の浅間准教授から推薦いただいたのですが、☆明星祭☆のステージに出演して下さるのですね」
「あっ、はい。確かに」
そうちどりが言いかけると、みずほが割って入った。
「あすか先生から“漫才してみたら”とお誘いいただきました。よろしくお願いします」
すると、室人が、
「本当に出てくれるんだよな」
「出るつもりだよ」とちどりが突っかかるように答えた。
「つもりってなんだよ。それにどうすんだよ、MCは?毎年、ミスキャンがする事になっていたんだぜ」
「あぁ!しまった。すっかり忘れていた」
ちどりは焦ったが、ひばりがあっさり言い放った。
「ちどりさん、大丈夫ですよ。MCは実行委員会で段取りしますから。と言うことで、委員長、MC探し、よ・ろ・し・く」
「わかったよ。まあ、どちらにしろ今回の☆明星祭☆ではミス・キャンパス・コンテストするし、お前も出場するんだろう。だったら結果同じことだよ」
「ミスキャン・コンテストって、新入生の歓迎会を込めた“春祭”でのメインイベントじゃなかったですか?」驚いてみずほが尋ねた。
「あぁ、確かにこの春まではな。でも予算削減で来年度から“春祭”は中止に決まったよ」
「えぇ~、そうなんだ~」みずほは、少し残念そうに言った。
「でも、考えようによっては、ちどりさんは7冠が狙える訳で…。ある意味ラッキーかも。だからちどりさんには、今回も是非とも出場して欲しいですね」
「そっか。最後になるかも知れないし…」
ひばりの言葉にちどりも意欲的だったが、さらにみずほがとんでもないことを言い出した。
「ちーちゃん!あたしも出たい!」
みずほ以外の三人は一瞬にして固まった。そしてちどりが一言。
「マジで!?」
「ダメ?」
「ダメとは言えないけれど…」
ちどりとみずほがそんなやりとりをしていると、室人があっけなく言った。
「いいじゃん。出場すれば」
「えっ!?」とひばりが驚きの声を上げ、ちどりは「マジでいいのかよ」と言った。
「本人が出たいって言うんなら仕方ないだろ。こういうのを身の程知らずって言うんだよ」
室人は悪態をついた。その態度にちどりは“カチン”ときたが敢えて何も言わなかった。室人はみずほたちに「じゃー、☆明星祭☆で漫才たのむぞ!」と言いながら手を上げ去って行った。ひばりは「よろしくお願いします。ミスコンであいつを見返してやって下さい」と頭を下げた。先に行った室人が「おぉい!ひばり行くぞー!」と怒鳴っている。ひばりは「ハーイ」と言って走り去った。
「まったく失礼な奴だ。あの室人とか言う奴。イラドルの“ももち”呼ぶことにしたのもあいつだよ。どうせ“ゲストを誰にするかは委員長の俺の権限”とか言って、強引に決めたんだよ。まったく!」とちどりは腹の虫が治まらない。
「まぁまぁ、そんなに怒らないの。最近のちーちゃん、イライラしすぎだよ。それに意外といい人かもしれないよー。あたしに、ミスコン出てもいいだって!」
ちどりの気持ちなどまったく意に返せずミス・キャンパス・コンテストに、出場できることを喜ぶみずほだった。
「はっきり言って、あいつ、みずほのことバカにしているだよ。マジで出場するの?」
「うん!一度でいいから、ちーちゃんみたいに、たくさんの人の前に立ってみたい!」
「そっか~。じゃあ仕方がないか。とりあえず今度の日曜、空いているか?」とちどりが尋ねた。
「空いてるよ」
「じゃあ私と付き合って」
「えぇ~!ちーちゃんとデート!?」
「バカ言え!その日はファッション誌の撮影があるから付き合えってこと。でも、本当にあんな言い方されて悔しくないのか?」
「うんん。慣れているから。それよりもステージに立ってみることが目的だからね。気にしてない」
「ステージだったら、ふたりで漫才するから立てるじゃん?」
「あっそうか、忘れてた」
「まっ、いいか。とりあえず日曜、よろしく」
「OK」
※
日曜日、みずほはちどりとの待ち合わせ場所に来ていた。
「みずほ、お待たせ」
「ちーちゃん、おはよう」
「おはよう。待った?」
「うんうん。今さっき来たところ」
「じゃー、行こうか」
「うん」
そう言って、みずほはちどりとともに歩き出した。
「みずほ、着いたよ。ここが撮影スタジオ」
そこは、一見ただの小さなビルだった。
「ちょっとここで待っていてくれる」
そう言うと、ちどりはひとり中に入って行った。みずほは待っているあいだ、キョロキョロと周りを見渡した。さっきは気付かなかったが“studio elm”という大きな表札みたいな看板が壁に貼り付いていた。やがて、中からちどりが出て来た。
「OK。許可取ってきたから、入って」
みずほは“なんで友達の付き添いで、許可がいるのだろうか?”と思ったが、そんなみずほを察してちどりは「ファッション誌の撮影って、情報が漏れるとマズイしね。場合によっては信用問題になっちゃうのよ。だから今日の撮影現場で見たことは、絶対秘密ね」と答えた。
「わかった。トップシークレットね」
「そう、トップシークレット」
ちどりは部屋の扉を開けると「おはようございまーす」と言って入って行き、続いてみずほも「こんにちは。失礼します」と言って恐る恐る入った。
