承認欲求~ ACの欲求は終わることなく尽きることなく | アダルトチルドレン 〜歩いていこう〜

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テーマ:
承認欲求

そもそも定義が間違っているのではないか?

wikiによると、

「自分が集団において価値ある存在と認められ、尊重されること」

んー、これは誰が決めることなの?

ということで、次へ↓


「尊重のレベルには二段階ある
低いレベルは、他者からの注目を浴びたい」

「高いレベルは、自分が満足したい」

マズローさんの研究によるとそういうことらしい


んー、でもこれは現実問題、非常に難しい

できないから、困ってる


少しあなここ的に、分解しなおしてみよう~(^^)d


おそらく、一番目の承認欲求は、
幼児的要素を大きく含んでいる

小さな子供が、「おかーさん、みてー」というのに似ている

ここで、一般的な人と、ACの人との分かれ道が来る


一般には、でこぼこ多少はあるけれど
「見て見て」が、無邪気に口に出せて、
見てもらえなかったら、ぶつくさと文句を垂れる、泣く、怒るという表現を許される環境にある

しかしAC的機能不全家庭であれば
この「見て見て」が許される環境にない。
反対に、養育者側(主にお母さん)が
子供を自分の相談相手にしてしまうことが多い

子供は「見て見て」が言えない
常にお母さんの「見て見て」に付き合わされることになる

これは、365日、隙間なく日常で繰り返される(大袈裟ではなく真実です)

子供が自分のことを
「見て欲しいなあ」と、ちらつかせようものなら、
お母さんの「私を見なさい」と
直ちに、ぐちゃっとつぶされる

何度も何度も、精神を虐待される

そのぐちゃっと潰された感覚だけが後に
怒りの根元として蓄積されていくのだ


この関係で、第一段階の承認欲求を
ACの子供たちは手放し、あきらめるしかない。

しかし、正常な子供たちは、
第一段階をゆっくりと享受していくさまを
ACの子供たちは指をくわえて見ているしかないことになる

ここで、内在した「見て見て」を
なかったものにする力を子供ながらに手にすることになる←記憶の封印、操作

(すでにこの時点でイビツだ)


そうして大人になっていったACの子供たちは
指をくわえながら、育つわけだが
内在した「怒り」をもてあましながら
同時に、比較、劣等感の世界に突入していく

もっと、大人になり社会にでた時から
指をくわえた自分の正当化が始まる

指をくわえてる状態を隠すために
他者を「攻撃」するという手段をてに入れる

そうして、その攻撃を受け取ったものが
ACに選ばれていく

攻撃をすると、ACは、一時的に
自分を見てもらえることを学んでいく

快感

見てもらえるために、自分の怒りに反応する人を(獲物)を探すようになる

最初は、羊の皮をかぶり近づく
この世で最も、相手の信奉者であるかのように振る舞う

そうして、相手は油断する

しかし、信奉者として振る舞う間に
すでに、攻撃の下ごしらえを作っていく

信奉者という、究極の優しさは
一般的な感覚にはない

ACにとっては、超うっとりの世界なのだが
人間的な本能は、がまんという怒りをためていく

天国のような心地よい世界を提供してくれる反面、地獄のような穴を掘っている

(相手をダメにする、骨抜きにする)


そうして自分の依存が成功し完璧になったところで、正当性の攻撃をはじめる

そして、より完璧な逃げられない世界を作る


そして、相手が息苦しくて逃げそうな雰囲気を醸し出すと、
自分から先に関係を切っていく

これが、ACの人間関係によく見られる傾向である


私自身もこのような、不毛な関係を何度となく、狩るほうになり、狩られるほうになり、
何度となく繰り返してきた

いびつな承認欲求に突き動かされ
本能とは反する、衝動でした


それなら、マズローさんが言う2番目の承認欲求とはどういうものだろうか


他者ではなく、自分が自分を承認する


んー、分かりづらい~💦


もっと簡単に言って欲しい😁



上に書いた、私の経験は、


一方通行なんですね


そう、一方通行


その経験を幼い頃十分にすることで、

子供は、次第に他者と自分の感情の区別を

理解していきます


区別がつき始めたところで


お互いに、意思を通わせる

両思いですね(^-^)


ということを無理なく学んでいきます


折り合いをつけられるようになっていくんです

他者の存在を受け入れることができる




承認欲求が、言わんとするところ

つまり、お互いの意思を通わせることに

お互いが、歓び、悲しみ、苦しみ、を

感じあうことで、心がふっと満足していく


ってことです


「通じあう」


さいこーのコミュニケーションです((o(^∇^)o))

これが第二段階の承認欲求

一般的な人たちが、普通に持っている

承認欲求の正体です



ちなみに、第一段階の承認欲求を大人になって持ち続けても

たぶん、死んでも満足は出来ません



もっと、もっとと、増大する

暴れるモンスターになります


幼い頃、得られなかったもの

成就できなかった憑依霊魂


求め、与えてくれる人をさがし求め

とりつき

さまようことになります


満足は、「絶対」にできません

それは、孤独になる方法を実践しているようなものです



本当の承認欲求、あなたは、さてどちら?

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