もう5年前に亡くなった母の話をしよう
機能不全家庭によくある言葉に
「おまえは父親似だから」
「おまえは、父親方の人間」
「おまえは、おばあちゃんにそっくり」
お母さんにそのような言葉を吐かれたことないですか?
夫婦2人の子供であるはずなのに
この様な分断の言葉を投げかける
クソみたいな母親とは、一体どのような、ものなのか?
その後、子供側は
〜に似ているという言葉は
自分を除け者にする言葉として
受け取るようになる
母親、、、この残酷な生き物
いまも、日本のどこかで
このような母親が
平気で子供を言葉の虐待で
ダメージを与え続けている…と思うと
悲しくなる
子供は、だれからも愛されたいのです。
特に、お母さんには
特別の感情と、愛情を持って生まれてきます。
母親を愛そうとする、あるいは、愛されたい
せめて仲良くなりたい
そう子供は熱望するのです。
お母さんにもお父さんにも
子供は似てるんですよ
だって、お母さんもお父さんも
大好きだから
仲良くして欲しいと切望しているから…
それを都合よく、無意識とはいえ、
娘(特に娘への嫉妬は強い)への
嫉妬のやり返しを
このような言葉の虐待で
行ってきたことはないか?
あるいは、自分が
そう育てられてきていたかも…
子供から「大好き」を奪ってはなりません。
子供は、道端のうんこ💩だって
大好きなんです。
なんでも、好きになります。
それが楽しくてしょうがないんです
その貴重な経験を
親の無意識の言葉の虐待で
奪われてきていませんか
もし、人間への対人恐怖、
人の目が気になる
特にカウンセラーを目指している方たちへ
思うのは、
自分の人生を振り返って
自分の中でまだ終わってないことを
カウンセラー業務をやりながら
同時並行で終わらせて欲しいなと思います。
もっと、人の話が深く聞けるようになります
現在、私とボス、あなここで育ったカウンセラーさんで、
カウンセラーの育成に力をいれています。
あなここのボスは、きんたろうさんと言いますが
ほぼ、全面にはでて来ません笑
ボスから伝えて貰った
生きることで大切なこと
この先、ずっと自分の軸になること
手渡された私(りんりん)は
言葉にしています。
私は、ボスがいかに力を持ってるか
よく知っています。
今でも、私のメンターでもあり
私のメンタル不安定で
#不登校
で鬱だった子供たちが、
2人とも社会にでて、結婚したり、
働いたり出来るようになったのは、
きんたろうさんのおかげとしか
言いようがありません。
その上、私自身のどACな
#いきづらさ も
(死にたい願望)
も、いまはありません。
あなここは、光のなんちゃらとか
エネルギーを送りますなーんて
魔法を使いません。
むしろそういうのが大嫌いです。
カウンセラー志望の皆様には
少しでも皆さんがあなここのボス
きんたろうさんと
直接話して頂けたらいいなと思っています。
1年話したらその凄さがわかると思います。
りんりん
人と会話をしている時
まるで、息継ぎを
惜しむかのように
次へ次へと
話す人がいる
意思の疎通している会話には必ず息継ぎというものがある。
「〜なのよ」
「えー、そうなの」
「そうそう」
「そーなんだ」
「あー、うん」
「え、それってなんですか?」
間をおいて、
ひと段落
というような
やりとりの繰り返しで
会話は互いに一致していく。
そこに互いの満足がある。
セッションの中でもこの話題は良く出る。
会話をしている時
暴走してるよ
落ち着くように
息継ぎをしよう
そう言うと
会話の暴走の勘違いが起こる
暴走とは
喋りすぎることではない
ところが
暴走しないために、
しゃべらないように黙る、
と、勘違いを起こす人が多い
かなりとんちんかんな
違う話である
相手との話の内容を
ひとつひとつ完結させないで
相手と自分が一致してるか
確認をしないで
次々に、先にいくことを
暴走と言う、
この様子がまるで
息継ぎをしてないように見えるから
意思疎通には
息継ぎは大事と伝える
これでは、子供さんや
家族との意思疎通は
難しいのです
相手はただ会話から取り残されているだけで
本人は暴走している状態
が、正確な状態ではないでしょうか
なぜ、息継ぎ無しに
ひとつひとつ完結させないかというと
自分が責められないために
ひたすら走り続けなければならない環境で育ったから
幼いころは、
それでお母さんの追求を誤魔化せた
その成功体験かもしれません。
成功体験ゆえに、
自分のプライドや
領域を犯された*(°̀ᗝ°́)و