「みずほ、この業界では時間に関係なく“おはようございます”って言うのよ」
「えぇ~ぇ。夜でも?」
「そう、夜でもその日初めて会う時はね」
そんなことを話していると、カメラマンの月山ちとせがやって来た。
「ちどりちゃん、おはよう。今日はよろしくね」
「おはようございます。よろしくお願いします。彼女は友達のみずほです」
「はじめまして。国東みずほです」
やがてひとりの女性が、あわただしく近づいて来た。
「ちどりちゃん、早くこれに着替えて」
そう声をかけたのはスタイリストの高山千秋だった。
「ハーイ!」とちどりが返事すると、すぐさま衣装を受け取り更衣室に入って行った。
「おはようございます」みずほは深々とお辞儀した。
「おはよう。あなたがちどりちゃんのお友達ね。まあそんなに気遣いしなくていいわよ。バタバタしていてゴメンね。どこか適当な所に座ってもらっていいよ」
千秋はそう言うと、あわただしく戻って行き「ちどりちゃん!着替え終わった?どれどれ、う~ん。これでよしと。それじゃ、美絵ちゃんにヘアーメイクしてもらってねー」と指示を出た。そして、みずほの方をチラッと見た。みずほにとって初めて見る世界なのだろうか、興味深そうに見ていた。
しばらくすると、松嶋美絵が千秋を呼んだ。
「千秋ちゃ~ん!ちどりちゃんのヘアーメイク、これで行こうと思うんだけど!」
「ハーイ!今、行く!」
美絵の元に走って行った。
やがてヘアーメイクが決まったちどりがやって来た。そして、撮影が始まり、みずほはその姿に見惚れてしまった。そんなみずほの姿を見た千秋が声をかけてきた。
「今のちどりちゃんの衣装、どう思う?」
「似合っていて、可愛いと思います」
「そう。では、着てみたいと思う?」
「えっ!?ちょっと考えられないですね。ちっちゃいころは、お友達のフリルの付いた洋服が可愛いくて、自分も着てみたかったんです。でもその頃はいつも兄のおさがりばかりで…、いつしかそれが当たり前になっていました。だから中学の制服のスカートが苦手で、いつもジャージを履いていました」
そう言って、みずほは笑った。
「そっか。まっぁまだまだ色々なパターンが見られるから参考にしてちょうだいね。ちどりちゃん!一本目、終わった?」
「ハーイ!」
「じゃー、次はこちらね」
千秋が衣装を手渡した。
しばらくして再びヘアーメイクを終えたちどりがやって来た。大人ぽい服に、アップにした髪、さっきとは別人のように見える。みずほは口をポカンと開けたまま見入っていた。
「どう?ぜんぜんイメージが違うでしょう」
「はい」
もう言葉にならないほど魅了されている様子だった。そのような中、カメラマンのちとせのきびしい指示が飛ぶ。
「はい!そこで笑顔!そんなに歯は見せない!そう!そのまま動かない!ハイOK!」
ちどりは、「ふぅー」と息を吐いた。
「気を抜かない!!次のカット、いくよ!…」
その後、パンツルックやフォーマル風、スポーティーなものなどを撮影し、最後の衣装となった。
「ちどりちゃん、お疲れ。これで最後だから」
そう言って、千秋はフリルのたくさん付いた可愛い服を手渡した。ちどりは思わず言った。
「えっ~ぇ、これ、着るんですか?なんか恥ずかしいー!」
「ごちゃごちゃ言わずさっさと着替える!」
「ハァ~ィ」と不機嫌そうに返事をした。
しばらくして、ちどりと一緒にやって来た美絵が「千秋ちゃん!どう?これで。ちどりちゃんのツインテール姿、可愛いでしょう」と言った。
「すごい可愛いじゃない。バッチリ!!」
そんな千秋のほめ言葉にも、不機嫌なちどりはブーたれていたが、みずほの瞳は輝いていた。向こうでは「ちどりちゃん!まだ~!」とちとせが呼んでいる。
「ハイハイ!とりあえず撮影!撮影!」と千秋がちどりを追い立てた。
ちとせは乗ってこないちどりに、少々イライラしているようだ。
「あなたそれでもプロのモデルなの!?衣装にナメられてどうするの!」
その言葉をきっかけにスイッチが入ったのか、満面の笑みで挑んでいた。そんなちどりの姿に刺激を受けたのか、いつしかみずほは自分もやってみたいと思っていた。
「ハーイ!お疲れ様。すべて終了」
ちとせが声をかけた。ちどりはよほど恥ずかしかったのだろうか、一目散に更衣室に走って行った。
千秋がみずほに声をかけた。
「ちどりちゃんから聞いたけれど、学祭のミスコンに出場するんだって?」
「スミマセン」
「謝ることないわよ。挑戦することは大事なことだし…。それにしても、センスが…言うか、
それ以前の問題ね。でも私に任せておいて」
みずほは、何のことか訳がわからなかったが、とりあえず 「よろしくお願いします」と言った。
「ところで、服装っていつもそんな感じかな?」
「えぇ、まぁ、だいたい…」と答えつつ“今日はこれでも一生懸命選んだんだけどな~”と思っていたら「でもコンテストにでるのだったら、みんなが驚くほどイメチェンしないとね。頑張ってスカートは挑戦してみよっか」そう言って千秋はみずほの肩をたたいた。そしてそこにちょうど美絵がやって来た。
「美絵ちゃん、彼女だけど、どう?」と千秋は尋ねた。
「ちょっとメガネ外してくれるかな」
みずほは、おもむろにメガネを外した。
