思春期のころ
一番の違和感は、自分がずるいことしてるという感覚でした。
思春期といえば、
友達関係で自律的に悩み始める頃でもあります。
なぜ、自分がずるいって感じていたのか
まわりを見ると、親密だったり
お互いに好きあっているんだなと
私でも分かるくらいに見えるまわりの友達関係。
私はといえば、
その場その場で、自分の都合によってしか
友達と付き合えなかった。
そんな自分を、ずるい人だなと
思っていましたね。
ずるさを隠すために、優しいふりもしていた気がします。
これは、当時から大きな劣等感でした。
親密さをどう作るのか、よく分からなかったのです。
自分の持っていないものを、
まわりの友達は、いともやすやすと手にしているという現実
どこにいても自分の居場所がない感覚でした。
そこで、言い訳としてちょっと変わった子としての立つ位置の設定と
孤高であるふりと、
ふりばかり、、、していましたね。
なぜ、このような事が起こるのか
ずっと考えていました
他者との安定した親密さというものは、
幼少時代の両親やまわりの親戚などの関係で
自然に身につくものだったはずです。
では、親密さとはなにか?
お互いに好意をもっていることを感じること
お互いに意志の疎通ができる
この前提があって、身につくものだと思えます。
このベースは、主に母親との関係の影響が大きい。
母親から疑われたり
意地悪されたり
無視されたり
罵倒されたり
監視されたり
このような要因が子供の理解の容量以上に存在すれば
意思疎通は、子供側からの一方通行でしかなくなります。
力の強いものに、弱いものは逆らえませんから。
子供は、「どうすれば、好かれるのだろう」という
試行錯誤ばかりをやって行かなくてはなりません。
成功したと思えば、次の時はつき崩され
次はどう振る舞えば気に入ってもらえるのだろう。
この連続の中で、親密さまで辿りつくことは
難しいことだろうと思います。
実際、私が親密さの感覚を得たのは
子育てで行き詰まった以降のことでした。
どうしたら好かれるのだろう
これは、ACの体内に染み付いた習性です。
自分の一方通行な思いだけで人と付き合うことになりますので
双方の思いは噛み合いません。
親密さとは、相手の存在を
自分の領域に入れることでもあります。
しかし、昔、自分の領域にズカズカと
入り込まれ、辱められた記憶が
うわっつらだけで付き合うことしか許しません。
人が怖いとよく聞きます。
近寄りたいし、寂しいけど
自分の領域を守ることの方を優先したい状態を
怖い、と表現します。
まわりにいる友達は、自分のことを傷つけることはないと分かっているのに
うわっつらでしか付き合うことしか出来ない習性。
ヤマアラシのジレンマとも呼ばれていますが
それが、いかにもカッコイイようにも受け取れますが
内面はどんどん、枯れ果てていって
言い訳ばかりが増え
1人悲しみが増え、被害者意識の怨念となり
自分の正義だけでまわりを批難することが
歳を重ねるごとに増えていきます。←これ段々ひどくなります
そのような生き方をしたい人は
それでもオッケーだよ(*^^*)
正解は無いのだから
私は、思うのですよ
親密さは、言い訳とも、ずるさとも
無関係な場所に存在すると。
逆を言うと、親密さとは
言い訳とは無縁のところにあり
ずるさとも同居しない
自分のプライドを守る必要もない
そういうものだと。。。
親密な関係と薄っぺらな関係
自分はどちらを選んでいるのか考えてみることをお勧めします。
葛藤し悩み、右往左往し、苦しみ
考え続けることが、私は大切だと思うのです。
そうして1回1回、出した答えを
受け取り続けていくこと
考え続けていくこと
また、何度でもやり直していくこと
人生の命題ではないかと思っています。
なぜなら、ACが一番欲しいもの
まっすぐな、人との親密さだからです。