と感じるのかもしれません
その結果、大人になっても
意図せず
相手をおいてきぼりにする
会話しか出来なくなった
と、思えます
また、この
暴走を他者から止められたら
話を聞いてくれない
話を遮られた
最後まで聞いてくれない
そんな被害者意識で
いっぱいになる
いらっとする
会話からおいてきぼりされた
子供、家族、他人に
怒りを向ける
その繰り返しです
しかし、会話の暴走は、
まわりにとっては
非常に疲弊を感じます
子供にしてみたら
虐待です
かといって
沈黙することが良い事とも思えません。
結局は、爆発して
暴走するのですから…
暴走、息継ぎなしの会話
自分がやっていないか
いちど、自分を振り返ってみてください
By りんりん
#ACの子育て
#機能不全家庭
#言葉の虐待
スピリチュアル界で、瞑想っていうのが、
あるのですが
内観?みたいな修行のようなものもあれば
ヒラメキを貰いたいごとく
自分と繋がってるようで、違うものと
繋がってたり(--;)
無の境地(私には別名、虚無ともとれるんですが)
そんなものしなくても
生活の中で瞑想は出来るんです。
掃除をしていたり
片付けしてたり
美味しいものを食べたり
作ったり
自分に気持ちいいこと
やってれば、
それが人が自然にやってる
瞑想なんです。
特別なもの
座禅組んだり
意味のないお経をとなえたり
それは、その時だけのもので
数時間続けばいいのかもしれませんが
生活には役に立たない。
これは、経験済み笑笑
特別な数珠とかツボとか
仏壇とか免許証とか、
特別な気の良い場所とか
物体を通して思い込みで、
それらが良い運気を与えてくれる
なんて、ありませんよ。
あったとしても、
負のエネルギー大好きな妖怪さん付き笑笑←
良くなったとしても
一瞬のことです。
自分が成長するのに、
物や土地、お金は、関係ないってことです。
(そりゃあった方がいいですが
そこそこ生きてくだけのお金があれば充分です)
たまには、いっときのリフレッシュは必要ですが
しかし
極端な話、この世は食べて排出する世界であり
生きる場所です
生きるため、広がるため、失敗も含めて
自分がチャレンジ体験する場所なんです。
スピリチュアルでは
覚醒とか
ぱーっと、世界が変わるとか
よく聞くのですが
長年、スピリチュアルを研究?笑笑
し続けて
結局は、自分の脳みそで、魂で感じる
ことが必須なのだなあと感じます。
どういう事かというと
自分が生きづらいなら、
生きづらいとこに、自分の物凄い執着がある
その執着を手放すために
生きづらさを体験しているって
ことです。
これ自体は、まさに修行なんですから
わざわざ
滝に打たれに行くことは
必要はなかろうと思うのですよ。
どーしても、やってみたーーい、という
遊び心なら
執着がないのでかまいません。
元々、私たちはスピリチュアルな存在だと
感じています。
ここに存在することが、奇跡
誰かと偶然、出会うのも奇跡
せっかく存在した奇跡を
楽しんで生きていたいものです。
昔なつかし、FF14ユニコーン時代の
初めてのFCでのスクショ
いい体験をさせてもらって感謝しかありませんね
ほんとに楽しかった😊
なんとー、パスワードがわからない事件で
死にそうになった💦
やっと探し当てること数時間
それはさておき
最近ちょっと、自分でも
勉強したいなと思いまして
ちょっと、色々と
子供のことで苦しい思いも多くて
停滞してる気がするんですが
それは、それで
良いことでも悪いことでも
あるんですが
自分の心がやはりスカスカに
なっていくのを
指をくわえて見てるタイプではないので
面白そうな会話のライブに参加したり
ジャンルが、全く違うところに
所属してたりします(笑)
こういう時、
自分を諦めたらおわり!
という自分で
ヒント探しを外へ
そして、
自分の内へと
上下左右?いや縦横無尽に
出入りをしてます。
そんな時もあるんだよ
自分の不平不満がいっぱいで
人には人の計り知れない
苦悩があることを
ついつい人は忘れがちですが
好き、嫌いでいうと情がない
温かさがない人は
あまり近づきたくない
それが、人の本音というものなのではないでしょうか?
今日はちょっとね、
優しいってことは、
暖かいってことじゃないんだよって
そんな、言葉に出会って
内面の上昇をすごく感じています
優しさは、時に
ダメ人間を作るんや
すぐ、諦める人間を作るんや
そうおもったわけです。
私は、諦めの悪い人間だよ
ほんと笑笑