「OK!今度はちょっと髪触るよ。髪留め外していいね?毛先はちょっと傷んでいるけど、十分大丈夫だね。ありがとう、メガネかけてもらっていいよ」美絵はそう言って笑顔を見せた。
ちとせが今日の撮った写真の画像をタブレットに表示させて、みずほたちの元にやって来た。
「みずほちゃん、どうだった?参考なった?」
「ハイ!ありがとうございました」
「この中でどれか一番お気に入りかな?」
「二つ目の大人ぽい、ちーちゃんはすごい素敵でした」
「いや、そうじゃなくて…。みずほちゃんなら、どの衣装を着て撮影してみたい?」
「あたしですか?あたしは…」
「自分に正直になって言ってごらん」と美絵が優しく声をかけた。続けて千秋も言った。
「そうだよ。他人の目を気にして遠慮すると後悔するよ」
「正直に言うと、普段まず着ることがない、最後の少女アニメの主人公のようなフリフリがいいです」
みずほは照れくさそうに言った。それを聞いて、千秋と美絵、そしてちとせは“やっぱり!” と納得した。そして美絵は千秋に「なぜかワクワクしてきた」と嬉しそうに言った。千秋も「そうでしょう。私も楽しみで、腕が鳴るよ。ちどりちゃんにあの服着せた甲斐があったわ」
と言って、ウケたように笑った。
千秋はおもむろに最新のスマホを取り出し、ちとせにが言った。
「ちとせちゃん、今日の画像、私のスマホに落としてもらってもいいかしら?編集部にもゲラとして送らなきゃなんないし」
「わかりました。今送りますね」
そこへ着替えを終えたちどりが、やって来た。
「あっあー。千秋さん、新しいスマホ買ったんだ!見せて見せて!!」
「ダーメ!ちどりちゃんがいじくりまわすと大変なことになるんだから」
「大丈―夫ですって」
「でも前のスマホ、こっそり触ったでしょう。アイコンの位置がバラバラになっていて大変だったんだよ」
「バレたか。すみません」とちどりは謝ったが、二人の会話を聞いていた美絵も参戦してきた。
「千秋さんも被害にあっていたのですね」
「えっえー。私なにかしたっけー?」
ちどりはとぼけた。
「何言っているの。私のヘアーカットのハサミで、荷造用のPPバンド切ったでしょうが!」
「あれって、ダメなの??」
「あのはさみ、ダメになったんだからね。あんな硬いもの切るから、もう、髪切れなくなったのよ」
「実は私もあるのよ」
そう言い出したのはちとせだった。
「私の場合は商売道具のカメラよ。勝手に触ってレンズを落としそうになったんだからね。あの時どれほど冷や汗かいたか」
「ホント、みなさんすみませんでした」
ちどりは、深々と頭を下げた。
「ちーちゃん、しょうがないよ。壊し屋なんだから。ちーちゃんはその気がなくても、触ったものが勝手に壊れるんだもんね~。壊し屋ちーちゃん、パワー炸裂!」とひとりみずほが笑ったが、それにつられて、みんなもついつい笑った。ただ、ちどりだけは苦笑いだった。
「あっそうだ、みずほちゃん、一枚撮ってあげようか?千秋ちゃん、いいよね」とちとせが言い出した。千秋はちょっと驚いたが 「最後のはダメだよ。当日のお楽しみっ!てことで、それ以外でならOK。但し他言無用、絶対発売前に人には見せないこと」
「千秋ちゃん、ありがとう。それで、みずほちゃん、どれにする?」とちとせは言った。
「えっと、フォーマルな感じの…。できれば、デキる女性みたいな感じで…」
「デキる女ね。私に任せて」と美絵は胸を張った。
「じゃ、決まりね。みずほちゃん、ついていらっしゃい」
千秋は手招きした。みずほは、ワクワク・ドキドキする気持ちを押し止めたかったが無理だった。
しばらくすると、先ほどちどりが着ていたフォーマルスーツ風の衣装に身を包んだみずほが戻って来た。髪は編み込んだ状態でアップにしてまとめている。その姿に、ちどりは目を丸くした。千秋はみずほに「ちょっとメガネ替えてみようか。これ掛けてみて」と声をかけ、デキる女を演出した。
「ハーイ!みずほちゃん、こっち見て!緊張しないで、そう澄まし顔。OK!撮るよ」
ちとせの指示がなぜか、気持ち良く感じ、ちどりやみんなの視線が、さらに高揚感を高めた。
「ハイ!お疲れ様。終わりました」
ちとせのその一言で、一気に普段のみずほに戻った。
「ちょっと待っていて!いまプリントアウトするから」
「ハイ。ありがとうございます。ちーちゃん、どうだった?」
「あっぁー。正直言って、驚いたよ。別人みたいだった」とあっけに取られたようだった。
「ちどりちゃん、お話し中ゴメンね。みずほちゃん、そろそろ着替えようか」と千秋が声をかけた。
「あっ!すみません。すぐに着替えます」
みずほはそう言うと、あわてて更衣室に向かった。
やがてまったくの普段みずほのに戻って、ちどりたちの元にやって来た。そして、千秋や美絵、ちとせにお礼を言うと、出来上がった写真を見た。そこには、まるで別人の綺麗な、そしてデキる女がいた。
「これ、あたしですか!?」
「そうだよ。ほかに誰がいる?」
ちどりはそう言って、小突いた。
「そ、そうなんだ~!キレイ」
「当たり前だろう。千秋さんのファッションセンスに、美絵さんのヘアーメイク、ちとせさんの写真テクニック。惚れ惚れするだろう」
「うん!本当にありがとうございます」再びみずほは頭を深々と下げた。
「いいのよ。そんなことよりコンテスト頑張ってね。この経験を生かせば大丈夫!」ちとせはそう言うと、親指を立てた。
「当日は私たちも手伝いに行くから安心して」美絵に続いて千秋も「衣装も任しておいて。みずほちゃんを理想の女の子にしてあげるからね」と言った。しかしちどりは「でもこの写真、身内に見せても、みずほだとはわからないだろうな~」とつぶやいた。
※
みずほとちどりは、あすかと会うため、『安眠』に向かっていた。
「ちーちゃん、あすか先生、完全にあのお店にハマっちゃったね」
「そうだね。毎日のように通っているみたいだよ」
ふたりはそんなことを言いながら歩いていた。話が盛り上がると、時間が経つのが早く、すぐに『安眠』に着いた。
一方、あすかはいつもとかわらず、店の雰囲気を楽しみながら、コーヒーを嗜んでいた。しかしそんな安穏とした時間を、苦悩と苦痛に変えてしまう輩が、片隅に潜んでいた。
「いらっしゃいませ」
あやめが言った瞬間、現われたのは、みずほたちではなく、ある意味トラブルメーカーのイントロダクションとなる翼たちだった。
「あやめちゃん、かわいいね~」
「あやめちゃん、キレイだね~」
「あやめちゃん、ステキ!スキ」
「どさくさに紛れて、余計なこと言わないで下さいよ~!」
「冗談、冗談」などと言いながら、喫茶室に向かった。
「ヨォ!」そう言って翼たちに声をかけたのは、北斗だった。
「国東先輩!いらしていたんですか」剣が声を上げる。
「お前たちの憧れの先生、今日も来ているぜ!ほら」と言うと、目線で示した。そこには、パンプキン・パイとコーヒーを口にするあすかがいた。
「ミス・パンプキン、今日も来ているんだ。皆勤だね」と翼たちは感心した。
やがて北斗と翼たちは、話に盛り上がっていった。そのためか、声のトーンも次第にヒートアップ「先輩!最高ッスよ!!」「だろう!」そんな声が耳に付くのか、だんだんあすか表情が、しかめっ面になっていく。
「めっちゃオモロい!」「腹がよじれる~!」などと大笑いをはじめた。たまりかねたあすかは、とうとう「すいません!もう少し静かにしてもらえませんか!?」と大きな声を出してしまった。マスターは、一瞬ビクッとしたが、その時偶然あやめの「いらっしゃいませ」の声が重なって聞こえた。ちょうど、みずほたちが『安眠』に着いたのだ。
北斗は大声で話していたことを、あすかの傍らに行き謝まろうとした刹那、あすかが「キャー!」と悲鳴をあげた。あわてた、剣と燕は転倒し、その声を聞いたみずほたちは喫茶室に駆け入った。そして
「お兄ちゃん!なにしでかしたの!!」
みずほが叫んだ。その声に一瞬にしてその場が凍りついた。ただ、ちどりだけが取り残されたようにキョトンとしていた。
凍りついた空気の中、あすかは“ええっ!?この人がみずほさんのお兄さま?”と思い、北斗は“オレ、マズいことした?”と思った。特に、驚いていたのは翼たちで“このメガネっ子が、先輩の妹…!?”と、目が点になっていた。
状況を把握したのかちどりは、北斗に向かって「テメー、あすか先生に、何しやがったんだ!!」
と息巻き。マスターはその言葉遣いに気後れした。
数秒後の解凍を待って、あすかが謝った。
「窓ガラスに、ヤモリが引っ付いていて、つい…」
窓を見ると、ヤモリが2匹腹を見せて貼りついていたのだ。
翼たちは「松風嬢って見掛けによらず…」と小声で話した。ちどりは“しまった”と思い、あわてて「あぁ恐かった…」と言って、口に手を当てた。
「みずほさんのお兄さまだったのですね。失礼しました」
「いえ、こちらこそ妹がお世話になっています」
みずほのお陰(?)で、互いの悪いイメージが変わったと思いたい。
「お兄ちゃん、本当にあすか先生に失礼なことしてない?」
「わかんねえ~よ。“先生、胸おっきいね~”なんてセクハラ発言してんじゃないの」とちどりが横槍を入れた。北斗はあわてて
「そ、そんなことないですよね。先生」と否定したが、翼たちは“完全にバレてる”と思った。しかし意外にもあすかは「ちどりちゃん、大丈夫。お誉めはいただいただけだから」と言って笑った。
ちどりは「ホント、みずほの兄貴は…、ぃゃ、お兄さんは、トラブルメーカーなんだから」と言いながら北斗を睨みつけた。居心地が悪くなった北斗は「あっそうだ。もうそろそろ行かねーと。先生、失礼します。マスター、ご馳走さま」と言って、あわてて『安眠』を出て行った。
更に、来たばかりだというのに「いっけねー!オレも急用思い出した」と剣が続いて出て行き
「おーいケン。待ってくれ。バッサン後頼むな」と燕も後を追った。ただ、翼だけはあっけにとられ、逃げ去る機会を失いぼんやりたたずんでいた。
「翼くん、そんなところに立ってないで、ここに座ったら」とあすかが優しく声をかけた。
「ちーちゃん、あたしたちも座ろうよ」
「あぁ」
やがて、マスターがおずおずと「あの~、何になさいますか?」 と小さな声で注文を取りに来た。
「えっと、あたしはパンプキン・パイとシナモン・ティー」
「じゃー、私も同じものを」
ふたりはそう言って注文した。
「翼くんは?おごってあげるよ」
あすかは気遣った。
「あっ、僕はけっこうです」
「男の子だったら遠慮しないの。コーヒーでいい?パイも食べる?」
「じゃーお言葉に甘えて、コーヒーだけいただきます」翼は遠慮がちにそう答えた。あすかは「では、店長さん、パンプキン・パイとシナモン・ティーを2つ。それとブレンドコーヒーを1つ、追加でお願いしますね」と言って、ウィンクした。
「か、か、かしこまり、まりました」
マスターは気持ちを落ち着かせようと、窓にへばりついヤモリに向かって話していた。
カウンター奥に戻る姿は、以前の壊れたロボットよりましになったが、それでもC-3POのようだった。
「あっ、そうだ。あすか先生、先日、学園祭実行委員の方に合いました。で、ちーちゃんとの漫才、参加決定です」
「そう、良かったわ。あなたたちにお願いして正解だったわね。大助かりよ。ありがとう」とあすかは礼を言った。
「あすか先生!それだけじゃないんです。みずほがとんでもないことを言い出して…」と今度はちどりが話し出した。
「はぁ?なにかあったの?」
「来年度からの“春祭”中止になって、今回の☆明星祭☆で、ミスコン開催が決定したでしょう」
すると、ちどりの話しをさえぎるようにみずほが「だから、あたし宣言します。学生時代の思い出に、出場することにしました!!」と発言。
なに気に聞いていた翼は「プィッー!!」と口に含んだコーヒーを、思いっきり吹いてしまった。その結果最悪の状況に。なんとみずほの顔が“水も滴るいい女”ではなく、コーヒーが滴る状態になってしまった。
ちどりは「テメー!なにしやがんだよ!!マスター!お手拭き!!早くもって来い!!!」と叫び、翼はあわてて立ち上がり、テーブルの角で股間を打ちつけ、あまりの痛さに手で押さえながらジャンプしている。
あすかは不覚にも三人の三様の姿を見て笑い転げた。しかし当のみずほは、予想に反して「メガネのお陰で助かった」とあっけらかんとしていた。
とりあえず、マスターが持ってきたお手拭で、めがねをはずして顔や辺りを拭き、改めて席に着くみずほ。翼は、痛みのが少し収まったのか、土下座して頭を下げている。ちどりは、よっぽど腹が立ったのだろう、鬼のような形相をしている。
あすかは、笑いながら「みずほさん、大丈夫。服は汚れなかった?」と気遣った。みずほは相変わらずマイペースで「あすか先生、これくらい大丈夫ですよ。ちーちゃん、そんなに怒んないで。般若面みたいだよ、ほらヤモリも逃げちゃったよ」と笑った。
その言葉に、ちどりは我に返った。
みずほは「翼くんも気にしないで。あたしおっちょこちょいでしょう、だからこんなのしょっちゅう」と言って、彼の肩に手を置いた。そのとき、翼ははじめてメガネを掛けていないみずほの素顔を見てうっとりしてしまった。
ただ、近視のみずほには彼の表情まで気付くことはなかった。しかし、あすかは「翼くん、顔赤いよ。熱でもあるの?」と言ったため、翼はあわてて顔を伏せた。
「あの実行委員長の室人って、ホント、イヤミな人だよ。みずほがミスコン出るって言った時も“身の程知らず”って言いやがる。常に上から目線で、計算高いんだよ」とちどりがぼやいた。
「しょうがないのよ。彼は経済学部だから計算高いのよね」
「あすか先生、うまいことおっしゃりますね」とみずほが感心した。
「へっへぇ、経済学は計算高いっか。と言うことは算数学部じゃなかった。理学部は理屈ポイのかな?法学部は、どうなるんだろう??」
「ちょっと、みずほ!話の論点がずれる!でもね、みずほがミスコンに出たいって言った時は、どうしょうかと思ったけれど、絶対、室人を見返してやるよ」
「あの~、ぼくも、みずほさんなら、大丈夫じゃないかな…って思います」となぜか翼が口を挟んだ。
「翼くん、どうしてそう思うのかしら?」とあすかは尋ねた。
しかし、彼は「ぃゃ、その~…。みずほさん、おもしろいし…」とハッキリしない。
「翼くん。君は適当なことは言わないの。今のままじゃどう見たってダメでしょうが。ここはみずほに大変身してもらわないとね。あっそうだ、あすか先生それでね。この前、みずほを私の撮影の現場に連れて行ったんですよ」
「えっぇ!?ちどりさんって、カメラマンのバイトとかしているのですか?」と翼が思わず聞いた。
「違うの、ちーちゃんはね。ファッション誌のモデルなんだよ。めっちゃかっこいいんだから!」とみずほが話す。
「みずほ、おだてないの。そんな、かっこよくないから。それでね、プロのスタイリストやヘアーメイク、カメラマンに見てもらったら、なんか手応えありそうな感じで、イケそうです。試しに、一枚撮ってもらったんですが、もう、別人のようにかっこよくて!」
「そうなの。その写真とか今、あるの?」
「それは、ちょっと…」
申し訳なさそうなちどりをさえぎってみずほが答えた。
「トップシークレットだから、“ひ・み・つ”なんですー」
「そうなの、ちょっと残念。でも、みずほさんの大変身、楽しみね」
あすかは嬉しそうに言った。
「楽しみにして下さい。あたし、大変身して見せますよ」
「みずほさん、およばずながらぼくも応援してます」
「ありがとう!蟻がとう!?蟻が十(トウ)なら、イモムシはたち(20才)。蟻がたい(鯛)ならイモムシ鯨。見上げたもんだね、屋根屋のフンドシ。大したもんだカエルのしょんべん。ってね」
「なんだそりゃ?????」
ちどりのあきれ顔をよそに、みずほは上機嫌だった。
「ホント、みずほさんって、おもしろいですね。この前の“炊飯器!”といい」そう言いながら翼は笑った。
「でしょう。みずほさんとちどりさんのふたりが話していると、まるで漫才聞いているみたいで、おもしろいの。だから、☆明星祭☆のステージで漫才していただくことになったのよ。あっそうだ、漫才の台本は大丈夫よね?ネタ合わせとかもやっている?」とあすかが尋ねと、さっきまで上機嫌だったみずほが、急におとなしくなった。
「先生、実はまだぜんぜんなにもできていないのが、現状で…」
ちどりは正直に言った。
「申し訳ありません。SF小説なら、すぐにいろいろ思い浮かぶのですが、いざ、人を笑わせるためにおもしろいことを…、と考えても思いつかないんです」とみずほも話した。
「でも、いつものようにふたりで、ステージの上でお話しすれば大丈夫じゃないの?」とあすかは楽観的というより、のんきだった。
「あの~、あすか先生」そう言ったのは翼だった。
「やっぱり、初心者がアドリブだけで済ますのは、ちょっと難しいと思います。方向性やたたき台になる台本みたいな物がないと。もし、よかったら僕が書きましょうか?その台本を」
「えっぇ~!」
まさかの発言に、みずほとちどりは驚いた。
「いいのか?お願いしても??」
「是非、お願いします」
「はい喜んで。みずほさんにはご迷惑をかけてしまった罪滅ぼしです。でも、あんまり期待し過ぎないでくださいよ。ぼくも素人なんですから」
みずほとちどりは「やった!!!」とよろこび、ハイタッチしている。
「翼くんって、優しいのね」とあすかがウィンクして言った。そして、翼はただただ照れ笑いをしていた。
そんな、翼にむかって突然みずほが言った。
「翼くん、彼女いないでしょう」
ちどりは「いきなりそれは失礼だろう」と思わず口にしてしまった。ちどりの言葉にためらうことなく、みずほは話した。
「あたし、妙に勘だけはいいの。翼くん、実行委員のひばりちゃんって知っている?」
「いいえ。知りません」
「知らないのか~?もったいないな~?彼女、とってもカワイイだよ。目がクリッとしていて、あたしなんかとぜんぜん違って、翼くんならお似合いかなって思った。あっ、あすか先生ならご存知ですよね。ひばりちゃん」
「えっえぇ、まぁ。教育学部の稲葉ひばりさんね」
「でも、翼くんにはもったいないよ。彼女は」とちどりは否定的だった。
「そうかな~?翼くん、一度会ってみたら?」
しかし、当の翼は“メガネをはずしたみずほさんの方が魅力的”と思っていたので、生半可な返事しかできなかった。
※
あすかは、ほぼ日課のように、今日も『安眠』にやって来た。真鍮のノブを引くといつものように「いらっしゃいませ」の声がした。だが、図太い声で、レジに立っていたのは、初めて見る強面のオジサンだった。
「こんにちは」と言ったものの、不似合いな可愛いエプロン姿に思わず笑ってしまった。
「やっぱり、似合わないですよね」
光は苦笑いをして言った。
「ごめんなさいね、笑ってしまって。でもそれ、いつもの女の子のエプロンですよね。あやめちゃんでしたっけ?今日は彼女の代わりにオジサンが店番ですか?店長さんもいらっしゃらないのですか?」
「店長は一応、私なんですが、息子なら今、ちょっと出かけております」
「えっ!お父さまだったのですね。失礼しました」
あすかは慌てて頭を下げた。
「や、やめてくださいよ、お嬢さん。普段はあやめちゃんか娘のあきに任せ切りなもので、レジ打ちなんて冷や汗ものですよ。本当、ふたりとも都合がつかないなんて…、そのうえ息子は出かけちまうし…」
「じゃ、私がお手伝いしましょうか?おもしろそうだし」
「えっ!よろしいのですか?じゃ、お願いしようかな」
「はい、どうぞどうぞ任せてください」
「では、お願いします。私は工房でパンを仕込んでいますので、なにかあったらすぐ呼んでください」そう言って、光はエプロンをあすかに渡し工房に入って行った。
しかし、この日はいつもと違って、ほとんど、いやまったくお客さんが来なかった。あまりにも暇を持てあましたあすかは、工房を覗きに行った。光は、一生懸命パン生地をこねていた。
一通り作業を終えた光は、ふと視線を感じ振り向くと、窓越しに、あすかの姿が見えた。
「あっ、すいません。勝手に覗いてしまって…」
扉越に、あすかはあわてて頭を下げたが、光は工房の扉を開け、あすかに声をかけた。
「あいつ、どこまで行ってんだか、いや申し訳ない。でも、今日はいつになく閑散としてますな…。もし良かったら、ちょっと、やってみますか?パン作り」
「えっ、よろしいのですか?レジ番がいなくなりますが…」
「大丈夫でしょう。今日はお客さんも来なさそうだし。そのうち、息子も帰ってくるでしょうから」
「では、お言葉に甘えて、失礼します」
「服が白く汚れますから、これ使ってください」光はそう言って、作業用の前掛けを手渡すと、先ほどまでこねていた生地を、切り分け、あすかとともに丸めた。
「私、パン作りって一度やってみたかったのです。あの~ところで奥様は、お店にはお越しならないのですか?」
「家内ですか。亡くなりました」
光は、あっさり言った。そして、まずいことを聞いてしまったと、あすかは謝った。
「す、すいません」
「お気になさらないで下さい。もう10年前になりますから」
「そんなに経つのですか。もし差し付けなければ、どんな方だったのか教えていただけませんか?」
すると、光は壁に掛けられたら額に目をやった。そこには、家族4人が写った写真が飾ってあった。前列には、あきとマスターが座り、後ろには光と美保がいて、にこやかに笑っていた。
「奥さまは、可愛らしい方だったのですね」
「まぁ、古い写真ですから、生きていたら結構オバサンですよ」と笑って言ってみせた。
「あの頃、脱サラし一念発起してパン屋になろうと思い立ちましてね。猛反対を喰らう覚悟で話すと、意外とあっさり家内も賛成してくれました。むしろ反対したのは、息子の梓でしたが、家内が説得してくれましてね。私が修行中は、パートで家計を支えてくれていました…」
「ご理解のある奥さまだったのですね」
「ええ。いつか家族でパン屋をと思っていた矢先だったんですが、急に体調を崩しました。修行中の私を気遣って、息子や娘には口止めしていたみたいでね。事実を知った時には、手遅れでした。本当に、私には過ぎた嫁でした」
光の声は少し涙声になっていた。
「家内の最後の言葉は『夢をあきらめるな』でした」
あすかの瞳も潤んでいた。
「いや、失礼。湿っぽくなってしまって」と言うとティッシュを探しだした。あすかは、自らの服が汚れることもいとわず、ポケットからハンカチを出し、光の目元を拭った。
「すいませんね。息子にあなたのような、優しい嫁さんでもいたらいいが、不器用というか、情けないヤツですよ。未だに独身でね…。あっいゃ、せっかくのお洋服、汚してしまいましたな」
あすかの服は、粉で一部が白くなっていた。
「服なら大丈夫ですよ。こうすれば」と言って、2、3度はたいてみせた。
「私は、心の優しい店長さん、いや息子さんだと思いますよ」
ちょうどそのとき、店の扉の開く音がして「今、戻りました」と言う声がした。光とあすかは、工房から出て行くと、マスターは、面を食らった顔をした。光は何事もなかったように
「遅かったな。お嬢さんがお待ちかねだ」と言った。あすかも動ずることなく「お帰りなさい。遅いですよ。待ちくたびれて、パン作りしておりました」と言った。
マスターとしては、訳が分からず“なぜ、親父とあすかさんが、パンを作っているんだ!?いったいふたりはどう言う関係なんだ!?”と動揺している。
そんなことを察してかどうかわからないが、光は「いつまでも突っ立っていないで、お嬢さんにコーヒーでも出したらどうだ」と言った。
まもなく喫茶室に入ったあすかは、一連のこと話した。しかし、いつになく楽しそうに話すあすかの姿に、マスターも自分が引っ込み思案で照れ屋でマヌケな性格であったことすら忘れていた。むしろ、忘れていること自体が、マヌケなんだが…。
あすかは、一通り話し終えるとマスターに問いかけた。
「店長さん、いや店長さんはお父さまですよね。えぇーと、梓さん。そうそう梓さんはどうしてご結婚なさらないのですか?お父さまもご心配なさっておりますよ」
マスターは、あすかが知らないはずの自分の名前を口にしたものだから、あたふたしてしまい、引っ込み思案で照れ屋な性格が復活してしまった。
「ぃゃ、あの~その~。えっと~。実は…いや・・・・・」
「どなたか、好きな人でも…いらっしゃるのですか?」
マスターとしては“はい、あなたです”とも言えず、ただうろたえた。
「その様子だと、いらっしゃるみたいですね。どのような方なのですか?」
こうなると、あすかも人が悪いとしか言いようがない。マスターはまるで蛇に睨まれたカエル状態だった。
そんな状況だとは露知らず、やって来たのは、翼たちトラブルメーカーだった。
「あれ?今日、あやめちゃん、いないんだ!?」
「と言うことは、あきさんってこと?」
「あきさんも、いないみたいだね」
なんだかんだ言いながら、喫茶室にやって来た。そして、見上げるあすかと立ちつくすマスターの姿を見つけた剣が思わず言ってしまった。
「あっ、わりー。ふたりの世界を邪魔しちまったな~!」
その言葉に、我に返ったふたり、急に気まずくなり、あすかは翼たちに声をかけた。
「あれ、今日はいつもより早いのね。ここに座る?」
一方マスターは「コーヒー、コーヒー…」と言いながら、カウンタ奥に引っ込んだ。
「あすか先生、もう5時まえですよ。早いと言うよりは遅いと思いますが…」剣はいじわるそうに答えた。
「あっ、そ、そうね。ちょうど良かったは、ところで翼くん例のものできた?」あすかは、とっさに話しを翼に振った。
「バッサン、なんだよ例のものって。ひょっとして抜け駆け?」燕は、翼に尋ねた。
「違う違う。松風嬢たちが☆明星祭☆で漫才するから、その台本書いてほしいって頼まれたんだよ」
「なんだよそれ?今度は、松風嬢を口説くことにしたのか?」こんどは剣が詰め寄った。
「だから、違うって!」
そんな様子を、カウンタ奥から見ていたマスターは、胸をなでおろしていたが、コーヒーを出すタイミングを失っていることすら気付かなかった。
※
それはお昼過ぎのことだった。昼食を終えた、みずほとちどりは、いつものように、キャンパスをおしゃべりしながら歩いていた。その時、突然みずほのスマホが鳴った。
「あっ、あすか先生からメールが来た」
「それで、なんて書いてあるの?」
「ちょっと待ってね」
『昨日、翼くんから漫才の台本、預かりました。手渡したいので、連絡ください
』「漫才の台本ができたんだって。だから連絡欲しいって」
「じゃー、連絡入れて今からもらいに行こうよ」
「“OK”」
みずほはローラのマネをしたが、ちどりはあえて流した。
『ありがとうございます。今からいただきに上がりたいのですが、ご都合はよろしいでしょうか』「これでよしっと。送信」
しばらく待つこともなく、すぐに返信されてきた。
『わかりました。今、学食
にいますので、もし差し支えなければ、ここに来て下さい』「あすか先生、学食にいるんだって。行こうか」
みずほは言い終わるなり、きびすを返し歩き出した。あっけにとられたちどりが後を追う。
「みずほ!学食はこっち!」
うどんだろうか?そばなのか?何かそういった麺類を食べているあすかを見つけ出したみずほは駆け寄って言った。
「あすか先生、こんにちは。遅いお昼なんですね」
一歩遅れて、ちどりも挨拶した。
「こんにちは。お食事中、本当にすみません」
「みずほさんにちどりさん、こんにちは。気になさらないで全然大丈夫ですよ。それよりわざわざ来てもらって悪かったわね。そうそう、これを渡しておかないとね」
そう言って、クリアファイルを出してきた。到底あすかの物とは思えない。味気ないクリアファイル中身は、翼から預かった漫才の台本だった。みずほとちどりは、早速中身を取り出し、読み出した。
「なにこれ。ほとんど関西弁じゃない」とちどりがグチり、みずほも「なんだか古風な話だよね~」と言い出した。
あすかは言い訳がましく言った。
「実はね、翼くんもうまく書けなかったのよ。そこで、大阪ご出身のお父さまにお力添えしてもらったそうで、そのお父さまもお祖父さまに相談されたらしいの。だから昭和の漫才みたいなのよね。でも、慌てて作った割には、そこそこいいと思うよ」
みずほとちどりは、飽きれ返り言葉も出なかったが、あすかはそんなことに動じることなく、相変わらずのマイペースであった。
「でもよかったじゃない。これでナントか間に合った訳だし…。あれ?どうしたの?これじゃーダメ?」
「いえいえ」
みずほとちどりは、ハモるように首まで振って否定した。それは、言葉の否定を動作で更に否定する二重否定だったが、
「先生、大丈夫です。今日から練習すれば、ナンとか行けます」
「も、勿論ですよ。み、みずほと一緒だから、うまくいきますよ。ねぇ~」
そう言って顔を見合わせた。
「そうよね~。じゃ頑張って練習してね。当日は必ず見に行くから。更に面白くなっていることを期待しているねっ!」
「ありがとうございます」
「では早速練習して来ま~す。ちーちゃん特訓だね」
ふたりはそう言って学食を後にした。
あすかはふたりを見送ると、食べかけのうどんをすすった。
一方台本をもらったみずほとちどりは、安請け合いしたことを後悔していた。
「あすか先生“当日は必ず見に行くから。期待しているねっ!”って、プレッシャ掛けてくれちゃってさぁ…」
「それも“更に面白くなっていることを”って、で、ちーちゃん、どうする?」
「どうするって、やるっきゃないだろうが…」
「そうだよね…」
テンションダダ下がりのみずほとちどりは、頭を抱えていた。
「でもなんだよこれ。ゲバゲバ“ピィーッ”って。こんなのウケるのかねー?」
「まぁ、おじいちゃんが絡んでいるからね~しょうがないよね」
「全く古典漫才って感じ。みずほ!あとたのむよ。君の腕でいいように編集してくれ!」
「ちーちゃん、ムチャ振りしないでよ。あんまり期待応えられないかもしれないよ。だって、基本このままでいくから」
「マジかよ!?それこそ“ダメよ×!ダメダメ!!”って言っちゃうよ」
とちどりが、日本エレキテル連合のマネをすると、みずほも負けじと
「“ジョーダンじゃないよ”、“ジョーダンはよし子ちゃん”なんてね。」
とおどけた。
「いいね~!Good job!!」
ふたりの冗談もどこか空回りをしていた。
「ちーちゃんは、関西弁大丈夫でしょう」
「どうして?」
「だって、一時期大阪に住んでいたんでしょ」
「まぁそうだけど、小学生のころだよ。でもぜんぜん自信ないよ。みずほだって和歌山だっけ?じいちゃんとばあちゃんがいるんでしょうが~」
「そうだけど、向こうにいる時は、みんな地元の言葉で話すから、うつっちゃって話せるけれど、今は正直ムリだよ。それに和歌山は関西弁と違った方言があるしね。あとは野となれ山となれって感じ。何とかなればいいんだけど、ならないと思うな~」
「あぃよ」とちどりはあきらめムードで返事した。